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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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静岡県浜松市の最北端に水窪町と言う町がある、遠山郷はその水窪町から狭い道路を車で兵越峠を越えていく長野県の南端の郷である。

20何年前だろうか、私が佐久間町に帰って来たのは湖西市で働いていた会社の事業所が水窪にあり、親も地元で暮らしたい、との意向があったからだ。

当時、佐久間に帰ってきた私は、家族で信州に車で行ったことがある。

三遠南信自動車道を作ろうと言っていたときである。

天竜峡から車がすれ違いできないほどの狭い道を遠山郷に車で向かった。

すると、突然大きなコンクリートの塊が、三遠南信自動車道の程野 ICが現れたのだ、矢筈トンネルを抜けるまで、まるで今までの道路がウソのような高速道路になっていた。

しかし、その道も喬木ICを下りると、今までのような狭い道になっていたのを覚えている。

遠山郷に着き、道端でお土産を売っている女の人に出会った。

まだ高校生ぐらいの人であろう。

こんな山奥で・・・と佐久間に住む私は思った。

佐久間の方が、まだ良いのかと正直な気持ちおもった。

"しんしん"この時、初めて遠山郷に行った時の気持ちだ。

その私が、遠山郷で「チャレンジマラニックin遠山郷」が行われるのを知り、遠山に行くようになり遠山郷に行くのが楽しくなった。

遠山郷でお酒を飲むのが今から楽しみなのだ。

 

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全ての検査が終わると、ここ三方原の聖隷健診センターでは健康体操がある。

今回はコアコンディショニング(歪みを整え心地よいからだへ)

ストレッチポールを使い、体の歪みを整えていくプログラムだ。

内容は↓
http://www.stretchpole.info/

健康体操が終わり、よいよお昼ご飯、ここの健診センターはホテルコンコルドの協力で体にやさしい味付けのお昼ご飯だ。

ご飯はおかわり自由なので、私は二杯食べてしまた。

最後に、医師からの検査の結果発表。

医師:「コレステロールが今回は高いです、再検査が必要です」

医師:「肺に影があります。CT検査をした方が良いです・・・どこの病院で行いますか?」

 私:「地元の佐久間病院で」

医師:「紹介状を書いておきます」

焼肉食べ放題やビール飲み放題、日ごろの食生活を改善せねば(^^;

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今日は三方原の聖隷病院に人間ドックに行ってきた。

三遠南信ができたおかげで、1時間15分で聖隷病院に到着、もう十人くらいの人がまだ開かぬ健診センターの前で並んでいた。

健診センターの扉が開き、受付を済まし、検査着に着替え、体重・身長・体脂肪の監査から始まった。

検査の中で、一番大変なのが・・・胃部X線検査、バリュームを胃の中へ入れ胃の状態をX線写真で観察する検査だ。

検査台の前に立ち、あのバリュームを飲むのだが、何とも言えない、今回は、検査台の上で何回も回転するよう指示された。

こんなこと、他の人もやっているんだな~と思うと何だか可笑しくなった。

次回につづく。

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先日、9月23日に行われる「第6回チャレンジマラニックin遠山郷」のマラニック冊子に記載する挨拶文の執筆の依頼が来た。

まだ後でいいかな~と思っていたら、昨日パソコンに遠山郷の観光協会から催促のメールが来てしまった。

今朝、ない頭を絞り考え、書いた文章が、これ。

「第6回チャレンジマラニックin遠山郷」開催おめでとうございます。
思い起こせば6年前の冬、水窪の北遠駅伝での待合室で萩田さんに、このマラニックの話を聞いたのが私の「チャレンジマラニックin遠山郷」との出会いでした。
おりしも私の住む佐久間町が浜松市に吸収合併した次の年、浜松市が政令指定都市となり、佐久間・水窪・龍山・春野と山間部の地域、北遠(ほくえん)が天竜区になった年だった。
私としても、
これからこの地域はどうなっていくのだろうか・・・・???????????と憂いている時だった。

その年、「チャレンジマラニックin遠山郷」に初めて参加し、遠山郷の人たち、当時マラニックを企画した前田さん、最勝寺さん、神奈川県の人たちとふれあい、走って笑ってお酒を飲んだ。
ほんとうに楽しかった。
そこで私は思った「まだ来ぬ
これからの事を思い悩むより、今この時を楽しもう」っと。

今年も遠山郷に、その美味しいお酒を飲みに行こうと思っています。

山の人も、町の人も、一緒になって遠山郷で美味しい酒を飲み 楽しい一日を過ごしましょう\(=^O^=)/

こんな風に書いてしまった(^^; 
マラニックに行くのか、酒を飲みに行くのか、分からない自分をさらけ出してしまった恥ずかしい挨拶文になってしまったのだ。

だけど、私も40歳代後半になり遠山郷のマラニックを知り、走って・話して・笑って・汗かいて・ゴールについてお風呂に入って、懇親会で飲むビールの美味しいこと、こんな「チャレンジマラニックin遠山郷」の虜になったことは、間違いない。

 


 

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我が家の太陽光発電は「カナディアン・ソーラー太陽光発電システム」15枚×190W=2.85kwだ。

浜松市からの補助金は3kw以上なので、我が家は国と県の補助金だけの恩恵を受けたことになる。
太陽光発電の補助金のことは↓
http://www.shouene.com/know/subsidy/?ad=ovt600001&utm_source=overture&utm_medium=cpc&utm_campaign=F01_%25E8%25A3%259C%25E5%258A%25A9%25E9%2587%2591

太陽光発電を考えたきっかけは、去年の東日本大震災に伴う福島の原子力発電の事故。
市民の運動が盛り上がり、毎週金曜日に総理官邸前脱原発デモ、などが起きるのをフェイスブックなどで知ってからである。

原発反対!!!とは叫べないけど、私も少しでもクリーンエネルギーのことを考えなくてはいけないと思ったのだ。

太陽光発電は日照時間が長い方が有利なことは分かっている。山間部の町佐久間では平野部の町と比べれば不利なのは分かっている。

そんな時に、友達のブログから知り合った、太陽光発電の業者(ソルエナジー)担当の人の話を聞き、誠実な対応に心を動かされ、我が家でも太陽光発電を設置するようになった。

ま~。そんなことはどうでもいいかな(^^)

今日の発電は12.50kw、消費電力9.72kw、買電6.43kw、売電9.22kwだ。

単純に計算して、今日一日の発電量が12.50kw、売る電力が42円だから。
12.50kw×42円×30日×120ヵ月=1890000円
10年たてば山間部でも元がとれるかな?

太陽光発電を設置するときにオプションで購入したカラーモニター、その日の発電・消費電力・買電・売電が記録されていくのだ。
これが、購入のきっかけにもなった、このおかげで私の節電意欲も向上したことは言うまでもない。

これからも原子力を稼働させなくてもいいように、節電に心懸けよう。

ソルエナジーのHPは↓
http://solenergy.co.jp/index.html

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今回の夏の飲み会を計画してくれたのは、須永さん。
場所は はままつ地ビールレストラン「マイン・シュロス」
私が店を訪れると、大見ちゃが会計をやっていた。

席決めのクジを引くと私は西條秀樹だった(^^v

会の様子は下の写真を見てください。
(クリックすると大きくなります)
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50歳過ぎると人生は楽しい。
55歳の同窓会が今から楽しみである(^^)

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今日は「夏の飲み会」の日だ。
この飲み会は、6月9日(土)に再来年行なう「佐久間中学校同窓会」の打合せのため浜松で同級生が集まった時に、須永君が「次は夏、やるか!!」と話があり、彼から同級生名簿に載っている人に往復はがきを送ったことにより開催することになったのだ。

「同窓会の打合せ」ブログ
http://hokuen.blog.shinobi.jp/Date/20120612/1/

ハガキを送る前に、彼から、私の名前をハガキに載せていいか断りのメールが届いた。
(今回は私、名前だけ。浜松の町に住む人に全てお任せ)

往復はがきを作成するときに、いろいろ悩んだり、大変だったことがあっただろうと思われる。

彼には、ありがとうと言い、ビールを沢山 注いでやろう(^^)

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ここ半場に越してきて、もう24年。
もと住んでいた横吹(よこぶき)では お盆の時は14日に迎え火16日に送り火を炊いた。

コッチに越してきて、13日から炊くのを見て、父親が「昔ながらで14日からにするか」と言い、未だに14日から迎え火を炊くようにしている。

コッチにこちてきて、初めは盆踊りも14日15日16日と三日間行われたが、今は、14日15日と二日間になった。

班で初盆があるときには、その家に班の人が集まり念仏を班の人たちで唱え、河原にみんなで行く。

最初コッチに来た時には、盆提灯を河原で焼き、村の人みんなで念仏を唱え、仏様を送った。

消防の人が待機し、村の人が帰った後、火の始末をしたものだ。

今は、河原で送り火を炊いて、線香をたて、村人みんなでソレゾレに河原の石をたたいて念仏を唱える。

盆提灯を焼くと、黒い煙がモクモクと空に上がり、他の地区でも焼いているのがわかったものだ。

今は環境破壊になると、盆提灯は焼かなくなった。

コッチに越してきて、我が家では二人の人を送った。

今生きている、自分にできることを精一杯やって行こうと思っている。

先祖がいたこらこそ、今の自分が存在しているのだから。

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スタート前にアクトをバックに記念写真(ヨッピーさんとひろこさんがいないぞ!!)
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2012年8月11日(土)朝7時に11名のランナーが浜松駅を走り出した。
内4四人は、遠鉄電車の新浜松駅から西鹿島駅までショートカット(^^)

一人遅れてくるとの連絡を受けたので、私はその人を改札口で待っていた。

その人と、北口で記念写真
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二人遅れて浜松駅を後にした。(これで13名集まった)


ランナーは国道152号線を佐久間・水窪方面へ走っていく。
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ようやくたどり着いた、龍山の秋葉ダム

佐久間町下川合の伊藤さんちの別宅に到着したのは夕方5時25分だった。

お決まりの、露天風呂に入り、宴会に合流した。

今回 疲れすぎ・・・宴会の写真は撮れなかった(^^;

次の日、伊藤さんちの別宅を朝の6時半出発。
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佐久間を今日は南下するのだ。

流石に疲れたので、今日は西鹿島駅から赤電に乗ろうと思いながら走る。

鹿島橋ではお祭りの屋台内出会う。
IMG_2850.jpg













西鹿島駅を15時24分の電車に乗る。新浜松駅を15時56分に着き、JR浜松駅まで走り南口にゴールした。

今年も走った、西鹿島駅からショートカットしたけど(^^;

この夏の「浜松縦断マラニック」参加者13名、往路13名(西鹿島から4名西鹿島まで2名)復路7名(西鹿島まで5名)

そして2012年の「浜松縦断マラニック」往復120kmをすべて走りとおした人は2名いた。
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真ん中にゴールボランティアの人を入れて記念写真、今年も色々な人に支えられ、「浜松縦断マラニック」を無事に終えることができた。
 

感謝!!

 

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マラニック前日である昨日の夕方、私は母はお世話になっている老人ホームの納涼祭に歩いて向かっていた。

その時に、携帯に着信。14人目の浜松縦断マラニックの参加希望の話しが着たのだった。

ありがたい事です。

7年前、私が走った道(浜松駅南口から佐久間60km)を、今日は14人のメンバーで走る事になる。

町から山へ。


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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
65
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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