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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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今日は空手の日だ。

IMG_0088.JPG10年前の夏、地元の友達に誘われて始めた空手、当時は地元すぐそばの佐久間小学校の体育館でやっていたのが。今では車で2時間の場所「豊浜小学校の体育館」まで出かけなければいけない。

今年は、父が亡くなったこともあり忙しく中々稽古に行けなかった。

これからも、続けるだろうか。

そんなことを考えて、今月いっぱいで空手を止めようと思って今日の空手に出かけたのだった。

久しぶりの稽古、気合とともに、突きを出したり蹴りを出したり。

汗とともに、まだまだこれからも、空手に関わって行こう、そう思うようになってきた。

諦めからは何も生まれない。

継続は力なり。

 

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今日 「浜松シティーマラソン」(10マイル)「森町ロードレース」(ハーフ)の申し込みを出した。

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古い日記を見た。

毎年 年末に開催されている「静岡県市町村対抗県駅伝大会」佐久間町も毎年参加していた。

佐久間町が浜松市に合併する2005年の春の静岡新聞に「静岡県市町村対抗県駅伝大会」の参加する市町村が記載されていた。

その新聞には、佐久間町の名前はなかったのだ。

「今年は静岡県市町村対抗県駅伝大会は参加しないの?」何も知らない私は、去年参加したメンバーに聞いてみた。

本当は参加したい。しかし、2004年の市町村対抗県駅伝が終わって、慰労会で町長が来年は市町村対抗県駅伝の参加はしない話をしたそうだ。

2005年5月15日(日)
地元の走る仲間が集まって、佐久間高校の13kmコースを走った後、上島キャンプ場で焼肉でビールを飲んだ。その時 佐久間体育協会会長の○島さんを呼んだのだった。

「今年も市町村対抗県駅伝に参加したい」そんな話を佐久間体育協会会長の○島さんに話したのだった。

佐久間町では、参加しないと言っているのだけれど、どうしても、佐久間町では最後になるであろう静岡県市町村対抗県駅伝大会を参加したいと言う、数人の暑い希望をかなえてやろうと、○島さん頑張ったのです。

○島さんは、町の人、町の偉い人に話し合いに出かけたのでした。
 

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「がんばらまいか佐久間」は5年前、佐久間町が浜松市に吸収合併すると決めた時、佐久間町の偉い人が作った「NPO法人」だ。

佐久間は、北遠地方の中でも大きな会社「電源開発」が有り、日本でも有数なダム「佐久間ダム」が有り、財政面では恵まれていた方なのか、「がんばらまいか佐久間」は旧佐久間町が残して行ってくれたt貯金を元にして運営されると言われている。

私が初めて「がんばらまいか佐久間」の活動に参加したのは、「ふるさとの森づくり」で、同じ半場区に住む、コイジのみー兄に浜松まで、宮脇 昭先生の講演を聞きに連れて行ってもらったのを覚えている。

その後、がんばらまいか佐久間の会員が集まり、浦川の島中峠に「ふるさとの森」を作るための作業が始まったのだ。

私は、コイジのみー兄の言われるまま、連絡が来たときは着いていった。

2007年3月21日(火)第1回「ふるさとの森づくり」高校3年生に息子と二人植樹作業に参加した。

理工科大学の荒木学長、浜松市長の北脇市長など浜松市内から沢山の人が来ていたっけ。

佐久間、合併しても、なかなかやるじゃん・・・っと思ったっけ。

 

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8月21日(土)にソバの種まきをやり。
9月25日(土)にソバの花観賞会をやった。

今日10月24日(日)は、そのソバを収穫の日なのだ。

地域おこし活動員会とそばづくり実行員会(そばパートナー制度)女性活動委員会などの、がんばらまいか佐久間の会員が集まり、ソバの刈り取り・その刈り取ったソバの ハザ掛けしたのだった。

前日 土曜日には、もと電気屋の会員の指導のもと、刈り取ったソバを掛ける ”ハザ”を作り。
今日も、会員は朝8時半に集まり、窯を片手に、ソバの刈り取りを行った。
一日中腰での、ソバ刈り作業は、思った以上に重労働だ、なかなか進まないと思っていた作業も、午後3時には、刈り取りが済み、長さ20mの”はざ”に刈り取ったソバが並んだ。

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これから、そのソバの脱穀、製粉と行い、ソバの試食が12月11日(土)に予定されている。

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「がんばらまいか佐久間」この活動は、佐久間の為に何になっているのか・・・・・今だによくわからない。

しかし、今日来た会員はみんな思い思いに頑張って活動していた。

それぞれの人が、家に帰って、身体のあっちこっちに心地よい疲労感を、感じていることだろう。

 

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大野靖之さんは中学のころ、友人の家族とカラオケに行き、歌うことの楽しさを知ったという。

そのころから、歌手になる夢を持ち、高校卒業とともに路上ライブを続け夢を追い続けてきたという。

有る日 路上ライブで歌っていた、大野さんに「私の勤めている学校で歌を歌ってほしい」と 学校の先生が声をかけた。

その日から、学校でのライブ活動は続き 今では500校以上の学校を訪ね歌を歌い続けている。

そんな、大野靖之さんが佐久間中学校に来て、何回目であろう学校ライブをやりに来た。

この、学校ライブは、静岡第一テレビ、27日16時45分から、「まるごとワイド」で放送される。

子供たちは、大野靖之さんより、静岡第一テレビ「まるごとワイド」アナウンサー伊藤久郎さんに集まっていたという。

人々は、夢を追っている人よりも、夢をかなえた人に注目を集める。

夢は叶えることよりも、追い続ける事に意味が有るのだ。

 

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先日 仕事に行く前にTBSの「はなまるマーケット」を見ていると、全国の学校でライブ活動をしている大野靖之さんの活動の様子を紹介していた。

その二日後11月21日、大野靖之さんが佐久間中学校に来た。

命の大切さ、頑張らなくても良い、そんな思いを歌に綴って語りかけている・・・・らしい。

佐久間中学校の父母が、職場に居るのでライブの様子を聞いてみたいと思っている。

静岡第一テレビ、27日16時45分から、「まるごとワイド」で放送が有るそう。

時間がないので、今日はこれまで(^-^)

 

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昨日は、詩吟の日。
先生が、佐久間文化祭で吟ずる「楓橋夜泊」について書きたいと思う。

楓橋夜泊(ふうきょうやはく)  張 繼(ちょうけい)

月落ち烏啼いて霜天に滿つ 江楓漁火愁眠に對す
つきおち からすないて しも てんにみつ こうふう ぎょか しゅうみんに たいす 
姑蘇城外の寒山寺     夜半の鐘聲客船に到る                        
 こそ じょうがいの かんざん じ  やはんの しょうせい かくせんに いたる                       

【詩訳】
 夜も更け月は西に沈み、烏の鳴く声が聞こえ、空には霜のおりる冷涼の気配が満ちあふれている。
 川岸の楓(かえで)の間に漁り火が点々として、旅愁のために寝つきにくい私の目にうつる。
 そんな折、姑蘇の町外れの寒山寺から夜半を告げる鐘の音がこの船まで聞こえてきたのであった。

この歌は、知ってのとおり中国の蘇州市にある「寒山寺」を歌った歌である。

浜名湖一周マラニックで立ち寄る舘山寺、そこにも「楓橋夜泊」の碑がある。

浜名湖の遊覧船に揺られ、「楓橋夜泊」一発 吟じたいものだ。

 

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この連休を利用して、車で佐久間から六ヶ所村まで行ってきた。

六ヶ所村に始めて行ったのは今から26年前の夏、兄夫婦が八戸に住んでいて、八戸の兄のオートバイ(DT200)で行った記憶が有る。

荒れた自然林の中、下北半島を走って行った事を覚えている。

今は、六ヶ所村が日本原燃に土地を誘致して、原子力関係の建物が立ち並ぶ。

日本原燃が来たことによって、六ヶ所村も様相がガラリと変わった。

人口が増え、雇用の場所も増え、家が立ち並び、活気が出てきた。

私が住む佐久間は、佐久間ダムが完成して54年が経過した。

人の手を使っていた、設備も自動化が進み、作業する人も少人数で済むようになり。

当時の面影はない。

六ヶ所村も、54年後にはどうなるか分からない、しかし過疎の進む、地方にとって雇用の場所を望むのは当然のことだ。
 

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色々あって、ご無沙汰だった詩吟に昨日行ってきた。

みんな、11月の文化の日に行われる佐久間町文化祭での時吟を練習していた。

菅原道眞の「門を出ず」

菅原道眞が京の都で謀反の疑いで、福岡の大宰府に左遷された時に唄った唄である。

大宰府で歌った菅原道眞の唄は、「東風吹かば」有名である。

「東風(こち)吹かばにほひをこせよ梅の花 主(あるじ)なしとて春を忘るな」

忙しい毎日が続いている、詩吟・・・こんな時を過ごすのも良いのかもしれない。
 

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
65
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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