2009年5月1日
ブログ「ほくえんの風」は始まった。
その時は、Googleが提供するブログサービス『Blogger』で書いていた。
http://sakumagogo.blogspot.jp/search?updated-max=2009-05-25T20:35:00%2B09:00
それが
2009年7月9日
忍者ブログに・・・お引越し。
現在
2014年11月9日まで続いている。
また、「ほくえんの風」このブログの名前、
それは、ブログを始める前に、出会った、
ブログ「南アルプスの風」
http://www.cam.hi-ho.ne.jp/junpei_s/
から真似て命名している。
そう、その中でも
「くも膜下出血の闘病記」
の記事に感銘して、、、、。
自分の、これから続けていこうとするブログの名前を
「ほくえんの風」
に、したのだった。
私も
くも膜下出血の病をした者として。
ほくえんの風(くも膜下出血)
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E3%81%BB%E3%81%8F%E3%81%88%E3%82%93%E3%81%AE%E9%A2%A8/%E3%81%BB%E3%81%8F%E3%81%88%E3%82%93%E3%81%AE%E9%A2%A8%EF%BC%88%E3%81%8F%E3%82%82%E8%86%9C%E4%B8%8B%E5%87%BA%E8%A1%80%EF%BC%89
ほくえんの風(くも膜下出血) 其の2
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E3%81%BB%E3%81%8F%E3%81%88%E3%82%93%E3%81%AE%E9%A2%A8/%E3%81%BB%E3%81%8F%E3%81%88%E3%82%93%E3%81%AE%E9%A2%A8%EF%BC%88%E3%81%8F%E3%82%82%E8%86%9C%E4%B8%8B%E5%87%BA%E8%A1%80%EF%BC%89%20%E5%85%B6%E3%81%AE2
ほくえんの風(同窓会をやろう)
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E3%81%BB%E3%81%8F%E3%81%88%E3%82%93%E3%81%AE%E9%A2%A8/%E3%81%BB%E3%81%8F%E3%81%88%E3%82%93%E3%81%AE%E9%A2%A8%EF%BC%88%E5%90%8C%E7%AA%93%E4%BC%9A%E3%82%92%E3%82%84%E3%82%8D%E3%81%86%EF%BC%89%20
ほくえんの風(浜松マラソン)
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E3%81%BB%E3%81%8F%E3%81%88%E3%82%93%E3%81%AE%E9%A2%A8/%E3%81%BB%E3%81%8F%E3%81%88%E3%82%93%E3%81%AE%E9%A2%A8%EF%BC%88%E6%B5%9C%E6%9D%BE%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%82%BD%E3%83%B3%EF%BC%89
ほくえんの風(同窓会)
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E3%81%BB%E3%81%8F%E3%81%88%E3%82%93%E3%81%AE%E9%A2%A8/%E3%81%BB%E3%81%8F%E3%81%88%E3%82%93%E3%81%AE%E9%A2%A8%EF%BC%88%E5%90%8C%E7%AA%93%E4%BC%9A%EF%BC%89
ほくえんの風(浜松マラソン)
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E3%81%BB%E3%81%8F%E3%81%88%E3%82%93%E3%81%AE%E9%A2%A8/%E3%81%BB%E3%81%8F%E3%81%88%E3%82%93%E3%81%AE%E9%A2%A8%EF%BC%88%E6%B5%9C%E6%9D%BE%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%82%BD%E3%83%B3%EF%BC%89_100
どの様な些細なことでも、続けて行くこと、それは大切なことだと思う。
過去から学び、今を生き、未来へ期待しよう。
ほくえんの未来を期待しよう。
9月2日から「ゆるキャラグランプリ」の投票が始まった。
私が暮らす佐久間町では地元観光協会の「さくまるくん」が参加している。
投票が始まった時には、「ゆるキャラグランプリ」のオフィシャルフェイブサイトにつないで"ポチ"していたが、
10日もたつと、だんだん億劫になってきた。
フルマラソンを走っているときに例えると、前半ペースに乗ってきたころだろうか。
マラソンの場合、このころにエイドが現れ、焦る気持ちを抑え給水をしてペースを維持して前に進む。
ボランティアの声援に励まされ長い道のりに挑んでいくのだ。
「ゆるキャラグランプリ」の場合、ただ1日一回、「ゆるキャラグランプリ」のオフィシャルフェイブサイトにつないで"ポチ"
誰もが与えられている1日24時間ある中で、ほんの数秒をその時間に使う。
でも、そんな気持ちを抑えて、
10月20まで頑張ろう。
自分なりに、やることをやって行けば・・・きっと気持ちは晴々とするだろう。
「ゆるキャラグランプリ」と「マラソン」
どちらも、自分がやろうと決めたこと、誰に勧められたわけではない。
朝起きて、ゆるキャラグランプリのHPに入り、さくまるくんに”ポチ”する。
私が「ゆるキャラグランプリ」のことを知ったのは、去年の今頃。
地元佐久間町でも「さくまるくん」がゆるキャラグランプリに出ていることを知ったからだ。
佐久間町の隣町、東栄町では「オニスター」で参加している。
去年の九月初め、初めて「ゆるキャラグランプリ」のHPを見て、投票結果が「さくまるくん」が数百票に対して「オニスター」が数票しか入っていなかったのを覚えている。
私は、人生で初めて「ゆるキャラグランプリ」に投票したのが、その「オニスター」だった。
佐久間町の裏切者(^^;
今年の夏、佐久間町が浜松市に合併した時から始まった、昭和50年佐久間中学校を卒業した人の同窓会が浜松市のホテルコンコルドであった。
45歳から始まり5年ごとに開催しようと話し合い、50歳の同窓会までを佐久間町浦川の「清流荘」で行ったのだが、地元の同級生が町場でやりたいとの意見が多く、55歳の同窓会は浜松市内での開催となった。
自分としては、5年に一回ぐらいは地元に同級生が集まって楽しくやりたいと思っていたけれど、皆さんの意見には反対できなかった。
そこで、今回の浜松市内での同窓会には、私は佐久間から「さくまるくん」と一緒に参加した。
9月に入り「ゆるキャラグランプリ」が始まり、私の朝の日課は、その「さくまるくん」に”ポチ”!!から始まるようになってきた。
そして、スマホに入っている同級生にも応援をメールで依頼した。
返信があった人だけでメーリングリストを作り、毎朝自分が”ポチ”したら送るようにした。
佐久間町でも朝の散歩をしている人は数人いる、何時もなら挨拶だけ交わして終わりなのだが、今日からは会う人に投票を啓発してみた。
同じ山間部の町、隣の東栄町では今年も「オニスター」が出ている。
私は勝手にライバルだと思っている。
9月9日現在
「さくまるくん」495位 454pt
「オニスター」 200位1741pt
今年は、こらからどのようになるのだろうか?
自分なりにやれることをやっていこうと思っている。
byしんしん
平成14年3月14日
この様なブログを書いた覚えがある。
内容は↓
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E3%81%BB%E3%81%8F%E3%81%88%E3%82%93%E3%81%AE%E9%A2%A8/%E4%BD%90%E4%B9%85%E9%96%93%E3%82%92%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AB%E4%BE%8B%E3%81%88%E3%82%8B%E3%81%A8%E3%80%82
話しは変わって、今日は佐久間中学校時代の同窓会の日だ。
当時、私は城西地区の「横吹」という村に暮していた。
山の中腹にあるその村は、小中学校に通うときには飯田線の相月駅からの山登りが毎日の日課だった。
佐久間町を日本に例えると、その村は東北の山形県あたりの最上川の上流の小さな集落なのか?
横吹は縦に長い村だ。
村では下組と上組に分かれていた。
そんな村に村道を造ろうとの話が出たのだが、一部の人の反対意見で村道の話は夢と消えた。
そして、家族での話し合いがあり、引っ越しの話になって行った。
当時、湖西市に住んでいた私のところに父親から電話書が来て
「少ないけど、先祖が残していった物もあるし・・・佐久間に居たい」
その言葉から、佐久間町半場に引っ越しが始まった。
ここに越してきて24年。
今は、佐久間町も浜松市。
それも政令指定都市。
ここは磐田郡だったのが、天竜区になった。
人の流れは、都会へと流れていく。
先日、テレビで、定年を迎えようとする人が
「定年後は、東南アジアで暮らしたい。物価も安いし、日本と変わらない生活ができるし」
そんなことを言っていた。
「年金も、日本から自分の通帳に振り込んでくれるのョ」・・・と。
時代は変わった。
日本は平和な国、自由の国になった。
グローバルの時代どこの国に住もうが、その人の自由なのだ。
分かっているのだが、、、、。
昨日は我が町佐久間へ、
植田芳樹&TOMOKOがやって来た。
数か月前から、チケットをゲットし、その日を待ち望んでいたら、
な・なななんと台風が接近しているではないか、このような日に開催できるのであろうか・・・・・心配をしていたが、
幕は上がった。
ベンチャーズギターリストのTOMOKOが佐久間町の民話の郷会館のステージに立っていた。
ピンクのギターを持って、浜松ベンチャーズをバックにベンチャーズメロディーをカッコよく弾いていた。
彼女は北海道出身で、かずかずの出会いがあり、上京しこのステージに立っているそうだ。
ノーキー・エドワーズとの出会い、そして今がある。
地下鉄の電車のドアーが空いたとき、乗ろうか乗るのを辞めようか迷っている暇はない。
そんな語りが印象的だった。
ベンチャーズはそんなには知らない私なのだが最後の「パイプライン」「ダイヤモンド・ヘッド」は聴いたことがある。
エレキの音も凄いのだが、民話の郷会館の音響の良さにも驚いた。
この様な、立派な施設、ただ眠らせておくには勿体ない、と本当に思った。
次は、
ザ・ワイルドワンズの植田芳樹さんの登場だ。
昔懐かしい曲が流れ、若き日の思い出が甦った。
流石、芸歴が長いだけあって話し方も客席のみんなを相手に巻き込んでの口調だった。
途中、前列の子供の相手をしたり会場中が笑いの渦となった。
まるで寄席に来ているみたい、いや、LIVEと漫談の二度おいしい会場だった。
古い曲ばかりで、子供には退屈と、、、。
アナと雪の女王「Letitgo」を三回もやってくれたのには子供も楽しんでくれたのではないだろうか?
LIVEももうそろそろ最後かなと思っているときに、こーちゃんの不審な手・・・。
舞台の袖にストップのような手。
もしかしたら・・・・さくまる???
と思っていたら。
次の曲がスパイダーズの「バンバンバン」
出てきた、、、さくまるくん。
登場。。。。
詳しくは↓の頁で。
https://www.facebook.com/mitsuo.murase.73?fref=photo
LIVEはあまり興味がなかった私だが、何かの縁で、このLIVEの事を知り。
自分の分のチケットを佐久間観光協会から購入した。
それから、家内の分、長男のを購入した。
主催する人から、このようなLIVEを計画しているのだが、
浜松市文化サポート事業として行っているLIVE、佐久間や奥の人、過疎地域の人に知ってもらいたい、もっと多く来てもらいたいとの話を聞き、
私なりにFBで宣伝してみた。
何人かの温かいコメントを受け、ここ来るはずだった人も、、、あいにくの台風。
残念な人もいた。
色々あったけれど。
なんとか無事に終わった.
ありがとう。
植田芳樹&TOMOKO
感謝です~♪
PS
TOMOKOの今後の目標は、世界に向けた女性ギターリストだそうだ。。。。
その前に、日本で、そう紅白歌合戦に出るのが目標だそうだ。
夢は・・・きっと叶う。
私の目標は、
さくら道を走ること。
名古屋から金沢までの桜の道を行くこと。
荘川桜に会いに行くことが目標です。
byしんしん
毎日暑い日が続き、、、、うんざり。
仕事から帰ってきて、今日は走るの・・・どうしようかと思いながらの帰宅。
ポストを見たら。
走友の高○さんからの
暑中見舞いのハガキがあった。
高○さんは、
2008年の夏、私が初めて「富士登山競争」に参加した時、
山頂コースで、八合目を過ぎ、もがいている時に、
自分は諦めかけていた時に。
後ろから来て
「まだ間に合うゾ!!」
と、励ましてくれた走友だ。
あれから6年。
高○さんは、まだ挑戦し続けている。
「富士登山競争」は
2008年に完走でき。
2009年には8合目で関門に引っ掛かり。
2010年は、悪天候で五合目までで打ち切りになった。
私は、この年で富士登山競争は行かなくなる。
my記録
http://run2.ina-ka.com/kiroku.htm
次の年、静岡県側で萩田さんが開催している
「富士山往復マラニック」
を走ろうと心に決めた。
2011年は参加申し込みをしたのだが、なんと半場のお祭りが終わってから喉の調子が悪くなり、タンが出て微熱が続き、、、肺炎になってしまった^^;
2012年は第10回記念大会ということだったのに、、、ゴールである田子の浦港に着いたのは、制限時間の24時間を過ぎた時だった、皆が撤収した一人ぼっちのゴールだった。
2013年は、ぎりぎりセーフ、17時51分のゴールだった。
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E5%B1%B1%E9%A0%82%E5%BE%80%E5%BE%A9%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF/%E7%AC%AC%EF%BC%91%EF%BC%91%E5%9B%9E%E3%80%80%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E5%B1%B1%E9%A0%82%E5%BE%80%E5%BE%A9%E3%83%9E%E3%83%A9%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%AF
もう一つの「暑中お見舞いは」このマラニックの呼びかけ人である萩田さんからだ。
また、もう一つの暑中お見舞い。
それは、私が初めてフルマラソンを挑戦した
「磐田大藤マラソン」1991年、4:51:04でゴール
この時、最後を一緒に走った人、一緒にゴールした人からの暑中お見舞いだ。
当時、会社を定年になり記念に走ったと言っていた。
今は83歳になるのか、、元気してるだろうか?
色々な走る友達に励まされ、今、自分は走っている走る続けようとしている。
多くの走友に・・・感謝!!
台風が通り過ぎ、私が住む政令都市浜松市天竜区の過疎地域、佐久間町は快晴の朝を迎えた。
私が住んでいるところは近くに沢が流れ、台風の時にはその沢が激流になり被害が出てたとが数回ある。
佐久間町時代は佐久間の役場に相談して解決したことも、今では遠く60㎞離れた天竜区役所にまで行かないと相談できない。
全国を先導する都市「浜松市」
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E3%81%BB%E3%81%8F%E3%81%88%E3%82%93%E3%81%AE%E9%A2%A8/20140709
過疎地域は、お荷物になってはならない!!。
そうは思うが、、、、。
これは、観光とか地域おこしにとってのことだ。
道路とか橋とか、ここで暮らすのに最低限のライフラインの整備は進めてほしい。
そんな風に
感じた
台風が去った
政令都市浜松市の過疎地域で暮らす
私
しんしん
で、あった。(^^)
先日、家に広報はままつ が届いたので読んでいたら、、、。
市長のあいさつがあった。
今日、ネットで検索し、↓の動画にたどり着いた。
市長の言葉の中で、四つの過疎地域と言っているが。。。それは
水窪・龍山・春野、それと私の住む佐久間のことなのか?
政令指定都市の過疎地域に住んでいて、地域の体協やNPO・観光協会のことに携わっていると。
予算は削られ、今まで行ってきたことが出来なくなる、、、そんな感じだ。
佐久間町時代に作った建物も(観光トイレなど)地域に管理してほしいと市からは言われ、地域で管理できないから壊していく。
過疎地域は予算も奪われ、住む人も都会へと流れていき、どうすればいいのだ!!!。
そのような感じだ。
しかし、目線を変え、もし自分が浜松市の市役所の横辺りに暮らしていたならば、そしてこの平成の合併が進んだとしたならば。
そこの住人として、新浜松市の過疎地域を見たならば、・・・お荷物と感じても不思議はないだろう。
夢街道100㎞
浜松駅南口から北遠を通って静岡県の県境を越え、遠山郷まで走って・・・そんなことを考えた。
110もの限界集落
そこには、私が幼少の時を暮らした村「横吹」(よこぶき)も入っているのだな~。
浜松市の過疎地域は、お荷物になってはならない。
全国を先導する都市「浜松市」の中の、思い出に残る、心に残る、過疎地域にならねば。
土曜日の夢街道、走る仲間がブログを書いているので、、、。
観てください。
とっちーの「終わりなき旅」
http://blog.goo.ne.jp/maduka/e/21994ebc990b21995ca2b7940584ab0d
すぎうら日記
http://sugiurains.dosugoi.net/e656107.html
走ってから宿泊した遠山郷の宿の動画です。
いろりの宿「島畑」
今日は・・・ここまで(^^)
おやすみなさいZZZzzz,,,。
昨日、中日新聞社から電話があった。
女性の声だった。
その時に、そんなことを言われた。
夢街道100㎞
浜松駅から遠山郷までの100㎞を走る、、、。
う~ん・・・どうしてだろうか?
その前に、どうして中日新聞社から電話が来たのか分からなかった。だから聞いた。
私 :「どうしてそのことを知っているのですか?」
記者:「天竜支社から情報が来ました、自分で報告したのでは?」
私にはまったく覚えがない。
でも、新聞で記事にしてもらえるのは、ありがたい話だ。
そこで、記者が言った言葉について考えてみた。
どうしてそんな事をやるのですか?
楽しいから。走るのが好きだから。
大きくなった浜松市を突き抜け遠山郷に行き、そこのかぐらの湯で疲れを癒し飲むビールは最高だ!!
そんなことが面白いからやっているのです。
こんな写真でマラニックの楽しみが伝わらないでしょうか?
地域おこしのためですか?
う~ン。自分の楽しいことがやがて地域おこしになるのならいいと思う。
でも、自分が地域おこしのためにやっているという感じは・・・ない。
佐久間町が合併して、NPOがんばらまいか佐久間ができ、活動委員として働いていた時、「交流居住モデル事業検討委員」が始まった。
都会に暮らす人を佐久間に呼び込もうとする事業だ。
活動委員の私たちが朝早くソバ畑の草取りをしていると、、、サングラスをかけたNPOの事務の人が遅くに来て、新聞社の人にソバ畑の説明をしていた。
今、田舎では、地域おこしをしているとメディアで取り上げてくれる。
去年の夏にやったNHKの金とく SKE48の未来教室~過疎高齢化を考えますなんかはその例だ。
そんなことを思って書いたブログ
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E3%81%8C%E3%82%93%E3%81%B0%E3%82%89%E3%81%BE%E3%81%84%E3%81%8B%E4%BD%90%E4%B9%85%E9%96%93/%E3%80%8Cnpo%E3%81%8C%E3%82%93%E3%81%B0%E3%82%89%E3%81%BE%E3%81%84%E3%81%8B%E4%BD%90%E4%B9%85%E9%96%93%E3%80%8D%E3%82%92%E8%80%83%E3%81%88%E3%82%8B
地域のためだと言っては見ても本当に、ここ佐久間のためにと思っている人が何人いるだろうか?
そんなことを感じて佐久間で暮らしているから。
「地域おこしのためですか?」の答えに「ハイそうです」とは答えられなかった。
佐久間町では
NPOがんばらまいか佐久間の活動委員
佐久間町観光協会の一般会員
のしんしんからの一言でした。
やめまか・・・佐久間のブログを書いたけど会費は払っていますから(^^)
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E3%81%8C%E3%82%93%E3%81%B0%E3%82%89%E3%81%BE%E3%81%84%E3%81%8B%E4%BD%90%E4%B9%85%E9%96%93/%E3%82%84%E3%82%81%E3%81%BE%E3%81%84%E3%81%8B%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%83%BB%E4%BD%90%E4%B9%85%E9%96%93%E3%80%82
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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