毎週水曜日は、「さくまRC」の日。
去年の忘年会の時、話し合ったのだけれど、2010年になり、集まりが悪くなった!!
寒くなって、家に帰ると外に出たくない・・・・そんな気持ちは分かるけど。
今日も、メンバーにメールを送った。
「今日は「さくまRC」の日。継続は力なり。元気を出してコイね~(^O^)」
それは、自分にも言い聞かせるように送った。
「今日は走りに行きます」「今日は行きます。宜しく」「今日も仕事で行けますん」「風邪ひきです。行けません」
みんな、市民ランナー、健康のために走っている人。まだまだ記録をと考えている人。
色々な人が集まって、佐久間町地元 学校グラウンドを借りて走っている。
今日は、7kmジョグとペース走1000m一本。
軽く汗をかき、グラウンドを後にした。
ジョーダンからの連絡が着いた。
早々、ほくえんRUNの掲示板で宣伝。
浜松駅南口を27日午後1時にスタートして、四ツ池公園を目指し、次の日行われる「浜松マラソン」10マイルのコースを走り。
姫街道を浜松駅方面に戻ってくる。
「しおり温泉」に来てゴールとなる9.8kmのコース。
よかったら、参加してネ(*^_^*)
↓の参加者の集いの場 ほくえんRUN掲示板で
http://6321.teacup.com/tsutomu/bbs
去年の9月7日「袖振り合うも他生の縁」の題でブログを書いた、その仲間で、また走ろうと計画を立てた。
と言っても、こちらの一方的な誘いだが(+o+)
しんしん、英語いが全然ダメなので、携帯に絵文字を入れての会話だった。
浜松マラソンには、行こうと前から言っていたのだが。その前日に、マラニックをやろうと、どうやって分かってもらおうかと色々苦労した。
佐久間駅伝で、弁天島にアパートが有るクリスに出会い、「寝袋を持っていくので浜松マラソンの前日、ジョーダンと二人、クリスのアパートに泊めて?」っと、英語のできる人を仲介してお願いして数日後。
ジョーダンにメールした。
>2月27日am10:00佐久間町に(車)(排気ガス)
>2人でクリス(家)に(車)(排気ガス)
>浜松でslow run(走る人)して(温泉)浜松でカラオケ(マイク)
>どうでしょうか?
しばらくしてから。
遅くなってごめんなさい。
一緒に行きたいんですが、多分ホテルで泊まるかもしれない。ぜひ、温泉と(カラオケマイク)と簡単走るやりましょう!(OK)
27日朝あなたの(家)会いたいの?
っと返事が来た。
かっこ内は絵文字です(^O^)
私 しんしんは、また英語のできる人にお願いした。
ジョーダンに聞いてほしいこと。
「ホテルはどこに予約しましたか?」
「私もそこに予約をしたい」
「27日朝10時ごろ佐久間に来てほしい」
「一緒に浜松に行きましょう」
との英文を作ってもらった。
その英文が↓
I've read your email. which hotel did you make a reservation?I want to stay together, and so please tell me the hotel.I will reserve the hotel.
Shall we go to Hamamatsu together?please come to Sakuma 10a.m.
この英文を、今 ジョーダンに送ったところ(*^_^*)
”袖振り合うも他生の縁” 私に出会った人は、かなり災難かも(^◇^)
「袖振り合うも他生の縁」ブログ↓
http://hokuen.blog.shinobi.jp/Entry/51/
今日は、佐久間 民話の会館で「三遊亭小遊三 独演会」。
今回は、お客さんの入りが少ないと、がんばらまいか佐久間「文化・スポーツ・社会教育活動委員会」担当の人が、やきもきしていた。
人口、5000人弱の、佐久間で三遊亭小遊三さんが来て、独演会を開いてくださるなんて、こんなありがたいことはないのに。
がんばらまいか佐久間の、「文化・スポーツ・社会教育活動委員会」担当者も色々御苦労をして、ここまでやってきてくれたのだ。
私は、今回も駐車場係、がんばらまいか佐久間のジャケットを着て少しの間の ガンバルマン(+o+)
三遊亭小遊三さんも、お酒がすきそう(+o+)酒の話が随所に出てきた。
私も、これからお酒の時間(*^_^*)
第1674回「命をつなぐリレー」 「リレー・フォー・ライフ」という活動を知って、自分の乳癌を見つけ。
この活動に参加していたお陰で、胸も摘出せずにすんだというお話でした。
今は、日本対がん協会から声がかかり、「ほほえみ大使」に任命され、がん検診の啓発活動を行っている。
これからは恩返しです。
「リレー・フォー・ライフ」で教わった命をつなぐ大切さを、次の人達に伝えていきたいと思っています。 と、話していた。
私は、去年開催の「リレー・フォー・ライフin静岡」に初めて参加した。 兄を癌で亡くし、そんな兄を偲びながらの参加だった。
私は、今、そんな兄の歳になって行く。
何かの縁で、2月21日の、がんばらまいか佐久間の(第4回)まちづくり講演会で、佐久間に講師として来る(元飯田市議会議長)上沢義一氏の同級生 高橋さんっと会う約束をした。
高橋さんは、私の兄と佐久間中学校でクラブが同じだったそうだ。
リレー・フォー・ライフ 命はつながっているのかもしれない、例え死んでも、思いでだけはつながっている。
土曜日の朝、リレー・フォー・ライフin静岡に参加するために、中部天竜の駅を5時29分の、始発の列車に飛び乗った。
飯田線内で、切符を買ったら、4.680円、その時から約6時間の各駅停車の旅が始まった(*^^)v
昨日、同窓会打合せでのお酒が残っているのか、なんだか胸やけが・・・・気持ち悪り~。
飯田線から、東海道線に乗り換え、浜松へ、そこでも乗り換え、沼津で御殿場線に乗り換えて、30分電車に揺られ、御殿場駅へ、そこから11時30分初のシャトルバスで御殿場陸上競技場に着いたのであった。
グランド内を見渡してみたら、あったあった、骨髄バンクを推進する会の横断幕が、見慣れた顔触れも何人かいた。
そこで 「りレー・フォーライフの説明↓
リレー・フォー・ライフとは、1985年にアメリカ・ワシントン州シアトル郊外で、
アメリカ対がん協会のゴルディー・クラット医師が始めたイベントです。
マラソンが得意なクラット氏が大学の陸上競技場を24時間回り続けるなか、
友人たちは30分間だけ医師と一緒に回るごとに25ドルずつ寄付しました。
その結果、1日で2万7千$が集まりました。
参加者を増やすために翌年からは医師、患者やその家族、
友人が数人ずつのチームを組むリレー形式になりました。
24時間歩き続けるなかで、参加者の間にがんと闘う連帯感が生まれたのです。
単なる資金集めのイベントとしてではなく、地域社会全体でがんと闘うための連帯感を育む場として
リレー・フォー・ライフは大きく広がり、現在では全米4000カ所以上、世界20ヶ国以上で行われるように
なりました。
開催方法は様々だが、共通するプログラムとして「サバイバーズ・ラップ」(がんと闘う人たちの勇気を称え、
がん患者やがんを克服した人たちが歩く)、「ルミナリエ」(がんで亡くなった人たちを偲び、
一人ひとりの名前を記した紙袋の中にろうそくを灯して並べる)などがあります。
ほかにバンド演奏、ゲーム、バーベキューなど様々なイベントで盛り上がります。
私は、雲峰さんのホームページで、去年 兵庫県の「リレー・フォー・ライフ芦屋」を知りました。
雲峰さんのホームページhomepage2.nifty.com/marason-nouta/
遠いな~っと思っていて半年、骨髄バンクを推進する会の事務局の人から、今年 静岡でも開催するとの連絡を頂き、参加するしかないと、思ったのです。
祖父を肝臓癌で亡くし、兄も吐血で倒れ、搬送先の医師から余命の宣告、がん検診の啓発を願っての参加だった。
今日、初めての、「リレー・フォー・ライフin静岡」始まりは、地元 飛竜高校の太鼓の縁部など色々な催しなどが披露された。
太鼓の動画↓
picasaweb.google.co.jp/shinma49/QGsTRF
そして13時、サバイバーが御殿場陸上競技場の400mのタータントラックを歩き始めた。
夜中には、その雨もやみ、霧の中でのウォーキング、となった。
それもまた、幻想的で、素晴らしかったのではないだろうか。
骨髄バンクを推進する会では、夜、3人ずつの組になり、仮眠をとってい交代するようになった。
私は、堀○さんと古○さんで、12時から1時まで、のウォーク。
私は、それまでを、観覧席の隅で仮眠を取ることにした。
3時間ぐらい、寝れただろうか、観覧席から、会場の眺めも又 いいもんだ(^O^)
真夜中の御殿場陸上競技場を交代で回り、次のメンバーに後退して役目を終えた。
しかし、私が佐久間からココに来た目的はもう一つ、ジョギング。
今は亡き、兄を偲び 真夜中の1時35分、御殿場御殿場陸上競技場のトラックを、ゆっくり走り始めた。
輝くルミナリエの中、1時35分から5時35分まで走らせてもらった。
ミニFM局に 島袋さんのゴールへをリクエストしたり、写真を撮ったり、今生きていることを感謝し、走り続けた。
朝、夜明けには、富士山が顔を出すのではないかと、一縷の望みは届かなかったけど、行ってよかった、走って良かった、っと思った二日間だった。
、
感動!!最前線「インタビュー静岡」
核兵器廃絶を訴えながらマラソンを続ける竹原さん。
そんな、内容で記事が始まっていた。
「地球から核兵器をなくそう」と書かれたゼッケンを毎日付けている。反核運動の一つとして84年から芦屋市~広島市間360キロをリレー方式で走る「反核平和マラソン」を続けている。
マラソンを始めたのは、20年前に郵便局を定年退職してから、初めてのフルマラソンは、昭和61年のホノルルマラソン。
私が、走り始めてころ、小笠掛川マラソンで何度か見かけたことはあるが、話したことはない。
私たちがマラニックを楽しめるのも、平和な世の中のおかげ、何か協力する事はできないものか?
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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