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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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公用語にすべきではないと考えます。
それは、地球の中の多くの国があります。縁があり、その中の日本の国に私たちは暮らしています。
母国語は日本語です。
日本語を覚え、日本の歴史を勉強し、日本語で自分の意見を述べるようにしてから、英語を学べばいいと思うからです。
公用語は日本語、他の国の言語は後から習えば良い。
との考えです。

今日の朝礼からの設問で、英語を公用語にすべきか?との問いがあり。
自分なりに書いてみた。

以下
自分の経験などを文章に入れた方がイイとの、話だけど、私は海外に行ったことはない。
日本語も上手に話すことができない。
日本の歴史書、何冊か読んだ。
渡辺昇一「少年日本史」
百田尚樹「日本国紀」
出口浩明「日本史講義」
読んだだけで、自分の頭にはシッカリ入っていない。

それでも、今日の設問をやってみた(笑)

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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