本日 空手の日
22年の春、肉親に不幸があり最近やっていなかった空手道。
23年度になって、また再開した。
4月に二回 佐久間小学校の体育館を借りて練習をしたのだけど、一人っきりであの広い体育館での練習は、寂しい、それに使用料600円はもったいない。
誰か一緒に空手をやらないかと探していたら、職場に外国の人が暇そうに居たので「カラテでもやりませんか?さくましょうがっこうでやっていますよ」と声をかけてみた。
その人が来たので、今日は二人 佐久間小学校体育館で空手の稽古をした。
佐久間小学校で佐久間で生まれた私と、ジャマイカで生まれた彼女が掛け声をかけて基本の稽古で汗を流した。
次の稽古の時には、シンガポールの人も来るという。
彼女の父親は、テコンドの師範だという。
なんか国際的になってきた、佐久間体育協会の空手道(^^V
静岡の E子さんが竜頭山に登りに来た。
去年の「佐久間・水窪スーパーマラニック」の時に、竜頭山での登山で道を間違えた苦い経験を二度としたくないので確認のための登山だ。
飯田線で中部天竜駅に9時に待ち合わせ、平和登山口を9時15分登り始めた。
「青なぎ」に10時10分、順調に登っている。遊歩道コース・中級者コースの分岐点に「マラニック」の看板を付けてある。
「マラニック」の看板は中級者コースの方になっている。
中級者コースは、沢沿いの道があり、勾配が急になり間違いやすいのではないかと言う道がある。
そんな道を確認しながらの登山、ペースも遅くなってきた。
山頂近くになり、私は先に展望台へと向かい、展望台のポストに昨日作った「マラニック ノート」を入れた。
この「マラニック ノート」は、来週の「佐久間・水窪スーパーマラニック」の時に、竜頭山登山を終え展望台で感想を一言書いてもらえないかと作ったノートだ。
今年走り、次の年も来て この「マラニック ノート」を見てくれたらうれしいと思う。
「佐久間・水窪スーパーマラニック」のリピーターを作るためのノートでもあるのだ。
E子さんが到着して、展望台で二人昼食。
山頂三角点の方に行く、そこで雨が突然降りだした。
カッパに着替え、ほうずき平の避難小屋へ。
当初、山住神社の方へ行く予定だったけど、コース変更、福沢林道に行き山を下ることにした。
雨が小降りになったことを確認し、私は、一人先に行き、福沢林道ゲートで、林道が走れるのを確認し、雨宿りをした「ほうずき平」まで戻っていき写真を撮った。
E子さんは、先に福沢林道を下っている・・・はず。
少し心配になっていた時、車が止まっていたので中の男性に「今 女性が一人走っていきませんでしたか?」聞いてみた。
「走っていたよ~。何しているの」そんなことから色々な話しが始まった。
その人は、写真が趣味でこの場所に浜松市内から来ているという。
色々な人がいるものだ。
山々に霧がわき、こんな景色も良いものだと思いながら山を下った。
福沢の村を抜け、国道152号線に出て、平和登山口の私の軽トラのあるともろに向かう。
登山口に着いたのは、4時45分、所要時間7時間30分。
E子さんを中部天竜駅に送って、家に帰りビールで乾杯し今ブログを書いているのであった。
今日も走れた。おいしいビールを飲めた。
E子さんをはじめ、色々な人に感謝。
ちくぜんじょうかのさく <ひろせたんそう>
伏敵門頭 浪天を拍ち 當時の築石 自ずから依然たり
ふくてきもんとう なみてんをうち とうじのちくせき おのずからいぜんたり
元兵海に沒せし 蹤猶在り 神后韓を征せし 事久しく傳う
げんぺいうみにぼっせし あとなおあり しんこうかんをせいせし ことひさしくつとう
城郭の影は浮かぶ 春浦の月 絃歌の聲は隱る 暮洲の煙
じょうかくのかげはうかぶ しゅんぽのつき げんかのこえはかくる ぼしゅうのけむり
昇平象有り 君看取せよ 處處の垂楊に 賈船を繋ぐ
しょうへいしょうあり きみかんしゅせよ しょしょのすいように こせんをつなぐ
先週、竜頭山に登った時に、山頂で楓橋夜泊を一人吟じた。
身体いっぱいに自然を感じた。
遠山郷に上村と言う村がある。
月曜の晩から私は母親の在所である、水窪町の上村と言う村に行っていた。
遠山郷のは上村(かみむら)水窪のは上村(うえむら)と読む。
どちらの村も、山の斜面に張り付くようにその村がある。
山の上の方にある村だから、その名前が着いたのだろう。
今回、その村に住む、住人と話す機会があった。
昔 水窪の企業で一緒に働いたことがある人だ。
親子でその企業に勤めていたのだけど、水窪の事業所は数年前に撤退し、息子は町で家を建て生活をしているという。
自分も歳をとり、畑やタンボは大変になり、草が生えて"ランゴクナイ"と言っていた。
何年も前、先祖がその村「上村」の段々畑を開拓し、コメや野菜を収穫できるまでにしたのに、私の代で・・・・・。
「いつか俺も死んで天国に行って、先祖にであたら・・グザラレル・・わいや・・ハハハ・・・」
っと、言っていた。
水窪町も浜松市となり、色々なことが変わっていったのだと思う。
しかし、村の付き合いなど、変えてはいけないものは、昔と変わらないまま続けていこうとしている地域だ。
水窪弁
ランゴクナイ=汚い・グチャグチャ グザラレル=怒られる
第3回の「佐久間・水窪スーパーマラニック」の時は、山頂はすごい霧だった。
視界は3mくらいか、今思えば、よくそんな時に竜頭山に登ったな~っと思っている。
今回はコース変更をしようっと思っていたけど、Hさんの「みんな竜頭山に登りたいために集まっている・・・」の言葉に 登ろう!!っと決断したのだった。
そして、今日は、その山頂でのコースを紹介した、フォトムービーを作ることにした。
参加してくる方に、少しでも安心して参加できるように。
「展望台」から「ほうずき平」↓
http://www.nexyzbb.ne.jp/~tsutomu46/hhh4/www.htm
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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