4年前の夏 朝5時から、浜松駅南口から走った。
大きくなった浜松市、アクトタワーの前で、道行く人に写真を撮ってもらい、走り始めた。
当時の様子↓
http://www.nexyzbb.ne.jp/~tsutomu46/mountain03.htm
その時は、目指すは佐久間町の自分の家だった。
今回は、浜松市を突き抜け、長野県の遠山郷に行こうと思っている。
途中、佐久間に入って、八丁坂を登り切り、塩の道を行くと、子どもの頃の思い出の場所 故郷「横吹」(よこぶき)に出る。
限界集落、住んでいる人はお年寄りばかりになっている。
そんな自分も、その故郷「横吹」を捨てた一人だ。
”浜松縦断 夢街道”昔のように、塩の道に人々が行き交うようにならないだろうか。
お昼休み、ご飯を食べようと思っていたとき NHKのニュースで「巨人の木村拓也内野守備走塁コーチが7日午前3時22分、くも膜下出血のため、広島市内の病院で・・・・」っとアナウンサーの声が聞こえた。
37歳 まだこれからだというのに。
思いだす。6年前、ちょうどこの時期だった。
44歳の春、4月13日(火曜日)仕事を終わって、空手の稽古をしている時だった。
今日 仕事を終わって、歩きで帰ってくるとき・・・空にはトンビが旋回し川には鵜が泳いでいる、みんな生きている。
大切な一日、生きるということ、生かされていると言うこと。
誰かが、生きたいと思っている大切な一日。
自分は、大切に生きているだろうか。
今から、「さくまRC」の練習会だ。
思い起こせば、五年前。
我が町”佐久間町”が浜松市に合併して、これから佐久間町はどうなるのか・・・・・・。
そんなときに、国道152号線をリックを背負って走っているランナーを見た、次の日の中日新聞で、マラニックを知ったのだった。
インターネットで検索して初めて走った「天竜ウルトラマラニック」その参加者と知り合いになり、手紙を出して、友が友を呼び、ランナーの仲間が出来た。
「佐久間・水窪スーパーマラニック」「浜松縦断マラニック」と手探りで始めたここ”ほくえん”でのマラニック。
今まで、一人で走っていたのが大勢で走ると楽しさも何倍にもなった。
今回、浜松市を縦断して、長野県への県境「青くずれ峠」を越え、長野入りし「遠山郷」まで走ってみたいと計画を立てた。
写真のプリントを胸に付けた、Tシャツも10枚作ってみた。
マラニックでお世話になった人に、今日送った。
迷惑でなければ、メジャーなマラニックの完走パーティーの時にでも着て、「浜松縦断 夢街道」90kmを宣伝してほしい(*^^)v
「散るさくら、残るさくらも散るさくら 」
そんな、ブログを書いたのが、今年の1月5日。
http://hokuen.blog.shinobi.jp/Date/20100105/1/
桜は、満開になってちょうど今頃、散り始めたころが本当に美しい。
平和な世の中、桜の木の下で楽しいお酒を 飲みに行けることに・・・・・感謝!!
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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