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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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中高一貫校に入学した、渡良瀬まみずは発光病という病になり中学校一年の五月から学校に来なくなった。
今、高校一年、渡良瀬まみずの励ますために寄せ書きを送ろうと対案が出た。
そんなことから物語は始まっていく。

難病で、余命宣告されている渡良瀬まみず、寄せ書きを持ってきてくれた岡田卓也に死ぬまでに自分がやって見たかった事をやってもらう。バンジージャンプ・メイド喫茶のアルバイト・遊園地に行く、等々。
親の離婚で苗字の変わったまみずは、お互いを名前で呼び合うのだった。

17年間を生きた渡良瀬まみずは天に上って光り輝いた。
遺った岡田拓也、香山正隆 が何を思ったか。
そんな青春物語だった。

岡田卓也と香山正隆の関係も面白い。
そんな内容。
「時が輝くとき」そんな本を読んだことがある。
青春、それは人生のある時を、言うのでは無いのだナ~。

「君は月夜に光り輝く」を・・・読み終わった。
次はDVDを借りて映画を観ようと思っている。

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読書、如何してするのですか?
夜、頁をめくる。朝、目を通す。大切な時間少しずつ使う。
森信三先生が言っている。
 人が生きていくために身体に栄養をとるように、心にも栄養を取らなければならない、それは読書だ。
本を読まないのは、心に栄養が行き届かない状態だ、心が栄養失調なのだ。
と。

「君は月夜に光り輝く」
発光病、不治の病で余命宣告された学生の恋愛物語、かな。

とにかく、こんな本が私の下に来た。
2020年9月9日水曜日の夜、頁をめくり始めた。

「昭和からの遺言」鈴木健二を読んだ。 
91歳鈴木健二さんが話している。
「感動なしに人生はありえないと」

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鈴木 健二(1929年1月23日 - )は、日本のフリーアナウンサー。元NHKアナウンサー。
『歴史への招待』や『クイズ面白ゼミナール』などの司会者として高視聴率を叩き出したことで知られる。 著作も多く、『気くばりのすすめ』はベストセラーになった。
NHKのエグゼクティブアナウンサー(理事待遇)になり、1988年にNHKを定年退職した後、熊本県立劇場の館長に就任し、伝承芸能の復元などにつとめ[1]、1998年には青森県立図書館および青森近代文学館の館長に就任した。
兄は映画監督の鈴木清順。
ウィキペディアから

昭和4年産まれの鈴木健二さん、今年91歳になるという、そんな人の戦争経験者の鈴木健二さんの本
「昭和からの遺言」を読んだ。
東京大空襲の時には壮絶な、人間が焼けて死んでいく、そんな状態だったという。
目の前で火だるまの人が息絶えて死んでいく状態を目の当たりにした経験を自分に生かし60歳からは自分だけのために生きる事を辞めた人だ。
人の為に生きる。
本の中では、
十代で自分を発見し、二十代で自分に夢中になり三十台で妻や夫を愛し、四十代で家族を育て、五十代歳を人生の頂点とするのが最良。七十五歳までは働くが、六十歳からの人生は誰かのために生きる、と書いてありました。
そして、有言実行、そのように生きた人です。

SNSでは、LINEなんかでは、軽い情報であふれている。
重い情報は非難され、関わりたくないとサヨナラする。

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落合陽一1987年(昭和62)年生れ。メディアアーティスト、今年33歳になる学者の本だ。
この本を読もうとしたのは、武田鉄矢の 「三枚おろし」を聞いたからだ。
本当は「日本最興戦略」を買いたかったけど、何故か「日本進化論」を読んだ。

落合陽一の平成の終わりに書いた本、次の時代はどう生きるべきか、と。
平成の時代は・大震災・不景気・少子高齢化・リーマンショック・社会保障費の増大など様々な事があった。
これからはイノベーションを活かすとか。聞きなれないカタカナ言葉が多かったけど、斬新奇抜な若者の本、読んでよかった。

歴史を学び、今を考え、未来に希望をもたせる著作だ。

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8月8日
友さんから一冊の本を渡された。
「天皇論」小林よしのり
その友さんはその前「昭和天皇論」という本も読んで見ないかと渡されたことがある。
「昭和天皇論」を読んだ。 
このようなブログを書いた。

小林よしのり氏は私が子供の頃「おぼちゃまくん」という漫画で知っている人だ、田園調布学園のギャグマンガだ。
そんな人が書いた「天皇論」どんな内容だろうか?
序章
わしが「君が代」を歌うようになったわけ
著者はプロレスファンだった、しかし試合前の国歌斉唱には起立しなかったし斉唱もしなかった、そんなところから話が始まっている。
古くから知れたこの歌は他の人の長寿を祈る歌だった。
君が代の原歌は古代「古今和歌集」に出てくる。そして今に続く。

君が代は 千代ちよに八千代やちよに さざれ石の 巌いわおとなりて 苔こけのむすまで

そして日本の天皇の話が始まっていく。

日本と言う国は、縄文時代は主に狩り生活を営んでいた。
弥生時代になり、稲作が始まり定住するようになり、様々な集まりが出来、争い起こるようになる。
その当時、日本には文字が無かったため、お隣の中国の歴史書「魏志倭人伝」で知ることになる。
この時代には、まだ日本と言う名前は無い。
弥生時代後半日本を一つにまとめた。そして古事記と日本書紀を作った。
だぶん、そうだろう。

9月
友さんから、次はどんな本を渡されるだろうか?
だぶん「戦争論」かな?
日本の神話「古事記」かな?
イザナギ、イザナミの国生みの話になるのだろうか?

「天皇論」小林よしのり
まだ途中、佐久間猛暑だけど頑張って続きを読もうと思う。
しんしん

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盆に先祖様が帰ってくるといわれている。
送り火を焚いて先祖様を迎えた。
その先祖様が乗ってくるのが精霊馬だと。
お盆、仏壇に精霊馬を祀る。
キュウリで作った馬とナスで作って馬、親の話だと
「来るときは早く来てほしいからキュウリ、帰りはユックリとナス」
その馬には、なぜかソーメンが乗っていた。
里芋の葉の上にその馬を置いていた。
横吹から半場に越してきて、キュウリが無くなってナスだけになった。
半場では山間部の横吹と違い、天竜川にその精霊馬を流す精霊流しだ。
そんなことを遠い昔から続けてきたのだろう。

今朝、その精霊馬を天竜川に持って行った。
まだ薄暗い中、懐中電灯を頼りに向かった。
今は環境に配慮して天竜川には流さない、寺役の人が回収箱を用意してくれている。
中には何軒かの精霊馬があった。

家族愛→郷土愛→祖国愛の順番で育んで、しかる後に人類愛に至らなければならない。
国家の品格で藤原正彦さんが四つの愛を大切にしていかなければいけない。
そう書いてあったけど、ナカナカ難しい。

盆行事(精霊馬)環境に配慮した。
終末処理浄化槽も環境に配慮し協力した。
帰り雲一つない空を見上げると、三日月が、その横に星が光り輝いていた。

 

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往生(おうじょう)とは、大乗仏教の中の成仏の方法論の一つである。
現実の仏である釈迦牟尼世尊のいない現在、いかに仏の指導を得て、成仏の保証を得るかと考えたところから希求された。様々な浄土への往生があるが、一般的には阿弥陀仏の浄土とされている極楽への往生を言う。これは極楽往生(ごくらくおうじょう)といわれ、往とは極楽浄土にゆく事、生とは、そこに化生(けしょう)する事で、浄土への化生は蓮華化生という。
化生とは生きものの生まれ方を胎生・卵生・湿生・化生と四種に分けた四生(ししょう)の中の一つ。
1.胎生 人間や獣のように母の胎(からだ)から生まれる事
2.卵生 鳥類のように卵から生まれる事
3.湿生 虫のように湿気の中から生まれるもの
4.化生 過去の業(ごう)の力で化成して生まれること。天人など
極楽浄土への往生は、そこに生まれる業の力で化生すると言う。蓮華化生とは極楽浄土の蓮華の中に化生するという意味。
本来の意義
往生の本来の意味は、仏になり悟りを開くために、仏の国に往き生まれる事である。よって、往生の本義は、ただ極楽浄土に往く事にあるのでなく、仏になる事にある。
ウィキペディアから

大往生という言葉がある。
少しの苦しみもなく安らかに死ぬこと。また、りっぱな死に方であること。
そんなことを大往生と言うらしい。
本人がどう思ったか分からないが他の人がそう思い「大往生だった」と言うのだろう。

比叡山千日回峰行を行った酒井雄裁さんはその行の後
9日間不眠・不臥・断食・断水で不動明王と一体になる「堂入り」の行を満じる。
その酒井雄裁さんは2013年(平成25年)、心不全のため死去[。87歳。 大往生だったのではないかと思う。

「往生」住む生きる。
誰も今の世に生きている人は死んだことがないので、死後のことは分からない。
「往生」住き生きる。
往生の本義は、ただ極楽浄土に往く事にあるのでなく、仏になる事にある。


戦後75年終戦記念日の日、暑いこの地で、こんなことを考えた。

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「他力」とは阿弥陀如来の本願力のこと。
仏さまの願いとはすべての人を本当の幸せにしたいという願い。
お寺や神社に行き願いをお祈りするとき自分のことや家族のことばかりではなく多くの人の幸せを願うこと。
先日読んだ「歎異抄(たんにしょう)に書いてあった。
『歎異抄』(たんにしょう)を読んだ。

昔、佐久間中学校の卒業生が集まるLINEのグループでの話し合いの時に
「ありがとう。言われるように言うように」
と投稿したときがある。
同級生の和尚さんが
「浄土宗、南無阿弥陀仏の他力本願ですね。新間君は、違うと思いますか」
ときた。

他力本願(たりきほんがん)
①.仏教用語。阿弥陀仏の本願に頼って成仏すること 。浄土教・阿弥陀信仰にて使用される用語。
②.人まかせ、他人依存、成り行き任せの意。
ウィキペディアから
本来の意味は①なのに、最近では人まかせ、そんな感じで使われている四字熟語だ。
 

また、このような説明もあった。
他力本願(たりきほんがん)
① (他力すなわち本願の意) 仏語。自己の修行の功徳によって悟りを得るのでなく、もっぱら阿彌陀仏の本願によって救済されることをいう。
日本国語大辞典の解説

今日は相月のお寺「東林寺」にお邪魔した。近藤所蔵によって、比叡山に千日回峰行を二回成し遂げた超人的な僧侶。酒井雄哉(さかいゆうさい)師の本を読んできた。
一日一生
一日の修行で草鞋が一足ダメになる。一日草鞋が頑張ってくれた。
そんな草鞋に感謝でっきる生き方、酒井雄哉(さかいゆうさい)師の本で学んだ。
比叡山に千日回峰行を二回成し遂げた超人的な僧侶。酒井雄哉(さかいゆうさい)師、そんな人でも威張ることのない人柄に
「他力本願」本願力
を感じた。

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剣片喰(けんかたばみ)それは日本の家紋
この本の作者は我が家の家紋の一部かたばみを冊子の命名にしたそうだ。
花言葉は「輝く心」


仕事を退職し、中日新聞の投稿を続け50回100回と目標の投稿回数に到達し自分の記念に一冊にまとめた投稿集を出した人が水窪に居たと聞いた。
その人の旦那さんから佐久間町の、ある店に置いてあると聞いて、昨日、その店に行って借りてきた。
中日新聞投稿集「かたばみ」を読んだ。

水窪に生まれて水窪に嫁ぎ水窪での日々感じたことを綴っている冊子だった。
・ごちそう炊き込みご飯
・国盗りの綱引き末永く
・付き合い薄れ心いたむ事件も
・きな臭い国際情勢 不安
・これから先も 挑戦して打破
・合併で浜松市 格差深刻
合併後の地域の衰退を憂いているが、そこを打破しようと何とか頑張っている姿も書いている。
 
・先祖供養する務めを果たす
・昭和の浜松に時の流れを思う
・重なった記憶 待ち遠しい日
・叔父の言葉に思い報われる
・草木を興す西浦田楽の舞
西浦田楽を境に春の足音を村では感じるそうだ。自然と村の伝統的なお祭りに生きている人たちの暮らしが感じた。
 
・四季折々の姿 優しい通学路
・亡父みとった戦場の交わり
・片隅の入営旗 非戦訴え
戦後70年の夏に書いたであろう投稿文、世界で類のない平和憲法の元、私たちは平和な暮らしを維持、安心して生活している。
それも戦争という時代に生きた多くの人たちの尊い命の流れから今のいう時代に生きている、こと。
 
・干し柿作りに厳しい温暖化
・水窪百山調査達成に充実感
・人口減地域 支え合う絆
・心が痛む戦時の悲しみ
・戦友への償い
温暖化・少子高齢化・戦争を知らない年代だけど叔父や諸先輩からの思い出から感じたことを伝えている。
様々な問題を、水窪と言う地域から発信している。そんな人がいることに、なんか感動した。

中日新聞投稿集「かたばみ」を読んだ。
かたばみの花言葉は「輝く心」
かたばみ

 

 

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『歎異抄』(たんにしょう)は、鎌倉時代後期に書かれた日本の仏教書である。作者は、親鸞に師事した河和田の唯円とされる。書名は、親鸞滅後に浄土真宗の教団内に湧き上がった親鸞の真信に違う異義・異端を嘆いたものである。
ウィキペディアから
『歎異抄』
(音・タン 訓・ なげく・なげく・ため息をつく)
(ことなる/ことにする/ほかの/別々のなどの)
(長い文章などの一部を書き出すこと。また、そのもの。ぬきがき)

もちろん原文などは読むことはできない。
今回読んだのは、到知出版社から出した「いつか読んでみたかった日本の名著シリーズ」

の中の「歎異抄」である。
私が読んでもわかりやすく書いてある。

いつの世も、人々は平等ではない、その中で嫉妬や恨みの感情が出てくる。
これは避けられようのないこと。とある。
しかし、私たちは無限の縁起によって、万人・万物とつながっているのに、いざ何かを求める段になると、それが見えなくなって、自分さえよければいいという行動に出てしまう。

 

私たちは家族は横吹で暮らしているころから仏教だ。
相月のお寺「東林寺」に先祖が眠っている。
南無阿弥陀仏の「南無」とは信じ切ること。阿弥陀様のすべてを信じ南無阿弥陀仏と唱える。
信じる者は救われる。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
65
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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