佐久間のヘルストピヤに選挙に行った。
帰りに、佐久間病院で昨日の指怪我を見てもらいに行った。
思った以上に血が出ていたのか、ガーゼは血液で固まっていた。
傷の所に張っていたソフランが傷口にくっ付いていたので、消毒液を着けながら静かに剥がしてくれた。
一部、縫っていた部分の間が張り付いていないので、そこを触ると少し痛かった。
先生が言うには「うまくくっ付いてくれれば、治りも早いですが、くっ付かないと皮膚の再生を待つので治りが遅くなります」そうか~(+o+)
今は安静にしていて、くっ付いてくれるのを祈るばかり。
明日の午後、佐久間病院に外科の先生が来るので、後はその外科の先生に判断をしてもらう。
今日もお酒は我慢しよう(+o+)
今日は、父の49日。父の子、私の子供だけで簡単に済ませ、午後からは草刈りを頑張ってやっていた。
生前 父が植えた木に草が巻きつき、その草を窯で払っている時に、私の左手親指に・・・・・切った(>_<)
無残にも、皮一枚を残し、私の左親指は切れてしまった。
家に帰り、佐久間病院に電話してもらい、法要で帰ってきた息子に車で病院まで送ってもらった。
親指に麻酔を打ち、傷口を流水で洗い、傷口を縫ってくれた。
六針くらい縫っただろうか、下手に自分で包帯を巻いているよりも、こうやって縫ってもらった方が治りが早いっと聞いたことが有る。
富士登山競走・・・・行けるだろうか。
そんな事ばかり考えていた。
金トク見ましたか?
内多キャスター新たな大型冒険企画
日本海から太平洋へ! 日本横断 自転車の旅
先週7月2日と今日9日の二日間の放送だった。
今週後半の放送は、遠山郷が出てくるとのブログ「秘湯と秘境の里 遠山郷便り」での情報も有り楽しみに待っていた。
秘湯と秘境の里 遠山郷便り
http://www.tohyamago.com/WP/archives/date/2010/06/10
放送では、遠山郷に入り、日本のチロル下栗に立ち寄り、民家に入っての放送が有った。
その後、国道152号線を、勅使河原さんが行き、うっちー 内多アナウンサーが天竜川ぞいに南下するようになった。
勅使河原さんは、国道152号線の道路が途切れているところから、青くずれ峠を自転車をかついで登って行った。
うっちーは、道を間違え、静岡県の大嵐に行ってしまい、夏焼(なつやき)の民家の中にお邪魔して、話をしていた。
その二人が、静岡県天竜区の西渡(にしど)で落ち合った。
そう、ハ丁坂の登り口で落ち合ったのだ。
うっちーのブログ 見たことが有る写真が載っていますョ
http://www.nhk.or.jp/nagoya-kintoku-blog/2010/06/10/
「静岡県骨髄バンクを推進する会」の4月の総会に行った時、貰って来た「命のアサガオ」の種。
今年は、二袋頂いて来て、開封してみたら、一つの袋の中には何もなく、もう一つの袋の中に3っつの種が入っていた。
その種をプランターに植え、3か月、大きくなって来た。
平成4年、丹後光祐君が小学校から貰って来た種の子供たち、今 佐久間にも花を咲かせようとしている。
命はつながっている。世代から世代へ。
しかし、一つ一つの命には限りがある。
限りがある命、自分なりの花を咲かせよう。
命のアサガオのホームページ
http://www.iplus.jp/~asagao/index.html
昨日、水窪自治センターを10時に出発した。
私は、佐久間自治センターで10時半からエイドの為にランナーを待っていた。
小雨の中、11人のランナーが佐久間自治センターにやってきた。
最後のランナー、〇ヶ〇さん、彼女はウルトラマラソンを参加すぬのだが、全行程を完走するのは出来ないことが多いそうだ。
それでもスタートラインに立っている。
参加することに意義が有る。そんなランナー。
〇ヶ〇さんを見送って、次は自分の家の用事で浜松に車で向った。
雨の降る中、ランナーは龍山自治センター目指し走っていた。
思い起こせば、5年前の夏。
この「浜松市」誕生五周年記念のマラニックで走っているランナーを見て、私のランニング人生も変わって行ったのだった。
次の日、職場で見た静岡新聞で、「浜松市」誕生五周年記念マラニックの記事を見て、呼びかけ人である〇田さんの存在を知ったのだ。
今回は、雨の中走るランナーの後ろ姿を見て私は浜松に向った。
色々な用事を済ませ、長女の働く三ケ日に来た。
そして三ケ日自治センターに寄り道をした。
佐久間にも劣らぬ、立派な自治センターだ。
合併は浜松市の地方に何をしたのだろうか。
当初、クラスター型の合併と言って、地方の特色を生かした合併と盛り上がったのに。
今は、市長も変わり、クラスター型と言う話も頓挫していった。
そんな中の、新「浜松市」誕生五周年記念 水窪~浜松 160km ウルトラマラニック、今年は雨の中の出発となり、ゴールである浜松市市役所に着く時には天気も回復、暑いくらいの天気になった。
数年先の事を憂いでいるより今を楽しもう。
今頃、〇ヶ〇さんは何処を走っているだろうか。
今日、浜松合併記念の160キロマラニックの日。
私は、佐久間自治センターでエイドのボランティアをやらせてもらった。
最後のランナー、〇〇〇さんを見送って、次は自分の家の用事で、浜北のホンダに父の車の名義変更、浜松(船越)に二女の住むアパートへ。
そのまま、次は三ケ日へ、三ケ日自治センターで時間をつぶし、長女と出会い用事を済まして、夕ご飯を一緒に食べて、今 佐久間に帰ってきたところだ。
帰りには、雨も強くなり、今頃 ランナーはどうしているのだろう・・・・・と心配になた。
三ケ日自治センターで出会った、ガードマンの人も、合併になって三ケ日も寂しくなったと言っていた。
政権が何に変わろうとも、「民主党」だろうが「自民党」だろうが「みんなの党」だろうが、明日になれば、朝日は登るし、私は朝ランをするだろう。
なんのこっちゃ(^◇^)
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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