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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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今日は、佐久間中学校75の忘年会だった。

集まった人は、纐纈・み~やん・さとし・てんしん・ぶちゅ~・ミツ・イマイズミ・私の8名だった。

佐久間の地元で、寿司屋をやっている人がいる、その店「江戸芝」での忘年会だった。

集まった人は、それぞれ忙しい時を都合を着けて、この忘年会に来てくれたのだろう。

ありがたいことです。

2年後の同窓会、次は浜松で行うと言う。

今から、その同窓会に向けて、浜松に住む同級生は準備に頑張ってくれている。

これも、ありがたいことです。

今日も一日、美味しいお酒を飲んで気持ちよく酔う事が出来た一日でした。

おやすみなさい。

お(^o^) や(^O^) す(^。^) みぃ(^-^)ノ゛

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55歳の同窓会まで、後二年。
同窓会の打合せを、佐久間ではなく天竜で行ったらどうでしょう?と言うメールがあったので、

了解しました。
11月10日何処へ何時に参上しましょうか?
しんしん
と返信した。
ところが、次に来たメールでは、やはり佐久間での話し合いになる内容だった???
佐久間に住んでいる人は、佐久間に来てほしくない???のか、浜松に住んでいる人が佐久間にワザワザ来るのが大変だとか気を使っているのか?????。
佐久間に住もうと、浜松に住もうと、同じ日本に暮らしているのに。
佐久間(過疎・ダメなとこ)浜松(便利・いいとこ)との感じで劣等感があるのか?
今は私、同窓会を始めたときのように、佐久間で佐久間でとの感じはなくなった。
佐久間でやったり、浜松でやったりすればいいのだと。
少しは私〇くなったのか(^^)


私の思いをわかってほしく、私は下のような内容のメールを送った。


こんばんは。
今日は長女の赤ちゃん(私にとっての初孫)を浜松に連れて行きました。
しばらく孫ともお別れ(^^)
 
話の続きです。
この動画を見てほしいです。
 
荘川桜物語は、小学校の授業でも取り上げられたり、テレビでドラマ化されたりしているので知っている人も多いことと思います。
その荘川桜の移植作業を見て、佐藤良二さんは、桜にみせられ、桜の苗を名古屋~金沢まで植えて行きました。
JR東海バス名古屋支店地内にある「1号桜」の横の碑に佐藤良二さんがこの世を去る間際に残した言葉が書いてあるそうです。
「この地球の上に,天の川のような美しい花の星座をつくりたい。花を見る心がひとつに なって,人々が仲よく暮らせるように」と。
この荘川桜の話は全国に広がり、全国の小中学校に荘川桜が植えてあるところが多いそうです。
近くでは、龍山にあります。
 
荘川村では、毎年荘川桜が咲くころ、ダム建設で荘川村を去った人や、荘川村に残った人で、荘川桜の下で宴をやるそうです。
 
そう、私も5年に一度ぐらいは、この佐久間で・・・との思いがあったのです。
 
しかし、半場に「三好野」があった頃、50歳の同窓会の話をその三好野で酒に酔ってみ~やんと話したことがある。
 
み~やん:「こんなとこ(佐久間)何やっても良くならないよ」
 
 私  :「・・・・・・・・」
 
み~やん:「同窓会も浜松かどっかでやった方が良い」
 
 私  :「5年に一回ぐらいは佐久間で・・・・・・」
 
み~やん:「清流荘でやってもうまいもんないし」
 
 私  :「・・・・・・・・」
 
み~やん:「こんなとこ、俺も金があったら出て行きたいんだよ~。みんなそう思ってるよ~」
 
 私  :「・・・・・・・・・」(だったら出てけ!!)
 
こんなことを話した気がする。
 
そこで、50歳の同窓会の時はアンケートを書いて貰ったのです。
 
アンケートの結果は↓の掲示板にアップしています。(ハンドルネーム中部は知〇です)
50歳の同窓会が清流荘で終った時、み~やんが二次会にいくぞ~っとみんなに声をかけていて、私が清流荘の宴会が終った後の会場を見回すと、揚げ物のなどの残骸が残っていたのを覚えている。
み~やんの、「外に出てうまいものを食いたい」そうだな~と思ったのを、覚えている。
 
清流荘に泊まったのは、俺とコウリュウと森下君と村田君。
森下君はおとなしいのだが、コオリュウと村田君は夜も遅いのに、ラーメン食いたい、ツマミは無いか!!と大変だった(^^)
私の心には、こりゃ~佐久間では無理だ(^^;
と思ったのだった。
 
話は変わって。荘川桜の話。
佐藤良二さんが桜を植え、作ったさくら道、250kmに及ぶ長いさくら道を、走ろうと言う”さくら道遠足”というマラニックがある。
 
浜松市市制記念12市町村を走ろうと言うマラニックを企画している人や走っている人は、この”さくら道遠足”を走ったことのある人がいて、私もそのマラニックに興味が出て、荘川桜を見てみたい、佐藤良二さんの植えた桜の木を追いかけ、荘川村に行ってみたいと思うようになりました。
 
私は、29歳の時、半場に引っ越してきました。
佐久間町が浜松市に合併し、NPOがんばらまいか佐久間ができ、参加して浦川の島中に「ふるさとの森」を作る企画が始まり、参加させてもらいました。
いままで町会議員だった人や、役場で重役の人が、いつもはスーツを着ている人が、鍬や窯を手に奮闘している姿を見て、嬉しく思いました。
今は亡き、大平さんと島中の運動公園でお弁当を食べたのが良い思い出です。
 
ところが、そのNPOがんばらまいか佐久間も他の佐久間町に住む人が、批判的に思っている人が多いのも確かです。
佐久間町は佐久間地区・浦川地区・山香地区・城西地区とそれぞれ違います。
佐久間地区も佐久間・半場・中部と。
1975年に佐久間中学校を卒業した同級生もそうです。
みんな違います。
 
みんな違うのは、あたりまえ。そんな違う人が集まる。違わないのは佐久間という地域に子供のころ育まれたこと。
そこで、文頭での佐藤良二さんの言葉である。
「この地球の上に,天の川のような美しい花の星座をつくりたい。花を見る心がひとつに なって,人々が仲よく暮らせるように」
佐久間ダムは完成し佐久間がダムで潤って居る頃、佐藤良二さんは、こんな気持ちで桜の木を植えていた。
 
中学校一年のころ、沖縄に引っ越していった、中部さんは、私がこの荘川桜の話をブログで書いたら、コメントに こう書いてくれました。
 
御母衣ダムは実は私の産まれ故郷なんですよ(^^)
父の仕事の関係で、私は荘川桜のあった村で・・・まさしくダムの湖底に沈んだ所で産まれたんです。
そうなんですか、その桜の二世が天竜区にね(^^)
父は当時ダム建設の会社に勤めており、その関係で岐阜から佐久間小学校に1年生の時転校してきたんですよ。  当時は佐久間ダムの奥の新豊根ダム建設で佐久間小学校には全国から大勢の転校生が出たり、入ったりして賑やかでしたね。
懐かしいです。いつか訪ねてみようと思います。
 
同級生の中にも、色々な人がいます。
私もその一人(^^)
 
しんしん

私の思いは届いただろうか。

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昨日は体協の理事会だった。

毎年のように、佐久間駅伝大会の役員(ボランティア)募集の話だった。


(第47回ではなく第37回の間違いでした)m(._.)m ペコッ

ここ佐久間に住むようになり、佐久間小学校体育館で空手を習うようになり、佐久間町体育協会(合併前)に入り、この役員会に参加し、空手で一緒に稽古をしている子供の父兄にこの話を持って行ったことがある。

それぞれ、仕事や趣味などがあってなかなか集まらなかったことを覚えている、大変だったな~(^^;

何処の、体育協会の佐久間支部でも同じ問題があり、この役員会で話し合ッた所、下の追加の内容が出来た。

※部の会員以外(ご家族・友人など)でもかまいませんので、ご協力いただける方の選出をお願いします。

だ。

フェイスブックで募集してみようかな(^^)ダメもとで。

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昨夜は地元のNPO「がんばらまいか佐久間」の会合に行ってきた。

第4回交流居住モデル事業委員会の話し合いなのだ。

今年は、天候にも恵まれ、沢山のそばの収穫に恵まれそうだ。

ところが・・・・・話によると・・・・NPOでソバの耕作地を広げ、今は沢山のソバがに実っているのだが・・・そのゾバを刈るボランティアの人を集める問題が発生しているのだ。

NPOは民間非営利団体、基本はボランティアなのだ。

難しい問題だ(^^;
b93cc9d1.jpeg





 











佐久間には色々な集まり団体がある。
がんばらまいか佐久間・商工会・観光協会・野田やまびこ会・など他にも私の知らない所もあるだろう。

こんな団体・集まりの人が みんな手を取り合って仲良く、地域の事を考え行動していく・・・そんな日が来ることを私は希望している。

まずは自分から、行動して行こう。

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佐久間の夕暮れも、だいぶ涼しくなりました。

今日は、晩酌を日本酒(鬼殺し)にしました。

生モツ・ごぼう・人参で、モツ煮を作り。
IMG_3071.JPG












カツオの刺身で、今日の晩酌。

今までは、冷たいビールだったけど、今日は熱燗でイッパイにしたのだ(^^)

う~ん、お酒を飲める幸せを感じます オイシカッタニャー~(=^・・^)ノ>゚)##)彡

 

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28日に兵越峠で「峠の綱引」があると聞き、その日に「遠山紅葉ラン」を計画していたのだが、大切な奥様が「28日は孫を連れて浜松に行ってほしい」との命令があり・・・・急遽、紅葉には早いと思ったのだが今日、そのコースに行くことになった。

佐久間駅を朝6時21分の飯田線に乗り、水窪駅へ。

水窪駅を6時45分ごろから走り始める、いや 歩き始める。

はくりやに7時45分、食料を買い(210円)、また歩き始める。

青崩峠に9時45分。ここから兵越峠までは尾根沿いの道を行く。
IMG_3052.jpg






 






尾根沿いと言えど、アップダウンはかなりある。

兵越峠に11時10分。

ここから遠山郷まで、ひたすらに下っていく。

このた での期待していた紅葉は、まだまだだった。

遠山郷(道の駅)の観光協会「アンバマイカン」に着いたのが13時55分。

ここでレンタル自転車(3時間300円)を借り、木沢木造校舎までサイクリング。

帰ってきて、和田城のカフェによりシホンケーキにコーヒー。(500円)

「アンバマイカン」に帰ってきて、ここから乗合いタクシー「おちゃまる二号」に乗り、飯田線の平岡駅に帰ってきた。(650円)

 

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第9回浜松シティマラソンの申し込みが来た。

浜松シティマラソンは、二年前までは10マイルのレースだった。10マイルの時は、シティマラソンとは名ばかりで応援の人も少ない浜松自衛隊基地周辺のコースだった。

それが今年の第8回(22年度の大会)は浜松市制100周年記念で、距離を増やしてハーフマラソンを走らせてくれた。

スタートも、いつもは四ツ池運動公園なのが、この時は浜松市役所横からのスタートとなった。

走る仲間の噂では、この年は記念大会だからハーフになったのだ、次の年からまたいつもの10マイルになるのだとの話がチラホラ聞こえてきた。

だから私も、今回は浜松はパス・・・と思っていた。

ところが、この申し込みを見ると、第9回もハーフの部があるではないか、コースも前と一緒。

こりゃ~浜松も走るしかない(^^)

PS
今回の浜松シティマラソン、案内の注意事項に「仮装のほか、競技に必要のない携行物は自粛してください。当日、係員に指摘された場合は指示に従ってください」とかいてあった。
私の知り合いにも仮装ランナーは沢山いる、どうするのだろうか???

 

 

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今年も森町ロードの申込用紙が来た。

去年のブログ
http://hokuen.blog.shinobi.jp/Entry/657/#comment

ここのマラソン大会は、もう何回参加しているだろうか?
一番思い出深いのは、2003年 2月 2日 森町ロードレース 自己ベストの1時間27分32秒で走ったことだ。
今から9年前、しんしん42歳の時、私もこんな時代があったのだ。

今年は・・・・・できるなら・・・・・1時間40分前後で走りたいものだ(^^)

 

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今日、偶然にも「静岡 市町村駅伝2002」の熱闘の記録の雑誌が手に入った。

ペラペラめくって眺めると、昔の思い出が甦った。
811edcdf.jpeg



































 

この大会の時、私は佐久間中学校で行われた市町村駅伝の代表を決めるタイムトライアルに参加したのだった。

参加人数の少ないこともあって、私のような鈍足ランナーでも補欠ということで佐久間町のユニホームを着れることになったのだ。

駅伝大会の前日、仕事を早めに切り上げ、佐久間の役場に選手たちが集合し、明日の駅伝大会での激励を役場の職員にしてもらい、佐久間町のマイクロバスで静岡市まで向かっていった。

前年までの私は、静岡県市町村対抗駅伝大会の当日朝早く佐久間町が用意してくれた応援バスに乗り込み、静岡市まで出かけて行ったのだが、この年は選手として・・・・。
(この時はもう補欠と決まっていたので旅行気分)

開会式会場であるグランシップ移動、正選手たちは体調管理もあるので、私たち補欠が開会式には参加するようになった。

アナウンサーの「町村の部 佐久間町」の声に合わせ、グランシップの体育館を歩き出した。

観客席から、小学生の部で走る選手が「さ・く・ま~~♪」っと叫んでいるのが聞こえた。

静岡県内全74市町村の選手がそれぞれの町の旗を前に整列、前を見ると、当時の石川嘉延県知事を真ん中に静岡県内の市町村の首長はずら~り勢ぞろいしていた。

その中でも、佐久間町の町長は身長も高く 何故か光り輝いていたように私には見えた。佐久間町は田舎だけど、佐久間の町長は、74市町村の中でも目立ち立派に見えたのだ。

この市町村駅伝は、静岡県の西部地方の山の奥でも、地域を愛する気持ちが湧いてきて自分にとっても本当に良かった、補欠でもこんな経験をできて本当に良かった。ジャンじゃん(^^)

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
65
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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