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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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FBから、
「過去の思い出を振り替えてみましょう」
と、お知らせが来る。
なんか若く感じる四年前の自分。
たった四年だけど、着実に老化している。
 

老化、悪いこと?
いや
カッコよく齢を重ねればいい。

ヒロボーさんのように山草人さんのように。人生の先輩の生き方に触発されての今の自分の生き方。
自分なりの生き方。
過去 → 現在 → 明るい未来。
明るい未来をつくるために、今何をするか?
ぐるっと浜名湖一周100km エンジョイ・マラニック
走り終わってから、その答えが待っている。

過去の自分に誇れる、今の自分の生き方。
少しずつ、着実に。

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村上春樹がサロマ湖100㌔ウルトラマラソンを走りゴールまじかで感じたことを綴っている。
非日常の、11時間42分。やっとのおもいでゴールにたどり着いた。
僕の無口な心臓は一定の速度で膨張と縮小を繰り返している。僕の肺は働きもものふいごのように律儀に、新しい酸素を体内に送り込んでいく。
僕は僕であって、そして僕ではない。

自分という魂が、自分という身体に溶け込み100㎞のゴールに導いた。
心臓・肺・脚・筋肉・その他身体の各パーツが協力して自分という魂を100㎞という過酷な道程を走り最後のゴールまで連れて行ってくれた。
僕は僕であって、そして僕ではない。

自分もそうだった。
チャレンジ富士五湖ウルトラマラソン100㎞の部に参加して、フルマラソンの42,195㎞のラインを越え未知の距離へと足を踏み入れ疲労困憊の走りの中さまざまな妄想が心に現れた。
今までの自分、今の自分、何をやってきたんだ。何をやっているのだ。
そして、これからの自分を考えた。
僕は僕であって、そして僕ではない。

自分は自分であって、そして自分ではない。
鏡に映った自分の姿を見て、自分が自分を見る。
おまえは誰だ?
このオサンは誰なんだ?

身体は借り物、魂がその借り物の身体に入り込み現世界を生きている。
魂がウルトラマラソンを走りたいと借り物の身体を鍛え100㎞の道程を魂とともに旅をする。
100㎞の道程を経験したからこそ感じる身体への感謝の気持ち。

100㎞を走って
僕は僕であって、そして僕ではない。そんな気がした。
100㎞を走ってゴールしてやっとたどり着いたと安堵してしていた時の表現を こう書いている。
身体の中で堅く閉まっていた結び目のようなものが、だんだんほどけていくのが感じられる。そんなものが自分の中に存在したことすら気付かなかったのだが。

10時間以上のレースを終えての感覚、自分も同じような感覚だった。

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ラン友の悦ちゃんのオススメの本、村上春樹『走ることについて語るとき僕の語ること』を読んだ。
村上春樹とはどんな人物だろう?
ネットで調べてみた、以下ウィキペディアから
 小説家、文学翻訳家 1949年京都生まれ。
また、こんなことも書いてあった。
メデア・広報活動の所
・日本のテレビ、ラジオに出演したことはない。近年はインタビューの依頼があっても、一部の新聞・雑誌を除いて積極的には応じない。インタビュー嫌いの理由として、本人は、ジャズ喫茶経営時代に「毎晩客の相手で一生分の会話をした。今後は、本当に話したい人にしか話さないと誓った」からだと述べている。
そんなことが書いてあった
また、悦ちゃんがメールで書いてあったように、趣味はマラソン・トライアスロン、この本には毎年6月の最終日曜日に行われるサロマ湖100㌔ウルトラマラソンのことが書いてあった。
 
第6章
1996年6月23日
もう誰もテーブルを叩かず
誰もコップを投げなかった
サロマ湖100㌔ウルトラマラソン 初めての100㎞マラソンを走った時のゴールまじか
僕の無口な心臓は一定の速度で膨張と縮小を繰り返している。僕の肺は働きもものふいごのように律儀に、新しい酸素を体内に送り込んでいく。
僕は彼らの働く姿を目にし、・・・・・・・・・。
原文まま
自分も2011年の春、チャレンジ富士五湖ウルトラマラソン100㎞の部を走った時を思い返して読み進めた。
まさに、自分もそんな感じがして、そうだそうだと頁をめくった。


であって、そしてではない。
そう
そんな感じだった。

初めて読んだ村上春樹
走る仲間に出会い、走る仲間のメールから知った村上春樹
今も毎年一回はフルマラソンを走っているという村上春樹
自分も走り続けていてよかったと思った一冊だった。

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1975年~1988年まで青春時代を過ごした湖西市・新居町、浜名湖は思い出深い地だ。
そんな思い出深い地を離れ佐久間に帰って来て、2005年佐久間町は浜松市になった。
佐久間が浜松市になる前、僕はフル(42.195㎞)が最長の距離、100㎞なんて考えられない距離、考えたこともない距離だった。
朝から晩まで走る?、そんなことしたら身体がどうかなったら困るじゃないか。
とまで思った。

12市町村が合併した、その年、新浜松市が登場したその夏の日に、国道152号線を走っていた女性のランナーを見かけた。
車を走らせると、また数名の走る人がいた。
この暑い日い如何して、なにやっているのかナ~。
そう思った。
次の日、静岡新聞の紙面に「新浜松市誕生記念ウルトラマラニック」という記事が踊っていた。
浜松市に合併した12市町村の旧役場を水窪町の役場から佐久間町・龍山村・春野町・天竜市と巡って走る160㎞のマラニックだそうだ。
ゴールの浜松市役所でゴールテープに飛び込んでいる笑顔のランナーの顔が眩しかった。

42.195㎞までしか走ったことのない僕の心は興奮した。
土曜日に走っていた人は、160㎞という果てしない距離に挑戦している最中だったのだ。
 

12市町村が合併した浜松市を浜松駅から自分の暮らしている半場まで走ってみた。
60㎞
9時間かかった。
100㎞考えられない距離が、自分が挑戦しないだけの距離だと思い始めた。

2011年とチャレンジ富士五湖ウルトラマラソン100㎞の部を走った。
多くのランナーと100㎞先のゴールを目指した。
ゴールして完走メダルを手にしたときは感動した。
2012年・2013年と走って完走メダルは三個になった。
ソレゾレ思い出深いレースだったが、楽しい思い出より辛かった大変だった思い出が多かった。


そんなとき、浜名湖100㎞の話があり参加した。
前夜祭に参加して酒を飲んだ、挑戦する記録にこだわるより、楽しむことが最優先の浜名湖100㎞。
そうまさに
ぐるっと浜名湖一周100km
  エンジョイ・マラニック
だった。

はじめて走った浜名湖100㎞
そのとき見た、湖西市は
30年前、僕が青春時代に観た景色、湖西市鷲津の駅前は様変わりしていた。

変わりゆくものがある。
変わらないものもある。

自分は年をとった。
年齢を重ねて様相は変わったが、気持ちは自分の青春時代と何も変わらない。
青春時代の自分の足跡を追っての100㎞のマラニック、浜名湖をぐるっと一周しながら景色、浜名湖の歴史、とともに自分の青春時代をも回想するマラニック。
 楽しいから浜名湖100㎞、マラニックだから余裕ある時間設定だから、続けて走りたいと思う。
浜名湖100㎞、完走できる走力を維持していこうと思う。

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正式には
ぐるっと浜名湖一周100km
      エンジョイ・マラニック
今回で7回目になる。

コースは
弁天島海浜公園をスタートして、舞阪・雄踏・庄内湖をまわり、村櫛・舘山寺・気賀の関所・プリンス岬・三ケ日青年の家から礫島・瀬戸・猪鼻湖一周・三ケ日を通て、知波田から入出・日ノ岡・鷲津駅の北側を通て湖西高校正門前・新居競艇に行く道を走り、新居の関所・新居高校前・今切口・戻って来て国一号線、三番の橋・二番の橋を渡って弁天島海浜公園にゴール。

わたしは
第1回目から連続で参加している。


今年はどんなドラマが展開っするのだろうか?





 

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悦ちゃんとはウルトラマラソンを走るようになって知り合った。
今年30年間の幕を閉じた萩往還マラニックも何回も走った人だ。
私の「夢街道90㎞」も第一回から参加してくれた。
しかし、最近、夢街道に来なくなった。

何回目だったけな~。浜松駅から遠山郷を走ってかぐらの湯の温泉につかりかぐら山荘の部屋でユックリしているときに、悦ちゃんが部屋に入って来て「話があります」と深刻な顔で呼び出されたことがある。
「私は走りに来た、○○さんはの態度は困る」と。
走る私としては、悦ちゃんの気持ちもわかる。しかし○○さんの考え方もわかる。
どうしたものかと、呼びかけ人として悩んだ。

また、こういうこともあった。
かぐら山荘での部屋で寛いでいると携帯が鳴った。
「○野さんが倒れた、救急車を呼んでいる」
○野さんの自宅に電話して奥さんに事情を話した。

「遠山郷ってどこですか?私の主人は何も言わないから・・・・」
まあ、事実だけ話した。
そんな夜、○野さんと付き添って行った○池さんのいない夕食になった。
ビールを飲むも、どこに入ったか憂つだった。
そんな時、隣で飲んでいた悦ちゃんが私の方に倒れた。
普段は飲めないお酒を、今回はなぜか飲んでしまった。そうだ。
みんなでかついで部屋まで送った。

そんな、悦ちゃんのメールには
「夢街道」もスタートには立てない状況だ、と。
村上春樹の本『走ることについて 語るときに 僕の語ること』を読んで感動した。
と書いてあった。

今はやっていない「駿府マラソン」毎年途中の河川敷で応援してくれた悦ちゃん。
早く治して元気な姿を見たいものだ。

追記
村上春樹の本『走ることについて 語るときに 僕の語ること』
Amazonで注文して、今読んでいる途中だ。
悦ちゃんの感動した本を今読んでいる。

 

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ふるさと納税の返礼品について総務省から注意を受けている大阪府泉佐野市
 総務省は
返礼品を寄付額の3割以下とすることなどを要請、また「地場産品に限定する」
泉佐野市の方では
「何が地場産品なのか示されていない」や「われわれがアイデアを積み重ねた取り組みを踏みにじるような通知だ」と反論。

朝のテレビでやっていたが、大阪府泉佐野市のふるさと納税はカタログショッピングのようだと。
早速検索してみた。
http://www.city.izumisano.lg.jp/kakuka/koushitsu/seisaku/menu/furusato/furusato/download.html
たしかに(≧▽≦)
お礼品カタログno1をダウンロードしてみたが、、、、すごい(≧▽≦)
全国一位135億円を集めたのも分るような気がする。

飯田市ではどうだろうか?
飯田市の取り組みや、返礼品については、次のふるさと納税専用ウェブサイト「さとふる」からご覧いただけますので、そちらからお申し込みください。
と、なっていた。
先日行った遠山郷では、飯田市の中でも遠山郷の特産品をふるさと納税で選んでくれたなら遠山郷のために使うようになる。そんな話を聞いた。

地方創生
人口急減・超高齢化という我が国が直面する大きな課題に対し、政府一体となって取り組み、各地域がそれぞれの特徴を活かした自律的で持続的な社会を創生することを目指します。
先日読んだ安倍総理と世界を変えるにも書いてあった。
地方から世界を目指す。
首相官邸のホームページにも
https://www.kantei.go.jp/

それぞれの地域がそれぞれの工夫のして頑張っている。
国でもそれを応援している。
しかし
大阪府佐野市、チョットやりすぎ~、そんな感じもするが、国も地方創生のこと考え直す時が来たような気がする。

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吹き流し
遠山だマラニックだ、大宴会だ
日本全国からランナーが集まってくる。

日本は毎日楽しいけれど。

遠くサハラの少女たちは子供をおぶって微笑んでいた。

金子みすゞ「大漁」はみすゞさんが人間とイワシの両方の立場から捉えた詩です。
まさにみすゞさんの閃きと感性が詠んだ詩だと思います。
また、これはいじめる子といじめられる子との関係にも似ています。
相手の側の立場から考える眼差しを持った詩です。

わたしの「吹き流し」は、遠山のマラニックに行って感じたことを書いてみました。
こんかい私の身体をケアーを頼んでいる施術師の先生が遠山を走ることになった。
その人は視覚障碍者でサポートが必要なランナーだ。
そのサポート役を大大先輩ランナーの山草人さんが引き受けたのだった。
山草人さんはブログを毎日書いている。また今年はサハラ砂漠を走るサハラレース250㎞にも参加した。

そんな山草人さんのサハラレース ナミビア250km(7日間) の報告会があったので行ってきた。
そのレースの過酷さもさることながら、アフリカ大陸北部にある砂漠に行くまでの行程を面白おかしく説明してくれた。
 サハラレース ナミビア250km(7日間)途中ので出来事で、現地の原住民の話が合った。
年の頃ではまだ20歳まで行っていないような少女が自分たちで作ったであろう民芸品を売っていたという。
数人は子どもをおぶっていたと。

わたしは外国には行ったことがない。
だからパスポートもない。
これからも行く予定はない。
お金もない。
人の話で、テレビその他の媒体でしか知ることができない。
しかし、こうではないかとの感性を磨くことはできる。
私は貴方になれないけれど、あなたの気持ちになって考えることはできる。
サハラ砂漠にいた少女たち、山草人さんの気持ちはわからないけれど、こんな気持ちじゃないかな~っと思って書いた「吹き流し」です。

走る人も走らない人も
都会も田舎も
楽しく面白く、そんな遠山のマラニックを中根エイド治郎さん宅の上空にたなびく吹き流しを見て感じた。
故郷を大切にする心
遠山から
地球全体を大切にする心
山草人さんから
教えられたような気がする。

 

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金子みすず(大正時代末期から昭和時代初期にかけて活躍した日本の童謡詩人)
代表作は「私と小鳥と鈴と」「大漁」「こだまでしょうか」など。

さくまと浜北と、水窪と

さくまは浜北のように、にぎやかで便利ではないが、さくまはしずかでココロが和む。

さくまが水窪のように、山を大切にしてほしいと私が伝えても、さくまはアワビをガンバラマイカ

浜北と、水窪と、それからさくま、みんなちがって、それでいい。」

しんしん(平成元年から走りはじめた普通のオジサン)
1960年に静岡県磐田郡佐久間町相月の斜面集落 横吹(よこぶき)に生れる。湖西市に就職し29歳で生まれ育った佐久間町に帰ってきた。フジユニバンス水窪事業所の仲間に駅伝に誘われ走るようになった。
平成の合併があり、佐久間ではNPOがんばらまいか佐久間を立ち上げ私も9年間活動委員としてお手伝いした。が水窪のNPO山に生きる会の方が自分の考え方に合っていると思い今はそちらに顔を出している(遠いので活動は少ないが)

金子みすゞ

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昨日、職場に電話が来た。
先日申し込んだランニングパトロールの事務局からだ。
応募資格のひとつ
活動マニュアルの配布や県警による講習を行う結団式や10月14日の浜松会場、同20日の沼津会場、同21日の静岡会場のいずれかで講習を受講する。
を選ぶ項目に印をつけてなかったからだ。

お蔭様で100名以上のランナーが集まり、しんしん様は応募資格に印が無かったので除外しようとしたのですが特別な想いがあると思い電話しました、と。
そう、私は応募券とともに一枚手紙を添えたのだ。
書いた内容は忘れたが自分なりの想いがある。走ることでの社会貢献。

今の車社会、田舎の道でのランニングは危険極まりない。
カーブが続く山道は道路交通法の人は右を走っていても危険なところがある。
普段車を使っている自分も道路を歩いている人、自転車に乗っている人、に出会うと「危ないナ~」と思う。
人は自分中心に考える傾向がある。
自分がジョギングしているとき、車を運転しているとき、それぞれ自分にとってどうなのかと。

金子みすゞの詩
大漁

朝焼け小焼だ、 大漁だ
大羽鰮(おおばいわし)の 大漁だ。

浜は祭りの ようだけど、

海のなかでは 何万の、
 鰮(いわし)のとむらい するだろう。

これはみすゞさんが人間とイワシの両方の立場から捉えた詩です。
まさにみすゞさんの閃きと感性が詠んだ詩だと思います。
また、これはいじめる子といじめられる子との関係にも似ています。
相手の側の立場から考える眼差しを持った詩です。

自分がジョギングしているとき、車を運転しているとき、それぞれ自分にとってどうなのかと。
そう考えるのではなく、その両方を経験できている自分だからこそ、走ることでの社会貢献やりたいと思ったのだった。

電話では、保険の関係で講習に出て頂かないと田舎でも三人以上の走る人が活動すれば良いとなっています。
と言ってくれたのだけど、今回は断ってフェースブックなどの書き込みで協力しますと電話を切った。

ランニングパトロール
ランニングパトロールin静岡

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
65
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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