走り始める前に集合写真を撮る。
その時に、横断幕があった方が・・・・絶対いいョ!!
そんな言葉と共に、その横断幕を持って我々のスタートを見送りに来た人がいる。
私は今回、浜松駅南口で集合写真を撮り、遠鉄電車の新浜松駅から小林駅まで行き、そこからが2013年の「浜松縦断マラニック」のスタートとなった。
往路は「小林駅」から佐久間町中部の「かぢや旅館」までの45k
復路は「かぢや旅館」から浜松駅南口の60k
だった。
復路、「かぢや旅館」を朝の4時半に出発した人がいる。
朝早く目が覚めた私は、暗闇の中を走っていく彼女を見送った。
その人とは、秋葉トンネルと横山トンネルの間で追いついた。
「クルマに気を付けてネ」と声をかけて追い抜いて行った。
新原のローソンで休憩していると携帯に着信、「今、山東のサークルK、西鹿島から電車で浜松に向かいます」
夕方6時15分、浜松駅南口に到着した私たちを、待っていてくれた。
2013年「浜松縦断マラニック」は、こんなふうに終わった。
中部天竜駅から豊橋駅までは1110円。
いつも利用しているので記憶していた。
私は毎年夏になると、浜松駅から電車を利用して中部天竜駅まで帰ってくる。
浜松駅の券売機には中部天竜駅までの値段が書いていないので、去年は券売機で買える最長距離の駅まで買った。
そして、飯田線の中で中部天竜までの乗りこし分を購入した。
そう去年の今頃は、そのようにして飯田線を利用した。
それが、今年は浜松駅から豊橋駅まで(650円)買って、飯田線の中で1110円で中部天竜駅まで買えばいいやっと思っていた。
ところが 、飯田線に乗り、車掌さんにお金を払おうとしたら・・・・・足らないと言われた。
1390円だそうだ。
・・・・・どうして?????
JR東海のホームページで調べても、そうなっていた。
http://railway.jr-central.co.jp/timetable/nr_doc/search.html
浜松駅から中部天竜=1890円
浜松駅から豊橋駅=650円 豊橋駅から中部天竜駅=1110円 計1760円
浜松駅から中部天竜駅に来るには、途中 豊橋駅で下車して切符を買った方が安くなる・・・・・・そうだ。
今回、飯田線に乗って発見した!!
PS
そういえば、走る仲間が、浜松から豊橋が異常に高いとの話を聞いたことがあるので、そこも調べてみた。
静岡駅から豊橋まで(こだま)= 4,610円
静岡駅から浜松駅(こだま)=2,230円
浜松駅から豊橋駅(こだま)= 1,490円
静岡駅から豊橋まで買うよりも、静岡駅から浜松駅 浜松駅から豊橋駅までと買うようにした方が980円もお得意になる。
私が考えるに、長い距離を利用するほど料金は割安になっていくものだと考えていた。
それは私の思い込みだったことに気が付いた。
゚ヽ(´∀`。)ノ゚ ガーン!!
昨日「がんばらまいか佐久間」の広報委員会があった。
秋に発行する広報誌の内容などの話し合い・・・・・。
そんな話し合いの合間、話が脱線し地元での色々な事の話が始まった・・・・・・そんな時、
わたしは話した。
この前、「がんばらまいか佐久間」がNHKで放送されたようですが、この内容を見たある人が
まるで佐久間は年寄りばかりが活動していて、東栄は若い人が頑張っている、そんなような感じの内容で頭に来た(○`ε´○)プンプン!!
との話を聞いたのですが・・・・・どうでしたか????
(このテレビ、私はYouTubeで一部は見たのだが放送は見ていなかった)
少ないけど佐久間にも若い人がいるのだから、「がんばらまいか佐久間」も若い人を取り込んで、今やっている広報誌作りもできるようになればな・・・・・・(^-^)
と話した。
もともと「がんばらまいか佐久間」は合併後、佐久間が過疎化していく中、残された高齢者が頑張らなければと立ち上げたNPOだからしょうがないかも。
とも。
佐久間にも今のNPOとは違う、若い人達が活躍できるNPOが必要なのかもしれない。
PS
このブログは、佐久間で暮らす自分が経験した事、感じたことを、ただ漠然と書いているだけです。
この地域をこんなふうにしたいなぞとだいそれた事は思っていません。
世の中には色々な考えの方がいます。
私もその一人です。
「他人と過去は、変えられない。自分と未来は、変えられる」
こんな思いでここでいろいろなことをやっています(自分なりに)
色々な人に出会い、自分の未来を変えていきたいと思っています。
浜松市の北(佐久間町) 住む人は、町の方での飲み会がある時には、浜松市にビジネスホテルを予約して泊まる。
飯田線の中部天竜駅があるので、磐田駅を20:29の電車に乗れば中部天竜に最終電車が23:35に到着する。
所要時間:3時間6分料金:1,890円
しかし、せっかくの飲み会、電車の時間を気にしながら飲むのは嫌なので、私はビジネスホテルを予約した。
浜松駅南側あるそのホテルはシングル3800円(素泊まり)。
ユックリ飲みたいから、という理由もあるが・・・・・ウルトラ・ランナーの私には、もう一つの理由がる。
それは「浜松縦断マラニック」試走・・・・・。
丁度良い機会だったのだ(^^)/
朝5時過ぎに、まだ少ない浜松駅南口を歩いている人に声をかけ写真を撮影してもらう。
5時30分スタート。
南口を北口に向かい、ここでも通行人に声をかけ写真を撮ってもらった。
こんなことばかりしていて時間が経ってしまった。
急がなければ・・・・・。
国道152号線の「飛竜街道」に出て、この街道を北に進む。
そうだ、朝から何も食べていない、野菜ジュースを飲んだだけだ。
どこかに開いている食べ物や無いかな~。
有ったあった、「すき屋」ここで朝食をとることにする。
ここで7時から7時30分まで朝食タイム。
腹いっぱいになったところで、また走り始める。
まだまだ消化の途中だから、今まで以上にゆっくり走る。
新原のローソンに着いたのが8時00分
ここは休憩なし、先を急ぐ。
ボー君の家の近くに来たので電話した。
ツーツーツー・・・・・・出ない?
車はあるのに・・・・・・。
まだ寝ているのかな~?
しょうがないので、先を急ぐ。
鹿島橋に着く。
天竜川に出ましたネ~。
二俣に出た、あまりにも暑いので、そこのコンビニでスイカバーを買う。
ここからはスイカバーを食べながら歩く。
と、脇道にある横断歩道を渡ろうとしている自転車に軽の箱バンがけたたましく警笛を鳴らし突っ込んで行った。
横断歩道を渡ろうとしている若い人が軽く頭を下げた。
軽の箱バンはそのまま走って行った。
その箱バンの後ろには、高齢者のシールは貼ってあった。
「くそジジー、おかしいじゃないか」と怒鳴ってやろうかと思ったが・・・・・ま、そんなことは言わなかった。
丸く治まったので・・・・それでいいのかな。
怪我もなかったし。
先を急ぐ、山東サークルKに着いたのが9時45分。
ここでオニギリ、飲み物、菓子などを買う。
秋葉ダムあたりで食べる昼食用。
船明のローソン、その横に建設中のコメリ、これからここはどのようになるのだろう。
飛竜大橋から道路がここまで抜ければ、もっと便利になってくれるだろう。
浜松市指定文化財「船明の日本杉」を見学、フムフムここは船明ダムが出来る前は諏訪神社があったのか~、この二本杉はその神社の参道にあったと書いてあった。
この地域も時代の流れと共に景色が変わっていっていたのだろう。
トンネルを二つ抜けると佐久間まで来るはずだった線路を利用して出来た橋が見えてくる「夢のかけ橋」だ。
道の駅「花桃の里」もある。
横山の橋を渡ったところにあるガソリンスタンドで、空になったペットボトルに水をもらった。
横山トンネルを抜けると、ジュビロ磐田のシャツを着たオジサンに声を掛けられる。
「どこまでいくだいや」「佐久間」「走るだかね?ジュビロのシャツ着てるが」「息子のシャツ」「車に乗ってくか?」「いいョ、俺は趣味で走っているだで」
そんなことを話したかナ。
秋葉トンネルを抜けると秋葉ダムが見えてきた。
秋葉ダムの公園で昼飯&休憩。
ここは12時10分
20分休憩
ここからは、高速で走る車におびえることもなく軽快に走る事が出来る、景色も山があり川があり癒される。
西渡(にしど)に着き、林商店により店の中をのぞき冷蔵庫のを見てビールは無いかと確認したが・・・・・無かった。
残念!!
コーラで我慢した(^^;
ここから佐久間の私の家までは6㌔
そんな距離で安心したのか足取りも軽く走っていった。
家に着いたのが15時45分
10時間15分の今日の「浜松縦断マラニック」試走だった。
浜松駅南口 5:30
新原ローソン 8:00
山東サークルK 9:45
秋葉ダム 12:10
佐久間 15:45
何年前だっただろうか?
浜松駅から佐久間町までの60㌔を走る「浜松縦断マラニック」にメグちゃんは参加したことがある。
彼女は主婦で、旦那さんも走っている。
その時は、お母さんの走りを応援しに来た家族みんなが佐久間の旅館に泊まり、、夜は家族で、中部(なかべ)のお祭りの地割れ花火を見ていた。
最近、ヒロボーさんの大会で見ていないな~っと思っていたら・・・・・な、なななんと。
「日本縦断走り旅」
に参加すると言うのではないか。
コース 北海道・宗谷岬 ~ 鹿児島・佐多岬
走行距離 3146K
スタートは2013年9月20日
「日本縦断走り旅」専用掲示板
http://6121.teacup.com/unpoh1234/bbs/thread/list/thread_id/4/?
私は、この掲示板を見て、佐久間から応援していくつもりだ。
ここは平成の合併の時に他の町村とは合併しなかったところ、
人口1,811人の泰阜村に、1、000人以上のランナーが集まり、村の人たちがみんなでランナーを迎えてくれます。
雨の中をスタート。
ここのコースはとにかくハード、下ったと思えば上り坂が待っている、そんなことを繰り返しながら下っていく。
折り返し地点からはあと半分、しかし疲れた体での上りはキツイ!!
沿道で応援してくれる人が「後2キロだよ~♪」
と言ったと思えば、次の沿道の人は「残り3㌔・・・・ガンバレ!!」
何を信用すればいいんだ(^^)
そんな感じで、応援してくれていた。
ここは残り2キロでも、登りの二㌔。
最後の上り坂にスイカエイドがあった、食べたかった・・・・けど、やっぱりゴールを目指した。
10kmの部
記録 50:32
最近、長い距離をユックリ走るのが多く、こんなに一生懸命走ったことが無いので、、、、、とにかく疲れた。
走り終わり、温泉「秋桜の湯」に行き、道の駅でお土産を買って帰ってきたのであった。
ジャン・ジャン。
朝、携帯のバイブが鳴っていると家内に言われた。
電話番号が出ていたので、誰かなと思い通話した。
その主は、私の「浜松縦断マラニック」のことを誰かに聞き、参加したいとの話だった。
ありがたいことです。
今のところ参加者
玄海・もりひろ・いちご大福・しんしん・ミド・イケ・しゅうじ の七名。
出発は8月31日(土)浜松駅南口を朝7時にスタート。
佐久間町が合併をして浜松市になり、大きくなった浜松市を自分の足で走ってみたくなり。
その道を、走る仲間で走ってみたくなり。
今に至っている。
佐久間町が合併しなかったら、浜松市がこんなに大きくならなかったら、こんなことは思いつかなかっただろう。
車ではなく、自分の足で走ることにより分かることがある。
PS
秋葉ダムの公園で、ボランティアでエイドをやってくれる人がいる。
この人たちは、私が10年前に卒業したNHK学園の社会福祉学科の卒業生で集っているCSネットワークの人たちだ。
仕事や家事の余暇を利用して、NHK学園で勉強した知識を生かしボランティアをしている。
そんな、人たちなのです。
昭和の合併で、3村1町が合併しできた佐久間町。
その後、平成の合併で浜松市になり佐久間町は、その長き歴史を閉じた。
私が生まれ育った横吹(よこぶき)では、私が育った昭和40年代では、山の中の生活といえど子供たちが多くいて賑やかな山の生活だった。
上の写真んは、最近出会ったブログに有った写真だ。
佐久間町のような、北遠の山村の衰退を憂いて立ち上げたブログであろう。
佐久間町は浜松市になった。
浜松市は中心地である浜松駅周辺は昔のような賑あいは無くなった。
浜松市として、北遠の衰退より、今は駅周辺の活性化が大事なのだろう。
私は思う。
地域を守るのは、そこに住む人。
自分の地域を活性化させるのは、その地域に住む人が頑張らなければならないと。
世界遺産「富士山」
この富士山を、海抜0メートルから富士山頂(3776m)を24時間で往復するというマラニックを企画している人がいる。
「富士山頂往復マラニック」
スタートは、富士田子の浦港の白灯台の前からだ。
ここを土曜日の夕方6時にスタート。
一時間を3年だから54歳、まさに今の自分の年のころだ。
国道139号線を富士宮に向かって走っていく、第一チェックポイントは富士宮の浅間大社。
ここでは、お祭りの真っ最中だ。
ここを19時50分。
サラリーマンだったら定年の年。
やれやれの年ですかな(^^)
祭りで人ごみの中を行き浅間大社に参拝、これからの富士登山の安全を祈願する。
富士宮からは県道180号線(富士山スカイライン)を富士山に向けてただただ上る、富士宮の町を抜けると辺りは真っ暗。
第二チェックポイント(標高1000m)
22時36分
もうしんどい、走ることもできず早足で歩くようになる。
第三チェックポイント(料金所)ここで0時35分
もう人生が終わり、次の人生が始まったところだ。
料金所からは、県道152号線。
標高も上がってきたので涼しくなり風が気持ちいい。
空を見上げると満点の星空だった。
第四チェックポイント(標高2000m)
2時05分
小学校に入ったころかな(^^)
第五チェックポイント(新五合目)
3時35分
小学校高学年
第六チェックポイント(富士山頂)
7時45分
青春真っ只中
山頂での景色は抜群だった。
天気も快晴だった。
第七チェックポイント(新五合目)
9時35分
男三十頑張れる盛(^^)
第八チェックポイント(2000m)
10時24分
私が走り始めたころかな(^^)
第九第十はチェック忘れ。
第十一チェックポイント(浅間大社)
14時20分
40歳代は働き盛りだけど、病気や怪我には気を付けなければ(^^;
ゴール(田子の浦港白灯台)
17時53分
子供も巣立って、夫婦でユックリできるころ。
そんな時に、ゴールができた。
こんな風に丸一日かけて世界遺産になった富士山を楽しむことができた。
人の一生を一日と例えると。
私の「富士山頂往復マラニック」を経験して24時間寝ずに走ったことで思うことは。
一日のうちでいい時も悪いときもない。
朝には朝の良いところがあり。
夜には夜の良いところがある。
また辛いときも苦しいときもあるということです。
そんな事を乗り越えて迎えたゴールはものすごく感動するのです。
自分の人生もこのようにしなければと思った。
ジャンシャン。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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