ウィンドーウズ98が衝撃的に発売し、私もパソコンに興味を持つようになってきた。
始めに買ったパソコンは、NECのキャンビー。
佐久間でパソコンの詳しい人がいてホームページを作っている話を聞き、その人に聞きながら自分もほホームページを作るようになった。
コンテンツをと考え、自分は走る事が趣味だから、走る(RUN)私の昔のニックネームが(つ~)と呼ばれていたので、ホームページの名前を「RUN2 homepage」にしたのだ。
10年くらい付き合ってきた私のホームページもリュニューアルを繰り返し、↓のデザインに落ち着いている。
「RUN2 homepage」
http://run2.ina-ka.com/
その、ページの真ん中のコミュニティーの下に「ほくえん旅ラン」のバナーを作った。
このバナーから、私の手作りのマラニックが見れるのです。
私のホームページは、上と左側と真ん中のフレームに分けられている。
左と真ん中の所は「忍者」のレンタルサーバーを お借りしている。そのため、下に宣伝のボタンがいくつかある。
上のフレームは、宣伝が入るとおかしくなるので、ブロバイダーのサーバーでの表示だ。
私なりに、いろいろ苦労して考えて作っているけど、他の人が見ると ずいぶんわかりにくいそうだ。
こんなふうにしたらいいのに、こんなページを作ったら便利なのに、との意見があったらぜひ教えてほしい。
今回は、この「たつやま凸凹マラニック」の日だ。
企画した私は、普段車で、 国道152号線を走って通り過ぎていくので、みんなあまり知らない龍山町の斜面部落を色々な人に見てほしい、何か感じてほしいと企画した。
来てくださった方は、よっぴー・うっちゃん・ほれほれさん、私を入れて4人での開催になった。
やすらぎの湯 の駐車場を9時ごろスタート、秋葉ダムの東岸を北上、吊り橋まで3kmくらいかな、吊り橋を渡り、国道152号線を少し行くと「青谷」の集落までの上り坂になる。
まずは、最初に現れる「青谷」の集落、急斜面に点在する集落の主な畑は茶畑だ、急な斜面に綺麗に手入れされた茶畑は芸実的である。
「青谷」集落を横に行くと、「大庭」の集落がある、その集落の上の道を横に行くと、「不動の滝」がある。
「不動の滝」には、その昔、まだ景気が良かったときの龍山村の時代に遊歩道を整備した。
私は何回も行ったことがあり、行かなくてもいいのでは・・・と、思ったのだが・・・みんなが行くので・・・しぶしぶついていくことにした。
そしたら、滝が凍っていて、何とも素晴らしい光景に出合えた。
「不動の滝」からは、ひたすら下る。
ここも竜頭山が向かいに見える。
「瀬尻」の町(人っ子一人見えなかったけど町としよう)でトイレ休憩。
瀬尻橋を渡り、天竜川の東岸を3.5kmくらい北上、大輪(おおわ)の手前、大輪橋をバックに写真。
ここから上平山の集落に、またまた上りが続く。
途中、湧水が出ているところあり。
上平山の綺麗に整備されている茶園の横を走る。
秘密のエイドに到着。
そこの、カっちゃんに 昔の下平山の話を聞きく。
下平山は昔 鉱山はあった頃は飲み屋があったりパチンコ屋があったりにぎやかがった頃の話を聞きながら 私たちは遅いお昼ご飯を頂いた。
お茶が美味しかったな~。
カっちゃんの家を後にして、下平山小学校のあった場所に到着、今はゲートボール場になっていた。
カっちゃんが小学生のころは沢山の子供たちが遊んでいただろうこの場所で、今日はマラニックに来た人が大空に手を挙げた。
ここから、山道を スタート地点である やすらぎの湯を目指して走る走る。
今日、走ってきた村々をバックに写真撮影。
スタート地点に戻ってきたのが3時頃、やすらぎの湯で疲れを癒し、今日のマラニックは無事終了した。
佐久間、ほくえん に住んでいて、この地の事を私はよく知らない、今日は私の住むこの山奥の 素晴らしい景色に巡り合えた。
今日の写真↓
また、「たつやま凸凹マラニック」(カっちゃんに会いに行こう)を企画しようと思っています。
次は、新緑の季節、4月の28日あたりを予定しています。
毎年、佐久間では1月2日に成人式が行われる、県内各市町村では一番最初に行われる成人式だ。
佐久間町は合併して、「NPOがんばらまいか佐久間」を作り、成人式や敬老会を、このNPOで行うようになった。
この成人式はNPOのスポーツ・文化活動委員会が行っている。
去年は私の次女が、この成人式で祝ってもらった。
合併前の様に、豪華な式典ではないが、手作り感があり、心に残る成人式ではないだろうか。
今年は、佐久間歴史と民話の郷会館で行われ、新成人48人が新たな門出の祝福を受けたそうだ。
私の成人式のときには(32年前)佐久間小学校の体育館での式典だった。
200人近くの成人者が集まり、その中のほとんどが町外に出て行った人ばかりだった。
式典が終ると、家にも帰らずに同窓会の会場(かじか荘)に行き積もる話で酒を飲みかわした。
なつかしい思い出がある。
好きな歌で、ゆず - 友達の唄がある。
その中に
「変わってゆく暮らしの中で失う物もあるけど、何も変わらない物だってあるんだよ」
その、何も変わらない物が・・・この佐久間には・・・あるんだな~(^^)
今年の箱根駅伝・・・・・劇的なゴールシーンを確認し、私は外に走りに出た。
久々の大輪往復コース。
天竜川橋りょうを渡り、今は廃校になった佐久間中学校の横をジョグ、いつもは物静かなグランドで今日は若者がサッカーをやっていた。
国道473号線にぶつかり左折、巨大な佐久間の文化会館横を走り まめこぼしトンネルを抜けると歩道もなくなる。
故郷から帰る人たちだろうか、ずいぶん車が多いな~。
6kmくらい走ると西渡だ、ここから国道152号線を大輪に向かって走る。
すると、黒のエルグランドがハザードをだし停車した。
帰郷した佐久間中学校の同級生だ。
今から東京に帰るそうだ。
大輪に着き、今来たロードを帰る。
風が強くなり、身体が冷えてくる。
{{{{(+_+)}}}}寒ううぅ~
ゴールである自分の家の前に着いた、2時間。18kmのランニング。
家に入る前に、庭先でフキノトウを見つけた。
風呂に入り。
さっき見つけたフキノトウをつまみに、ビールで乾杯。
祝福のひととき。
え、ビールと違う。
私ん家ではこの発泡酒をビールと呼んでいる
(*^¬^*)ウィーッ!!もう一杯!
昨日は自分のホームページ「RUN2homepage」の更新作業をした。
ホームページを作ってもう十年以上になる。
「RUN2homepage」は↓
http://run2.ina-ka.com/
昨日は2013年の、「ほくえん旅ラン」の予定ページを作ったのだ。
「RUN2homepage」のコミュティの下の左側に「ほくえん旅ラン」のバナーを置き、そこをクリックすると「2013ほくえん旅ラン」のページに行くようにしたのだ。
水分時間をかけて行なった作業、自分でも呆れてくるくらいだ(^^;
しかし、どんな些細なことでも、何がどうなるのか分からない、継続は力なり。
そのページは↓
http://run2.ina-ka.com/hokuenntabi.htm
がんば・がんば。
2012年のあなたを楽しく新聞にまとめます。
「自分新聞2012」
facebookでこんなアプリが流行っている。
早速、自分も作ってみた。
facebookは13歳以上であれば無料で参加でき、実名登録制となっていて、個人情報の登録をするようになっている。
明日でfacebookに登録してから丁度一年になる。
佐久間は合併する前に、佐久間病院を新しくし、ヘルストピヤセンター(地域福祉活動を支援するため設置)を作り、特別養護老人ホーム(さくまの里)も作った。
5年前の11月、私の母親はここ さくまの里 に入所した。
母親の病気は痴呆、ボケと言うやつだ。
夜も昼もなく、外に出て帰ってこれなくなってしまう。
父親が、私の寝ている部屋に来て「かちゃーがドッカニ行った」そんなことが度々あった。
近所の家の物置に入ったとか、前に住んでいた"よこぶき"に行ったとか、いろいろあった。
地域の人には、ずいぶんお世話になった。
今は さくまの里 で穏やかに暮らしている、母親86歳。
産まれ育った、この地の老人ホームで暮らしている。
佐久間病院・ヘルストピヤセンター・特別養護老人ホーム(さくまの里)、ほくえんの地域医療を考え作ってくれた先人の人に感謝。
部屋の前からは・・・・この景色↓
http://run2.ina-ka.com/www3/Untitled2.html
私の家の お墓は相月(あいづき)のお寺にある。
その村は、私がここに越してくる前に住んでいた横吹(よこぶき)の前の山の谷合にある村だ。
もともとは横吹に墓地があったのだが、兄が若くして亡くなッた時に、今は亡き父親が、兄の墓と一緒に家の墓もそのお寺の敷地に作ったのだ。
お墓の前には、谷あいにある集落がみえ心落ち着く。
もう9時半だと言うのに、ここ相月はまだ寒い、お墓の周りの掃除をし、冷たい水でお墓を洗い、香の花を供え、線香を祭る。
一息つき、冷たくなった手を温めていたら、昔懐かしい友が やってきた。
三人兄弟の子供をつれ、長男は二人の お孫さんも連れてきていた。
ここに来ると、思わぬ人に出会う。
ほくえん にはこの景色・・・・・山がありお茶畑がある。
私の住んでいる町「佐久間町」には佐久間駅伝がある。
私が佐久間中学校の生徒だった頃(中学3年生)の時に始まった大会だ。
佐久間町には沢山の人がいて私の学年だけでも120人ほどの生徒がいた。
そのころは、走る事なぞ考えもしなかった。
そんな私が、結婚して佐久間に帰ってきて、職場の仲間に誘われて参加した佐久間駅伝、山の中の駅伝大会なのに沢山のチームが参加し にぎやかだった(当時100チーム以上)
佐久間駅伝の他に、会社がある水窪町の「北遠駅伝」にも参加した。
ここの駅伝は、水窪町内での応援すごかった。
水窪中学の学校の先生が走って西浦の奥から町内に来ると水窪中学の生徒が応援していた、それはそれは凄い応援だった(応援の人垣が出来て、応援者のすぐそばを走るのだ)。
私はいつも人気のない西浦から池島までの区間だったので、そんな応援の中を走ったことはないのだが、走り終わってから友達と見に行ってそんな光景に出くわしたのだ。
そんな ほくえんの駅伝大会「佐久間駅伝」は浜松市に合併になり予算が削られ、限定100チームになってしまった。
「北遠駅伝」は昔のようなにぎわいはなくなってしまっている。
ほくえんの駅伝、これからどうなっていくのだろう。
その答えを見つけに、今年初めて申し込んだ、南信州の天龍村で行っている「梅花駅伝」
天龍村は、大きくなった浜松市と隣り合わせの長野県にある。
佐久間や水窪と違うのは、どこの市町村とも合併をしないと単独での市政を貫くと決断した村なのである。
人口1000人ほどの村で、この梅花駅伝は参加チームを140チーム受け入れて運営している。
どのようにやっているのだろう???
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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