あれから一ヶ月、今日は検査日、胸のレントゲン。
どうなっているのだろう?
自分的には調子もよくなったと思って、昨日も朝ラン10km 走ったのだけど・・・ (-_-;)
なんか心配。
受付が始まり、外来診察室に移動していく。
皆それぞれ、病を持っているのだろう。
田舎の病院は、知り合い同士よく話をしている時には笑い声も。
その時に血液検査の呼び出し(^○^)
太い注射針を持った看護師さんに血を抜かれ、レントゲン室へ。
待合室で私が座っていた横に、水彩画が飾てあった。
元佐久間病院長の軽部先生が描いた浦川キャンプ場の絵画だ。
夢100プロジェクトが終わったときに
ここで慰労会をやろうかな?っと悩んでいたときに見つけた・・・・。
そんなときに、私の受付番号が掲示板に・・・・よいよ(^o^;)
「ま~いいでしょう」p*
「血液検査の結果も良いし」
「レントゲンの胸の影も無くなってるし」
やった~(^_^)/
遠山マラニックはガンバルそ(^.^)
会計3460円を収め佐久間病院を後にした、しんしんであった(^-^;
今月の25日(日)に行う、浜松市制100周年事業のときに佐久間町の元気な高齢者夫婦の写真を撮ってきてほしい・・・。
そんな役目を頂いた私は、夏の肺炎にも負けず城西の活動委員○氏さんの所に顔を出したのだった。
○氏さんは用事があり代わりの活動委員の人を紹介されて、伺った高齢者夫婦は○野さん○田さん○原さん。
次の日は野田に行き、次の日は地元、中部と半場を周った。
西渡地区は活動委員○井さんと、西渡地区は山間の地区、車での移動も大変な地区だ○本さんの家は車を置いて歩いて行かなけれまならない、大きい荷物は急傾斜地に設置されたモノレールで運ぶらしい。
○本さんの写真はモノレールに乗った二人を写してきた。
照○さんの家は、急斜面に建てられた懸造(かけづくり)の家だ、そう京都の清水寺のような家なのだ。
地下に降りる階段があり、初めて入った私は興味津々だった。
次の日曜日、また○井さんと待ち合わせ、鮎釣・福沢・和泉・瀬戸と周った。
瀬戸の福○さんの奥さんは私の元住んでいた横吹の隣のオジサンの妹だそうだ。
福沢の長○川さんの奥さんは「あんた見たことがある」なんて言ってくれた。
鮎釣の藤○さんは帰るときにピーマンを持ってきてくれた。
和泉の横○さんは竜頭山をバックに写真を撮った。
私が今回写真を撮ったのは30組、他は別の活動委員が行くそうだ。
今回、何かの縁で出会った佐久間の高齢者夫婦、深く刻まれた皺での笑顔が何とも哀愁を感じるのであった。
今日は、そんな夫婦に残暑お見舞いを書いていた、
残暑お見舞い申し上げます。
先日、「NPOがんばらまいか佐久間」での佐久間元気な高齢者写真撮影 ありがとうございまいました。
この写真は、9月25日(日)上市場で開催される「浜松市制100周年事業」そばの白花で記載しますので、是非見に来てください。
2011年 初秋
長生き万歳、佐久間万歳(^^V
前略
暑い日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか?
先日は「夢街道90km」(浜松駅から遠山郷まで)の参加ありがとうございました。
私が住んでいる場所は、夢街道コースの途中にある佐久間町です。ここの地域(佐久間町・龍山村・水窪町)は”ほくえん”と言われています。
“ほくえん”は7年前、浜松市に合併を決め、当時私の住む地区にも行政の人が合併に至った話を説明に来ました。
「佐久間町としては、天竜以北での合併望んでいた」「しかし”ほくえん”の町村での合併は出来なかった」
「いくらこちらがラブコールしても、相手がその気がないので・・・」と言うふうに恋愛を例にとって説明をしてくれた、そこに「浜松市からの合併をしませんか」との話があったのだ・・・とも。
最後に静岡市の井川地区が静岡市に合併して地域は衰退していったという話をパソコンのパワーポイント見せながら住民に説明していったのだ。あれから7年佐久間の過疎化は確実に進んでいる。ガーン
佐久間町が合併した時に、佐久間はNPO法人「がんばらまいか佐久間」を立ち上げた、当時の議員たちが先頭になり大きな浜松市に合併してからも今までと同じように町の行事をやって行けるようにと。
私は「がんばらまいか佐久間」でも活動会員をしています。今回の「夢街道90km」このNPOの行事の一つとしてやってもらえないだろうか?そして理事長と天竜区役所の地域振興課に行き話をし、今までと違った「夢街道90km」にならないかと考えています。
「夢街道90km」今回の21人のランナーに、第一回の写真・記録・名簿を送ります。
来年も浜松駅でお会いしましょう。
過疎化は進んで、人口は減っているけど、私はここ佐久間で楽しく住みたいと思っています。
今日は、台風12号が接近しているため外は雨降り。
一日、パソコン相手に、6月に走った「夢街道90km」の参加者への手紙や、「がんばらまいか佐久間」で写真を撮った高齢者夫婦へ送る残暑見舞いなどを書いていた。
何が私をこうさせているのか???????
二十年前の私には考えられないことをやっている(^^V
NPOがんばらまいか佐久間でも何か浜松市制100周年記念事業をやってくれないか、一事業上限100万円の補助金が出るから。
そんな話から始まった「そばの百花(ひゃっか)と浦川歌舞伎を観るかい!」月に一回の検討委員会を行い、この事業も今月の末と迫ってきた。
ここまで来るには、ソバ畑の草取り、会場の設営、カカシを100体作るための各小学校や中学校にたのみに行ったり忙しい毎日だった。
私は、佐久間町の元気のいい高齢者夫婦の写真を写して会場に展示する係をやることになった。
先月には、委員長たちがソバ畑に、赤ソバで100と言う字を書いたそうだ。
このイベントの時には、白いソバ畑の真ん中に100と言う字が綺麗に赤く浮き出るそうだが・・・はたして。
今回、各地区のNPOの人に紹介された元気な高齢者の写真を撮影しに行ったのだが、どの夫婦もとても元気、この元気はどこから来るのか。
昔から佐久間で暮らし、今まで生きてきた。
住み慣れた所で住んでいく、そんな素晴らしさを再確認した、今回の佐久間の元気な高齢者夫婦の写真撮影だった。
目指せ100歳(^^V
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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