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平成18年(2006年)の夏、私は浜松駅から佐久間の自宅まで60kmを一人で走った。
長距離はフルマラソン(42.195km)しか走ったことがないのに。
6年前の自分は、何を考え、何を思い、浜松駅の南口を走り出したのだろう。
その時の自分の日記
http://www.nexyzbb.ne.jp/~tsutomu46/mountain03.htm
平成17年(2005年)私の住む佐久間町が浜松市に合併し、これから佐久間町はどうなっているのだろう???
今でも過疎で人々が町へと流れていくのに、合併しなのならもっと過疎が進むだろうな~。
浜松市は次の年、政令指定都市になった。
私の住む佐久間町も政令指定都市、住所も浜松市天竜区になったのだ。
その浜松市天竜区の国道152号線をリックを背負ったランナーが走っていくのを見たのだった。
次の日の月曜日 静岡新聞で新浜松市誕生記念 水窪~浜松 160km ウルトラマラニック を知ったのだった。
マラニック(マラソン&ピクニック)
その年の夏、自分の足で この大きくなった浜松市を走ってみようと決意し走り始めた。
マラニックで、急がずゆっくり景色を見ながら。
次の年、マラニックを企画している人にいろいろ聞いて、名前も「浜松縦断マラニック」として平成18年(2007年)参加者8人で走ったのだった。
今年のほくえん旅ランの参加者は↓
http://run2.ina-ka.com/meibo.htm
浜松縦断マラニックまだ8名なので、もう少し走る人が来ないかな~っと思っている。
去年の第五回チャレンジマラニックin遠山郷が終ってからmixiで投稿した。
五年前の話じゃ~。
走ることが好きなランちゃん(夫)と、釣りが好きなトドさん(妻)が遠山郷に来て「チャレンジマラニックin遠山郷」を誕生させるそうだった。
私(しんしん)は、その話を水窪の駅伝大会の待合室で、ひろぼーさんに教えてもらった。
私とひろぼーさんは、その「チャレンジマラニックin遠山郷」の誕生に立ち会ったのじゃ~。
それはそれは、楽しい面白いマラニックの誕生に村の人はもちろん、私たち走るものも大変大喜びをしたもんだ。
それが、いつの日かランちゃんが来なくなった。
私はとっちーさんとランちゃんが企画している小田原のマラニックに行った、そのマラニックの後夜祭でランちゃんや山西哲郎さんやジャズダンスのお姉さんと話をした、山西さんやお姉さん、遠山道に行きたいといっていた。
しかし、ランちゃんはランちゃんなりの言い分があった。
そんなことがあって・・・・今回のトドさんの事、
今は遠山郷の観光協会が行っている「チャレンジマラニックin遠山郷」
しかし、5年前にこの地にマラニックの明かりをつけたのは「チャレンジマラニックin遠山郷」始めたのは、ランちゃんとトドさんやその仲間達なのだ。
また何時か、木沢小学校の用務員室で逢う日を楽しみに待っている。
遠山郷でのマラニック。
今年も木沢小学校の前夜祭、美味しい酒を飲めるといいな~(^^)
毎年この時期に、浜松市体育協会北遠地区でのグラウンドゴルフ大会がある。毎年お誘いがあったのだが私は用事があって参加できなかった。今回初参加である。
場所は船明ダム運動公園、スタッフは朝の7時半までに集合。
私は半場を6時半に出発した。
運動公園に7時半前に着くと、もう数名のスタッフが大会準備をしていた。
参加賞の準備、机を並べてたり、参加賞の洗剤の確認をしたりした。
8時近くなり、グラウンドゴルフの選手たちがクラブを肩にやってきた。
8時半、選手が集まり開会式。
その後、選手がそれぞれのホールに別れてプレー開始した。
全ての選手が8ホールを回ると得点表を持ってくるので、我々スタッフはその得点表をチェック、担当者がパソコンに入力、この繰り返しを三回やったっけな~。
最後に、みんなで得点の確認をし、優勝者・準優勝者を決める。
ホールインワン賞もあった。
この集計の時、グランドゴルフの選手は船明ダム運動公園の中央に集まっている、何が始まるのかと思ったら・・・・・選手がそれぞれ一打ずつボールを打ってホールインワンを狙っているのだ。
ホールインワンの選手には商品のテッシュペーパーが待っている。
今回、初めてグラウンドゴルフというスポーツを見た。
グラウンドゴルフは、昭和57年に鳥取県東伯郡泊村生涯スポーツ活動推進事業の一環として、泊村教育委員会が中心になり考案されたスポーツだそうだ。
老若男女、ほんとうに楽しく遊べるスポーツではないかと本当に思った。
私が住む佐久間町半場のお祭りは 佐久間地区(佐久間・中部・半場)の夏祭りの中でも一番最初に行っている。
毎年7月の最終土日が そのお祭りの日だ。
去年のブログ↓
http://hokuen.blog.shinobi.jp/Entry/577/
佐久間の暑い夏、一番最初に行う半場のお祭り。
昨日の区民センターでの お祭りの練習の時は夜なのに暑かったな~。
今年の冬、私が生まれ育った故郷「横吹(よこぶき)」でお酒を飲もうと計画した。
横吹同窓会ブログ↓
http://hokuen.blog.shinobi.jp/Category/32/
自分の予定を見て、決めた7月15日、昨日はその”横吹同窓会”の日だったのだ。
マー君と横吹の道路終点で出会った。
マー君は小学校5年生の時に横吹を引っ越した私の同級生だ。40年ぶりの再開になるだろうか。
しばらくすると、下の方からマー君の弟ケンジが歩いてきた。
ケンジは横吹にいる頃は まだ小さくて私の記憶では・・・・・あのころのケンジとはとても想像がつかない。でも話していると、マー君の横で小さいながらペラペラ話をしていたケンジを思い出す。
今も話好きのケンジは健在だ。
三人で横吹に登り、まずは”ほつ”に寄った。
ノボル君が居た!!
中学校を卒業してからだから・・・・37年ぶり・・・。
玄関先で写真
ノボル君・マー君・ケンジと私4人で”ぎよんど”に登る。
”ぎよんど”の庭で集合写真。
ケー兄夫婦とお茶を飲みながら話をした。
”ぎよんど”を後にして、次は”きりくぼ”を4人の若い衆(中年)は目指し歩き始めた。
奥山さんが住んでいると聞いていたが、今日は留守だった。
奥山さん家の上のうち勝木さんの今まで行く、そこで集合写真。
帰りに”ほつ”によりガリガリ君をいただく、ノボル君ヤス姉ありがとう(^^)
横吹を後にして、車で半場まで移動、私の家で焼肉でビール。
なつかしい話で夜は更けて行った。
「次はもっとたくさんの横吹関係の人で飲みたいね」
去年も、まだ お盆が終わったばかりなのに、もう佐久間駅伝の話があるんだな~っと思ていたのだが・・・・・今年はも~っと早く佐久間駅伝の話し合いが始まった。
それは打合せ事項 第4番目にある「原田橋通行規制について」の話し合いがあるからだ。
原田橋は通行可能になったけど、総重量8t以上の車は通る事が出来ない。
佐久間駅伝の時に、観光バスが通る事が出来ないので、駅伝の運営上どうするのか話し合いがあったのだ。
決まられた予算の中で、どうやって運営していくのか、そんな話し合いだ。
まだ、話し合い途中なので詳しく書くことはできないが、佐久間町体育協会としては予算の範囲でできるだけ続けて行こうとの話し合いで終わった。
佐久間町の体育協会に携わるようになって2年目になる。
佐久間駅伝は毎年1月の最終日曜日の正午にスタートし2時間前後でゴールするが、その選手の走る陰には色々な人たちの支えがあって大会を運営しているのだ。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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