今朝、パソコンを開いたら、ジョーダンからメールが届いていた。
新間さんへ、
遅くなってごめんなさい!もし、一緒に浜松に行ってもいいなら、ぜひ行きましょうか。
26日ですが、あなたの家で泊まってもいいんですか。
よろしくおねがいします、
ジョーダンより
ジョーダンとの出会いは。
去年の「浜松縦断マラニック」復路で浜松にゴールし、帰ってくる途中、豊橋駅で飯田線の待ち時間にベンチで座っていたら「と・う・え・い・・に行きますか」
っとジョーダンの方から話しかけてきたのが始まりだ。
私は、東栄より北の、佐久間町 中部天竜駅まで行くので、長い飯田線の旅はジョーダンと会話しながら楽しい飯田線の中となった。
その時、佐久間高校で勤務していたALTのクリスの話が出て、お互い知っているということで、第一回 多国籍軍マラニックが始まったのだ。
第一回 多国籍軍マラニックの動画
http://picasaweb.google.co.jp/shinma49/100CANON?authkey=Gv1sRgCLus4Lym8ODdoAE#5378268662475661954
この次は、第二回 多国籍軍マラニックは 浜松駅から浜松マラソンの会場となる、四ツ池運動公園に行って少し汗をかいてから「湯風景しおり」に行って浜松でカラオケでもっと考えている。
まだ、自分で考えているだけの予定なのだが(*^_^*)
今日は、この前の「佐久間・・・しし鍋マラニック」の写真を、ほうじ峠の「民族文化伝承館」に届けに行った。
「佐久間・・・しし鍋マラニック」とは、ヒロボーさんが、去年から、この時期に企画しているマラニックだ。
佐久間町の中部天竜駅から、西渡(八丁坂・塩の道)を走り、城西・野田(ほうじ峠で蕎麦)・羽ヶ庄・下平を通り、中部天竜駅と約30km走ってから。
下川合のIさんの別宅で、しし鍋で懇親会。
そんな、マラニックだ。
その写真を、当日、お蕎麦 食べた、ほうじ峠の民族文化伝承館に持っていったのだ。
佐久間の自宅から、ほうじ峠まで標高差437m、佐久間でもずいぶん寒かったけど、ほうじ峠の寒さは並ではなかった。
雪も残っていて、道路も所々凍っていた。
ほうじ峠の民族文化伝承館で温かい蕎麦を食べたらホッとした。
途中、寒さに震えながら撮影した写真。
ほうじ峠(民族文化伝承館)での食事。
ほうじ峠にヘリコプターが(+o+)
無事に家に帰ってこれた(^◇^)
これから、同窓会のタスキ拭いだ。
第二回 佐久間中学校同窓会75
佐久間町浦川清流荘にて
「ふるさと佐久間 また何時の日か、この地で
佐久間中学校を1975年に卒業した人たちと集
えることを願わん。」
佐久間中学校同窓会75 地元 実行委員会
今回、お正月1月2日に行った同窓会のアルバムの表紙に書いた言葉だ。
6年前の春、私は くも膜下出血になり、病院から退院してきて、一人歩いていたとき。
中学校当時の同級生に励まされ、中学校の同窓会をっと考え始めたのだった。
今回、二回目を無事に終えた。次は、佐久間を離れ、他の地域での開催となる。
本当は、5年に一回ぐらいは、ふるさと佐久間に佐久間中学校を1975年に卒業した人たちが集まり、楽しく昔を懐かしむのが良いのでは、と思っていたのだが。
地元の人たちは皆、次の同窓会は、よそで、浜松方面で開催を希望している人が大多数だった。
「人の心と、過去は変えられない。自分の心と、未来は変えられる」
今年も、佐久間でマラニックをやって、自分なりの楽しい佐久間での生活をエンジョイしよう(^◇^)
今日の午後6時から、地元で寿司屋をやっている同級生の店「江戸芝」で 同窓会のタスキ拭い、最後の飲み会だ。
先月は、用事が出来たりして一回も詩吟は参加できなかった。
昨日は久しぶり、今年初めての詩吟なのだ。「朗 詠」皆で始めた時は、なんか気恥しかった(+o+)
私が参加していない間に、他の生徒は次の発表会(3月21日)での詩吟を一人でやるのだと張り切っていた。
先生が、○○さんは、何を吟じますかっと言ってきたので、私は「・・・・・」何も言わなかった。
しかし、せっかくやるのだ、思い切って「慢 述をやってみようかな~」っといてみた。
慢 述 佐久間 象 山
謗る者は 汝の謗るにまかす
嗤う者は 汝の嗤うにまかす
天公 本 我を知る
他人の 知るを求めず
慢述【通釈】
謗る者はぞんぶんに謗るがよい。
あざわらう者は思いきりあざわらうがよい。
謗るも嗤うも君たちの勝手にさせておこう。
天の神だけは、わたしの私心のないことを知っている筈であるから、
他人に理解してもらおうなどとは思わないのである。
一か月ちょっと、この五言絶句の漢詩を覚えるのだ(+o+)
【五言絶句】(ごげんぜっく)
五言絶句とは、五言の句の絶句ということであり、中国の唐代に完成した漢詩の一つ。
略して「五絶」と言う。
「五言」とは、五つの漢字のことであり、「絶句」とは、四つの行(四句)で表すことをいう。
四句は、起句・承句・転句・結句、つまり「起承転結」から成る。一句は、二字+三字で構成される。
・五言絶句、たった二十字の中に一つの世界が凝縮されている気がする。
走る途中にカメラで、風景や人物を撮影する楽しみ方を「カメラン」っと言うそうだ。
今日の読売新聞に書いてあった。
ランニングブームも中、走る途中にカメラで風景や人物を撮影する楽しみ方が広がっている。写真をブログに記載し、仲間や友達とのコミュニケーションを図る。
「カメラン」という呼び方もあり、速さを競うだけでないランニングとして、女性を中心に愛好者が増えているという。
トッチーさんや、がんもどきさんも「カメラン」なのだ。
私も、カメランなのだが、自分が使用している、ニンジャブログ・・・・写真の記載の仕方がまだ、うまく分からなく、小さい写真しか記載できない?
小さな写真だか、クリックすると大きくなる。
もっと、機能を使いこなすようにしなければ(+o+)
佐久間駅伝大会は、佐久間町あげての大イベントだ。
毎年 前日に駅伝で走路となる道のゴミ拾いがあるのだが、今年は がんばらまいか佐久間の事務局から連絡が来て「トン汁のサービスをしているのだが、鍋や炊事間所の設定の手伝いをやってほしい」との連絡が来て、今年はその仕事を朝から手伝うようになった。
佐久間自治センターに、朝8時に下平の井畑さんと待ち合わせ、軽トラで浦川キャンプ場までトン汁用の大鍋を持ちに出かけ、帰ってきて炊事場の設置をしたりしたのだ。
軽トラで、浦川キャンプ場に行くとき、がんばらまいか佐久間の会員が沢山、ゴミ拾いに歩いていた。
1月31日(日)第47回 佐久間駅伝大会 当日。
佐久間自治センターに 我がチーム ハッチ&花の舞のメンバーが集まった。
今年は、町内在住在勤の部での優勝候補「川上鶴ヶ会」が一般の部でのエントリー、もしかして・・・ゆ・う・しょ・う・・・なんて少しばかりの期待をしていたのかもしれない(+o+)
一区 で少し出遅れて3位でタスキ渡し。
二区 一人に抜かれ、4位でのタスキ渡し。
三区 二人抜き返し、町内2位でのタスキ渡し。
四区 は我がハッチ&花の舞のエース72歳の中地さん。
高齢者のスポーツ大会(マスターズ)での選手、静岡県代表
で日本全国で活躍中。(政令市となった今は浜松市だが)
五区へと走って来た。
五区 中路さんの暑い走りに刺激され、頑張ったつもりが最後失速 3位でのタスキ渡し。
六区 一人に抜かれ、町内在住在勤の部 4位でのゴール。
2010年、佐久間駅伝も無事に終わった。
佐久間自治センターに各区間のランナーが、集まってくる。
昨日、私たちが運んだ、大鍋に作られたトン汁を中学生ボランティアが手際よく、ランナーに配っていた。
佐久間の色々な人に支えられている、佐久間駅伝。
来年も、再来年も続いていけたら良いのにな~。
5年前の同窓会は各クラスごと代表にインスタントカメラで写真を撮ってもらった。
家族で浜松のイト―ヨウカド―に買い物に行ったついでに、現像してもらったのを覚えている。
沢山の写真を、同窓会に来たごとに振り分けたっけ。ムービーシアターで作成したフォトDVDと住所録と会計報告とともに送った。
今回は、フォトアルバムを作ろうとネット検索をして、Photobackにたどり着いた。
自分としては、結構いい作品に仕上がったっと思っているのだが。
送ってからの、皆の反響が楽しみだ。
去年と同様、ムービーシアターで作成した、フォトDVDも作った。
これには、「・・・佐久間を訪れた人々」と書き、「同窓会2010、同窓会2005、珊瑚礁、佐久間・水窪マラニック、浜松縦断マラニック、佐久間・・・しし鍋マラニック」と6ページの選択が出来るようにした。
フォト・アルバムが1月30日に配達予定になっている。
2月の上旬には、地元同級生でのタスキ拭いをやれそいうだ、これがすんだらやっと肩の荷が下りるというものだ。
色々大変だったけど、自分なりに満足している・・・ん~自己満足の世界だ。
Photoback↓
http://www.photoback.jp/about/index.aspx
みんながつくったPhotobackに登録したあるけど・・・わかるかな(*^_^*)
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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