昨日の父親の一周忌が無事に終わって、専門学校に通っている末娘を近くのバス停まで送っていったときに携帯にメールが来た。
昨日、竜頭山に登りに行くかもしれないっとメールを送ってくれたラン友からのメールだ。
中部天竜に9時頃着く飯田線に乗ったそうだ。
家に帰リ、枯れかかった藤の花を父親がやっていたように選定したり、草取りをして・・・・・家内に「今日・・これから竜頭山に登りに行きたい」っと言ったのだった。
今日、竜頭山に行きたかった理由は、去年 「佐久間・水窪スーパーマラニック」の時に竜頭山の登山時、「道が解らなくなった?」との携帯で連絡をもらったからだ。
何処で、どの様に道に迷ったのか、自分一人ではなく他の人の意見を聞いて確認したかったからだ。
先日作った"マラニック"の案内板を持って、中部天竜駅に行き、ラン友と竜頭山の登山口に行くと、もう平和登山口の駐車場には登山客の車でいっぱいだった。
20人ぐらいの団体の登山者が登り口で何やら話をしている間を抜け、今年初めての私の竜頭山登山が始まった。
すぐ後ろに、一人で浜松から来たという登山客と3人で話しながら登っていくと、道端に蛇が・・まぎれもなく三角の頭をしたマムシだった。
秋のマムシは攻撃的で危ないと聞くが、今日見たマムシは私たちからすぐ逃げて行った。
しかし、間違えて踏んだり、手で触ったりして噛まれると命に関わるようになる、何もなくホットした。
しばらくすると"青なぎ"が見えてきた、休憩も取らずに登りだすと、浜松から来たという登山者はギブアップ、着いてこなくなった。
中級者と初級者との分岐地点
に案内板を着け、中級者コースに向かう。
比較的登山道も整備され、何処で間違えたのか分からなかったけど、沢のあたりが間違そうだと案内板をそこに着けるようにした。
私もそうだが、下を向き一生懸命歩いていると何処か分からなくなる時がある。
たまには頭をあげ、周囲を確認するようにしたい、しかし、前を気を付けてばかりだと足元のマムシに気が付かない時がある、こんなに登山道を整備された竜頭山とて危険がイッパイなのだ。
展望台に着き、山頂三角点で昼食、"ほうずき平"に行き、スーパー林道を山住神社方面へジョグ、途中"福沢"方面の林道に入り、10kmの下りを二人でジョギング、福沢村では初夏の茶摘みが始まっていた。
休憩中のオバサンに、"一心滝"の話を聞き、その滝で休憩を取ることにした。
国道152号線に出ると、そこは佐久間駅伝の3区中継所、ここから平和登山口までは3kmかな?
山頂三角点での昼食時は寒かったけれど、国道のジョグは暑くて暑くて、そんな国道を走っていると、城西地区の知り合い数人が、クラクションを鳴らしたり手を振ったりして通り過ぎて行った。
今回はラン友、二人で走った国道。
29日の「佐久間・水窪スーパーマラニック」は今のところ15人、が"ほくえん"を走る。
私が走り始めた20年前は、国道を走る人なんか見かけたことが無かった。
山に住む人にも、少しは理解される様になったかな?
"マラニック"
今年も五月五日(子供の日)は「戦国街道ラン」65kmを走ることが出来た。
もう15回目だそうだ。
この「戦国街道ラン」は、「鳥居強右衛門(とりいすねえもん)」が走った距離を走ろうっと出来た大会なのだ。
1575年(天正3)、長篠城が武田勝頼(かつより)に包囲されたとき、使となって城を脱出、岡崎に赴き徳川家康、織田信長に救援を求め快諾を得たが、帰途、城外で武田側に捕らえられた。
その、道を走ろうと始まったのだ。
私は一回目から参加している。
初めて、フルマラソン以上の距離を走ったのも、この「戦国街道ラン」だ。
マラソンはスタートしてからゴールするまでは苦しいものだと思っていたのだけれど、ゆっくり走って走ることを楽しむ。
そんな走り方を教えてくれたのも「戦国街道ラン」65kmなのだ。
今回、過去を振り返ってみたら第4回のゼッケンが出てきた。
平成12年 5月 5日
「元気は宝!健康は財産!」
早いも遅いもない、みんな一緒にゴールする。
新城市 「長篠合戦のぼりまつり」この会場がゴールなのだ。
佐久間 | 八丁坂 | 横吹 | 城西小 | |
時間 | 5時05分 | 6時05分 | 6時45分 | 7時10分 |
大原 | はくりや | 青崩峠 | 遠山郷 (ゴール) |
タイム |
7時45分 | 8時25分 | 10時10分 | 12時00分 | 6時55分 |
今日も遠山郷へ行った。
順調に青崩峠に10時10分に着き、このままでは11時ごろには・・・・・。
と思って順調に信州側へと山を下っていくと、何やら機材を持った若者二人が下から登ってくるではないか。
テレビ東京で「空から日本を見てみよう」と言う番組のロケで青崩峠に来ている話だった。
「すいませんが、また峠まで行ってエキストラとして写ってくれませんか?」
まだ時間もあるし軽く承諾、テレビ東京の二人と今来た道を戻ってまた、青崩峠へと向かったのだった。
そこで、私は青崩峠から中央構造線を眺めるオジサンの役で数秒のカットを撮影。
その番組は「空から日本を見てみよう」放送日は6月2日9時からだそうだ。
10時45分、スタッフに別れを告げ、一人青崩峠を下り、遠山郷へと向かう。
遠山郷観光協会に着いたのが12時00分、観光協会の中で買ってきたビールを飲みパンを食べて昼食。
今回は、かぐらの湯には行かないで、そのまま歩いて飯田線の平岡駅まで行く。
2時間10分のウォーキングだった。
ゴールデンウイーク、今日から走るぞ!!!っと思って朝目覚めたが、外は雨降り。
一日、パソコン相手に、マラニックの参加者の名簿作りをやった。
題して、"ほくえん旅ラン「仲間たち」"の名簿作りなのだ。
生年月日を入力し、その横のセルにTODAYの関数で本日の日付を入れ。
その横のセルに=DATEDIF(H4,I4,"y")関数で、そのセルには現在の年齢が現れるのである。
次は、各マラニックごとに、チェックポイント表を作る。
タイムを書き込むセルに、ゴール時間を書き込むセル引くスタート時間のセルと書き込むと、走行タイムが出てくる。
チェックポイントのタイムを入れることで、各ランナーが走った、タイムを折れ線グラフで表す。
まだまだ、良くはわからないパソコン。
分からないなりに頑張った、今日はエクセルを使って試行錯誤した一日だった。
男51歳、今年最大の挑戦は「富士山頂往復マラニック」海抜0メートルから山頂3.776メートルを丸一日かけて往復するという大会だ。
詳しくは↓
http://www4.tokai.or.jp/maranic/F2.htm
昨日は、主催者である萩田さんから頂いたコースマップを片手に下見に行ってきた。
田子の浦港"白灯台"を車で出発、今日は田子の浦から富士山は山頂だけが雲を被っていた。
歩道の所をパスし、県道353号線に入いる、富士インターチェンジ手前で国道139号線に行く。
身延線の富士宮駅が左に見えてきたあたりで、浅間大社の赤鳥居が見えてくる。
ここが、走った人が行っている浅間大社か~。
みんなここで富士登山の安全祈願をしているのか~。
ここからの県道180号線は上りの勾配も急になってくる、そう車でもきつい勾配。
二合目で、通行止めになっていた。
五合目まで行く途中、崩落があるそうだ。
「富士山頂往復マラニック」ここからがこのマラニックの最大の難所だろう。
今日はここまで、明日からの練習に熱が入ってきそうだ。
今朝、田子の浦港の赤灯台からの写真。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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