佐久間自治センターに朝8時半集合。
今日は、第38回佐久間駅伝大会 前日の準備だ。
去年の夏 8月10日に初めての話し合いがあった。
(次の日のブログでも書いた)
http://hokuen.blog.shinobi.jp/Entry/310/
まだ暑い夏から話し合いがあり、こうやって色々な人が携わって、第38回佐久間駅伝大会が開催されるんだな~。
今日は、ランナーの走るコースを周り、誘導のためのラインが消えていないかの確認、分かりにくい所は書き直したり、自治センターに戻り、会場の設営、無線の準備などをした。
コースを自治センターの人と車で走っていると、各地区の人たちがゴミ袋を手に持ち清掃をしていた。
これは、NPOがんばらまいか佐久間で呼びかけ、各地区のNPOの会員が「走る人に気持ち良く走ってもらおう」っと数年前から始まった。
前回のブログで、【遠山郷で行われている「チャレンジマラニックin遠山郷」のように、マラソン大会にすれば手間暇も少なく済むのでいいのでは】と書いたのだが・・・。
佐久間駅伝は、こうやって沢山の人々がこの大会を行うために今まで努力してきて、明日38回目を迎えようとしている。
そんなに簡単に、この佐久間駅駅伝は絶やしてはいけないと今 私は思うようになってきた。
(だけど、過疎化の進んだ佐久間では、それを維持する人材が少なくなっている・・・・・・そこが問題だ(^ヘ^))
仕事を6時30分に終へ、佐久間自治センターに7時から始まる「第38回佐久間駅伝大会 役員打合せ」に行ってきた。
今日は、第38回佐久間駅伝大会に携われる多くの役員代表(ボランティア)が佐久間自治センターの会場に集まっていた。
大会事務局から説明があり、大会役員の役割分担の確認、各部署における注意事項について話あった。
その話し合いの後、各部署ごとによる細部の検討 打ち合わせをして解散となった。
何時もの年の佐久間駅伝は、100チーム以上の参加の大会だったのだが。
今回は補助金削減で予算が足りなく、一区間の移動のための観光バスを三台のところ二台し、参加チームも100チーム限定で申し込みをした。
その、100チームの駅伝参加者のために集まった大会役員 ボランティアは244人。
毎年、参加している佐久間駅伝、こんなにも多くのボランティアの皆さんに支えられて走っているのだ。
ありがたいことです。
今日は、監督会議だ、今回は 佐久間体育協会の役員としての出席である。
事務局の私は、自治センターの駅伝担当S氏から渡された、「監督会議シナリオ」に書いた通り話せばいいだけだ、が・・・・緊張・・・する~。
去年までは、こっちに座っていたのだ。
緊張と言っても、第48回 佐久間駅伝の監督会議、参加100チームなのに今日監督会議に来たのは10名だけ。
体協の人でも、監督をやっている人がいるので、13名。
佐久間町体育協会は8月のまだ お盆が過ぎたばかりに、第一回会合をやり よ~やくここまでやってきた、沢山の人の苦労があって ここまでこぎ付けたのだ。
次の予定は、大会前々日に話し合いがあり、前日に駅伝準備がある。その時には、自治センター職員、佐久間体育協会のメンバーが手伝いに来る。
会議が終わり、天竜署の方を見送り、役員たちで会議室の片付けをして、家に帰ったのである。
おまけ
かなり近くまで行っても逃げようともしない。
朝、芝生に糞がゴロゴロしているかと思ったが コイツの仕業かな(^◇^)
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。