海抜0メートル地点・富士市田子の浦港・白灯台から、富士山頂3776メートル、片道55㎞の距離を24間以内に往復するマラニックが毎年夏に行われるらしい。
このマラニックのことは、3年前くらいかな~。知ってはいたのだが・・・・。
24時間以内に走って来る、そんなことができるのだろうか・・・・・馬鹿げている・・・・そんなふうに思って居た。
ところが、何かの縁か、息子が富士吉原の会社に就職が決まり。
昨日、吉原(富士田子の浦港・白灯台の近く)のアパートに、引っ越しに行ってきた。
引っ越しの帰り、私はその、"富士田子の浦港・白灯台"に行ってきた。
車で行くと、関係者以外立ち入り禁止の看板があった。
作業員らしき人に断り、白灯台まで歩いて行った。
その日は、あいにく富士山は見えなかった。
東北沖大地震の様子をテレビで知った、友人・知人からの心配メールが私の携帯に入った。
遠くは、オーストラリア(メルボルン)の中学校時の同級生からも入ってきた。
その中の一人、以下のチェーンメールが来た。
関西電力で働いている友達からのお願いなのですが。
「本日18時以降関東の電気の備蓄が底をつくらしく、中部電力や関西電力からも送電を行うらしいです。
一人が少しの節電をするだけで、関東の方の携帯が充電を出来て情報を得たり、病院にいる方が医療機器を使えるようになり救われます!
こんなことくらいしか関西に住む私たちには、祈る以外の行動として出来ないです!
このメールをできるだけ多くの方に送信をお願い致します!」
とのことでした。
テレビを消して、電気も極力少なくし、節電に協力しよう。
「さくま郷土遺産保存館」に入館すると、「山に生きる」というパンフレットを頂いた。
そのパンフレットの表紙名は、村の斜面にある畑を耕す一人の女の人の後ろ姿があった。
保存館に入ると、しんしんの昔(横吹)での暮らしが蘇ってくる。
家に帰って誰もいない、冷蔵庫を開いても何もない、畑に向かって「かあちゃ~腹減った~」そんなことを叫んだことを。
「さくま郷土保存館」は
第1コーナー(山を耕した人々)
第2コーナー(天竜美林を育てた人々)
第3コーナー(川に生きた人々)
第4コーナー(故郷の歳時記)
第5コーナー(佐久間のあけぼの)
の五つのコーナーを分け、佐久間の郷土の資産を初会している。
佐久間に生まれて、佐久間を離れ、20年前に故郷の佐久間に帰ってきた。
そんな私は、この保存館に初めて入った。
祖父が、やっていたという"こびき"(ノコギリで板を作る職人)が使っていたノコギリ壁いっぱいに飾ってあった。
そばを、石うすで引く老婆。
一tもあるという、木馬(きんま)を引く男たち。
昔の人が、朝早くから夜遅くまで働いていた様子を再現させている、保存館。
この「さくま郷土遺産保存館」は平成23年3月31日で閉館するという。
2008年、ラン友に誘われて初めて挑戦した「富士登山競争」富士吉田市の市役所から見える富士山は八合目の山小屋の屋根が輝いていた。
富士山を見上げ、ラン友に「あそこまで行くんだよ」っと言われた。
その年、制限時間ぎりぎりでゴールで来た。山頂で買った500円のコーラを飲みながら雲海を見ていたら感動してきたのを覚えている。
次の年、悪天候で5合目で打ち切りになり。2010年では、8合目で関門に引っ掛かりゼッケンを外された。
今年は富士登山競争は止めにしよう、体力の限界も見えてきたし、それより毎年その時期は私の住んでいる村のお祭りの日でもあるから。
そんな事を思って居る時に、出会った本「人はなぜ富士山頂を目指すのか」その中のヒロボーが出筆した「0メートルからの富士登山」その中のスターとをする前に撮ったみんなの写真を見て仲間になりたいと思った。
今年、大学を卒業した私の息子が、富士吉原の企業に勤めることが決まり、JR吉原駅近くのアパートを借りることが決まった。
何かの縁を感じる、アパートの玄関から見えた富士山が呼んでいる様な気がした。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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