10月2日は
「ぐるっと浜名湖一周エンジョイウルトラマラニック」
前日にウェルカムパーティーがあるので
それも参加。
せっかく街に出るのだから、思い出深い湖西市に行くのだから、FBで友達になった、昔勤めていた会社の上司に会おうと思い約束した。
場所は新居町「小松楼まちづくり交流館」
10月1日朝
遠鉄電車で浜松に向かう途中
隣の席に座っていた人に声をかけられた。
「新○さんですよネ~」
その人は、「たつやま凸凹マラニック」でお世話になっている○木ち○子さんだった。
最初、声をかけられたときには、誰だったのかわからなかったが思い出した。そして名前もそのときに出て話をした。
新浜松駅に着き、階段を下りると水窪の幟が目についた。
丁度いい、水窪名物「栃もち」を購入した。
私が所属しているNPO「山に生きる会」の人たちも一区画のブースで何やらやっていた。
今日は「山フェス」浜松市として山間部をアピールしようとの企画なのだ。
マラニックがあるため、今回は私参加することはできなかった。
その旨を事務局の人に伝え、東海道線で新居駅に向かう。
「小松楼まちづくり交流館」をグーグルマップで案内してもらい、新居駅から会館までは徒歩。
着いたぞ~。。
懐かしい人に出会った。。。
「小松楼まちづくり交流館」
は、その昔は芸者や遊女を抱えている家「置屋」だったそうだ。
そこで、先輩は地域の老人の写真展をしている。
74歳
まだまだ元気、やることがイッパイあるそうだ。
様々な地域の大役を背負っているそうだ。
昔、私がフジユニバンス水窪事業所に勤めている時
職場のリーダーで、多くの嘆きを言ったことがある。
そのとき、山間部の会社で働く人を年寄りばかりだからと嘆いたときがある。
そんな時
「年齢が上だから何もやらない、そうではない若くても何もやらない人はいる、また逆に齢を重ねてもイキイキと頑張っている人もいる」
そんなような事をリーダの前で話したことを覚えている。
そんな懐かしい昔話に花を咲かせ、「小松楼まちづくり交流館」を後にした(^O^)/
夕方になり、
「ぐるっと浜名湖一周エンジョイウルトラマラニック」
のウェルカムパーティー
を待っているとき
私の動画を観ているらしい人から声をかけられた。
ボランティアで夏の「富士山頂往復マラニック」でもサポートをしてくれた人らしい。
大変ありがたいことです。
またまた
「ぐるっと浜名湖一周エンジョイウルトラマラニック」
を走っている途中に
三ケ日駅前のコンビニに入ってガリガリ君を買って出てきたときに
若い40歳代の男性に
「新○さんですよネ~」と声をかけられた。
「え」如何して?
男性:「私もトレランやっている」
男性:「私は龍山出身だから」
男性:「嫁は佐久間」
私:「佐久間は何処」
嫁:「中部」
嫁:「ヨシアキの娘」
え、えええ~。
なんという出会い。
知り合いの知り合いは知り合いだ(^O^)/
今回の
「ぐるっと浜名湖一周エンジョイウルトラマラニック」
で、多くの出会いがあった。
人は一人では生きてはいけない。
自分では感じない出会いを感じた二日間であった。。。
浜松近辺のランナーが
遠くから浜松にきてくれた、走る仲間を
お・も・て・な・し
それはウェルカム・パーティーによく表れている(^O^)/
呼びかけ人
ヒロボーさんの思いが、みんなに伝わって、多くの人が会を盛り上げてくれている。
生バンド
Hiroタップダンスシティのみなさん
楽しいウェルカム・パーティーを終わり。
次の日、
日曜日の午前1時スタートの100㎞に備えて仮眠。。。
2016年10月02日日曜日
多くのランナーが、弁天島をスタートした。
動画です↓
様々な出会いがあった
今年の
ぐるっと浜名湖一周エンジョイウルトラマラニック
わたしは100㎞
ゴールは16時13分
15時間13分の旅だった。。。。
詳細は後程(^O^)/
9月24日(土)
BSプレミアム
「限界に挑め!天空の超人たち~激走!日本アルプス・2016~」
の録画を、今、観た。
日本海をスタートし、
北アルプス(剱岳-薬師岳-槍ヶ岳山荘-上高地)
上高地-薮原駅-旧木曽駒高原スキー場
中央アルプス (木曽駒ケ岳-空木岳)
駒ヶ根高原-市野瀬
南アルプス (仙丈ヶ岳-塩見岳-赤石岳-聖岳)
畑薙第一ダム-井川オートキャンプ場-井川ダム-富士見峠-静岡駅
大浜海岸(ゴール)
距 離 約415Km
累積標高差 約27,000m
富士山を海から頂上までを7回分の高低差になる。
そんな、日本一過酷なトレランのビデオを見た。
ある人は
「行けるところまで行きたい」
又ある人は
「自分の可能性を探す旅」
そんな風に語っていた。
平均年齢40歳
カッコいい大人の夢のカケッコだ。
わたし、けしてソバ通ではない。
そんな私の今回のお話はソバ処の話。
日曜日の
チャレンジマラニックin遠山郷
走り終わって後夜祭で浴びるほど酒を飲み、ほろ酔いで、フラフラと観光協会「アンバマイカン」の前を歩いていると、若いアベック(今はそうは言わないかナ)が足湯につかっていて、声をかけられた。
「今日は何かあったのですか?」
何時もは閑散としてる田舎の道の駅が、今日はやけに賑やかいと不思議に思ったみたいだ。
まだ寝るには早いと思った私は、そのアベックの隣に座り、話し出した(^◇^)
「マラニックといい走るイベントがあったんだヨ」
「今は、その大会の後夜祭が終わって仲間が集まって二次会」
「君たちは、ココには如何して」
夫と思われる人が言うには
「遠山は生まれ故郷、今は親はいないけど、山が好きでたまに訪れている」
「こんなに人が多いので何事かと?」
そんな話をしていると、酔った仲間が一人二人と集まって来て
ねほりはほりと話が始まった。
ある人は清酒一升瓶を持ってきて
その人たちは夫婦で、今は名古屋で蕎麦屋をやっているそうだ。
ソバ処「日向」
「日向」と書いてヒムカと読むそうだ。
ネットで検索して出てきた「食べログ」
https://tabelog.com/aichi/A2302/A230201/23013353/
ナカナカおしゃれな店構え。
遠山の人が、名古屋で頑張っているのだナ~。
今回の遠山のマラニック、下栗の里のソバの花は時期は遅かった。
去年はソバの花が綺麗で、何とも言えないマラニックだった。
ソバは、このような場での栽培がソバらしい。
しかし今は北海道産の蕎麦粉を使用している。
日本人の腹を満たすには、斜面集落の栽培だけでは追いつかないそうだ(#^.^#)
遠山郷での、チャレンジマラニックin遠山郷での
ランナーとは違う人との出会いに、少し嬉しくなった自分です(^O^)/
な、な・な・なんと
今回の参加で
私、10回連続の参加となるのです。
事務局の方から、連絡が来て、
「十回連続出場の方は、二名います、今回はその方に(全十回皆勤賞)をスタート前に授与します」
と、ありがたい お言葉。。。
しかし、お世話になっているのは、こっち、ランナーの方ですから。。。。
もう一人の10回連続参加者の人と相談して、
「私たちが表彰された後に、ランナーの方からマラニックを支えてくれた地元の人を表彰しよう」
そんな話があり
他の知り合いのランナーとも話し合い
レイジ兄・木沢活性会員の皆さん・白沢さん・熊谷ファミリー
に、感謝状を渡そうと相談。。。
わたしは、レイジ兄に
水窪のお菓子屋さん
小松製菓から「スティックケーキ峠の杖」を。
スタート前からいろいろあった、今回のマラニック
動画です↓
走り終わて、慰労会をやって
遠山郷の人たちと触れ合って
駐車場で二次会。
それが終わって、足湯でマッタリ。。。
そこで、遠山に住んでいたという人と話ができた。
今は名古屋で蕎麦屋をやっているという。
懐かしく帰ってきたのだナ~。
今は家のないので、人には会わないが、昔の景色が懐かしい・・・・・と。
私たち二人がいだだいた、全十回皆勤賞は
な、なななんと
かぐらの湯・年間フリーパスでした。
有効期限:平成28年9月25日~平成29年9月24日まで。
何回、遠山に着れるかな?何回温泉に入れるでしょうか?
目標10回以上(^O^)/
交通インフラの整備で、日本は爆発的に成長する!!!
三橋貴明さんが言っているの事の一つ
そこで思い出すのが
「日本改造論」田中角栄の頃の話。
いま
利益誘導・土建政治
とかいう人がいますが、
山間部の人にもしっかしとした医療サービス・行政サービスをとの願いを届けたい。
と、語ってくれる人がいた。
が、民主党が政権をとった当時のマニフェストで
「コンクリートから人へ」
といい、公共事業が進まなくなり、山間の希望の光であった三遠南信道路の事業がストップしたことがある。
これ以上、緑豊かな故郷をコンクリートで固めていいのだろうか?
と。
過去の
「チャレンジマラニックin遠山郷」
のスタート前に、遠山郷観光協会の会長が
関東方面から来るランナーに向けて
「数年後にはリニアが飯田市まで来ます。東京は方は三時間ほどで遠山郷に来ることができるようになる」
そんな挨拶をした。
そのとき、仲間のランナーが(太平洋沿岸に暮らす)人が
「リニア、南アルプスにトンネルを掘ることは環境破壊だ」
と静かに呟いた。
周りの多くの人が、そうだそうだとうなずいた。
そのように見えた。
三遠南信自動車道
も
中央新幹線リニアモーターカー
も
険しい山に囲まれた山間の里
遠山郷や北遠に暮らす者にとっては希望の光だ。
佐久間町の希望の前で(^O^)
いま日本に必要なのは強いリーダ―
日本に暮らす、どこの町でも、暮らしやすい国づくりを考えていた
田中角栄
日本列島改造論は、今なお進んでいる。
三橋さんが言っている
交通インフラの整備で
日本は爆発的に成長する!
も、同じだ。
交通インフラの整備で、日本は爆発的に成長する!!!
三橋貴明さんが言っているの事の一つ
有難い事だと思う。
これからの日本で大切なことだと思う。
全国民が
豊かになる。
最強の地方創生
交通インフラの整備で
日本は爆発的に成長する!
この本は
経済評論家、中小企業診断士。株式会社経世論研究所、代表取締役社長、国家ビジョン研究会経済財政金融分科会副会長。
と様々な顔を持つ男
三橋貴明の書いた本だ。
経済の専門家の著書だ。
今、デフレだからこそ国は公共投資をして地方のインフラを整備しなければならない。
東京一極集中の国はダメだ。
他の国でも一極収集の国は無い。他国にそこを攻めれれれば一瞬に滅びてしまう。
都市への人口の流れで、益々少子高齢化の世の中になってくる。
などなど、目から鱗が落ちる話ばかりだ。
浜松市でも同じだと思う。
山への公共投資をもっとやってほしい。
道路整備は南部とは何十年もの開きがある、生活環境も同じだ。
水窪には合併前に造った新しい中学校がある。
佐久間町にも高校がある。
これ以上少子高齢化が続けば必ずや子供は居なくなる。
問題は働くところだ。
そこで
佐久間はアワビでガッチリだ!!
( ゚Д゚)いや
また脱線してしまった。
最後に
本から少し引用させてもらう。
国民一人ひとりが正しい情報を入手し、それを広める。間違ったことを発言する政治家に対しては、容赦なく間違いを指摘する。何しろ、こちらは事実やデータに基づいているわけだから、遠慮する必要などは待ったくない。
多くの国民が言論的にあがき始まれば、もしかしたら正しい道に戻れるかもしれない。
日本政府が本当に日本国民のことを考えているならば、長期金利でマイナスになってしまった「今」こそ、公益を増進し、将来の生産性向上をもたらす各種のプロジェクトに投資するべきなのだ。
国民の実質賃金を引き上げる交通インフラの整備による地方創生、需要創生、東京一極集中の解消こそが、我が国の経済成長や少子化解消にとって最も重要なプロジェクトである。
この手の正論が全く通らないのが昨今の日本であるのだが、それでも諦めずに繰り返し主張していくことで、なにかが変わるかもしれない。
少なくとも筆者は諦めない。
と最後に結んであった。
今、日本では地方創生
まち・ひと・しごと創生本部
地方が成長する活力を取り戻し、人口減少を克服する。
と、地方を応援してくれている。
本では、今のままの地方創生ではダメだと説明している。
どっちが本当だろうか?
そういえば
昔、竹下総理を先頭に
「ふるさと創生一億円、、、バンザイ\(^o^)/」
そんな時代もあったナ~。
そんなことを考えると、今の政権の「地方創生」
まだましな方だとも思う。
お金を配るのではなく、政策で頑張ってほしい。。。
水窪ダムまで走ってきました。
走る仲間を集めての夜の水窪祭りの見物。。。
せっかく水窪まで遊びに行くのだからジョギングもしたい。
山の景色を見たい。。。
「野鳥の森」あたり行ってみたい。
そういえば山住で出会った磐田市の女性ランナーがいた。
彼女は
向市場に車を置いて、山住神社に向かって走ってきたみたいだ。
その後、野鳥の森の方に行き水窪ダムから水窪までをぐるっと回って来るのがマイコースだと言っていた。
調子がいい時は二周。
そのときの話では「北海道マラソンの練習のためにやってきた」その様に言っていた。
水窪ダムに下るところが崩れていると聞いていたのだが、彼女が言うには
「車は通れないけど徒歩では大丈夫」
と。
そこで、水窪の協働センターに電話をかけ聞いてみた。
山住神社から水窪ダムまでは崩落現場が二か所あるそうだ。
彼女から話を聞いた後、違うところで、また崩落があったみたいだ。
「水窪ダム側の現場は、今も小さな石が落ちてくる状態だ、なるべく入らないようにしてほしい」
そんな話から、その道を行くのは諦め悩んでいると、山に生きる会である人に
「あそこの尾根沿いは走るに人にとっては景色も良いし楽しいのでは」そんなことを話しているのを思い出し、その人に電話して聞いた。
その場所は水窪ダムから昔あった「自然クラブセンター」からの林道コースだそうだ。
国盗りの駐車場からスタート
水窪から水窪ダムまで8.6km
水窪から自然区クラブセンターまで13km
自然クラブセンターからは、身体の調子しだいで前に進む。
そんな感じでの計画を立てた。
週間天気予報では雨模様。
カッパの用意は必修だ(^O^)
当日、ヤッパリ雨降り。
国盗り駐車場は駐車できない。
民俗資料館に移動してそこからのスタートに変更。
着替えを済まし、水窪ダムに向かって走り出した。
雨は強くなったり弱くなったり。
カッパを来ているので蒸し暑い。
トンネルを抜けるとロックフィルダムの
水窪ダムが顔を表した。このダムは、あの御母衣ダムと同じ造り方なのだ
ロックフィルダム
砂れき,土,ロック(岩石)を盛り立ててつくるダムをフィルダムというが,そのうちロックが半分以上を占めるものをロックフィルダムという。遮水(しゃすい)機能を果たす部分が堤体の上流側にある表面遮水壁型と,堤体の内部にあるゾーン型に大別される。
百科事典マイペディアから引用
湖底に消えた思い出の村
ダムには水没した村の家々が名前付きで書いてある看板があった。
また休憩場にはシカだろうか、獣の骨があった。
ガビーン!
後4,4㎞走れば自然クラブセンター址だ。
ところが、もう帰ろうか。
そんな話が出て、今回は帰ることに決定した(#^.^#)
帰りは下りばかり、快適に走る走る。
寄り道もした。
柱戸の集落に寄ってみた。
ここは、昔、ユニバンスで働いていた時にヨーちゃんが暮らしていたところだ。
柱戸
に婿に来たと聞いていた。
その人は当時、透析をしていたけれど、陽気で楽しい人だった。
噂では、車での事故で亡くなったと聞いていた。
原因は分からない。
遠くから柱戸に向かって合掌。
郷土資料館までは車で3分
私たちヘッポコランナーは歩いたり走ったりのユックリペース。
濡れた身体を郷土資料館の軒先を借りて着替え
今日のダムランを終わりとした。
このコース。
ダムから自然クラブセンターまで、その向こうの尾根沿いのコース
次回のお楽しみとする。
誰か一緒に走ってくれる人いませんか?
予定の空いている日を教えてください。
しんしん
今年
チャレンジマラニックin遠山郷
は9月25日になった。
水窪祭りの一週間後。
チャレンジマラニックin遠山郷と水窪祭り
毎年、この二つのイベントは重なったのだが、今年は違った。
去年のブログ
遠山郷に行く前に。。。
今年は夜の水窪祭りを見に行ってきた。
本町の屋台が水窪郵便局の駐車場に横づけ。
大里の方から小畑の屋台が来る。
ダンダンと近づいてくる。お囃子の調子が速くなる。
屋台を引く人、ブレーキをかける人、お囃子の笛・太鼓
それぞれの人がその持ち場で屋台を動かしている。祭りを支えている。
水窪に、こんなに人がいたのか、っと思うほどの人が祭りで屋台を捜査している。
知らない人が多い。
寺田さんに、昔の話を聞いた。
「地区で余裕のある人が、神様を祀り、それを地域がみんなでやるようになってきた。心のよりどころだった。」
「水窪では、その氏神様をお宮にお迎えに行き、街に下して祭りが始まった」
本町の区長と写真
この世の中の
絶対 不変の真理。
「人は必ず死ぬ」
「今のこの瞬間こそが自分の人生」
「自分の人生は自分でしか生きられない」
自分は横吹に生まれ、今 半場で暮らしている。
己の人生、自分色に染めココで生きる。
「かごに乗る人、かつぐ人、そのまたわらじを作る人」
それぞれの人にそれぞれの役割があるのだから。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
03 | 2025/04 | 05 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | ||
6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 |
20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 |
27 | 28 | 29 | 30 |