2014年8月23日(土)は佐久間中学校の同窓会だった。
2007年に佐久間町が浜松市に合併することになり、
様々なことが、その合併のことで進んでいった。
中高一貫・NPOがんばらまいか佐久間。。。など。
佐久間に暮す人たちも、それぞれに考えていたであろう・・・これからの生き方。
私はこの年の春、大きな病気をした。
死ぬか生きるか、そんな狭間を経験した。
浜松の聖隷病院を退院して、親に迎えに来てもらい、龍山のトンネルを抜けた時、
眩しい新緑に感動した、山に帰ってきたゾ~~っと。
家に帰り、居間に座り、そこにテレビがあること、この場所にこの本が置いてあること。。
当たり前のことに感謝すら覚えた。
その夜、いつもの自分が寝ている布団で寝て、朝を迎え、
倒れる前に、いつもの日課だったジョギングのコースを
散歩しようとした。
が、走ることはおろか、歩くことも、、、。
太腿の筋肉が落ち、ユックリしか歩けない、ふらふらだった。
その日は天竜川の堤防まで・・・。
数日がたち、働けるようになり、職場から帰ってくる途中。
中学校の同級生に出会った。
金○くんだ。
病気の事を心配してくれ、身体の調子を聞かれたときに、
「中学校同窓会をやらないか?」
そんな話が出した。そして中学校時代のアルバムを開き始めた。
佐久間町が浜松市に合併すると時、
佐久間中学校の同窓会は始まったのだ。
中部のお祭りのに同級生が集まり、30年ぶりの同窓会の開催に向けての話をした。
当時、私が思っていとことは、
合併で、この町(佐久間町)は益々過疎化が進むだろう。
5年に一回ぐらいは、この佐久間で楽しく集まろうと。
一回目と二回目は、45歳と50歳の時には浦川の清流荘で開催したのだが、、、。
地元でやるより、町に出て都会に出てやりたいという話が出てきた。
「佐久間でやっても旨いもんないし、二次会で面白いところもないし」
そんな話が聞こえてきた。
実際、二回目の時に、清流荘に泊まった。
ヤス・コウリュウ・ブーチュと私。
酒は余ったのがあったが、ツマミが無い。
ラーメンを食いに行こうかとヤスは言う。
佐久間には、そんなところは・・・・無い。
こんなことで、今回の「第三回佐久間中学校同窓会」はホテルコンコルドになったのだ。
開催場所は佐久間ではないけど、佐久間町の中学校を卒業した人の同窓会。
佐久間町の地で中学生時代を育った人たちの同窓会、私は佐久間観光協会のゆるキャラ「さくまるくん」と共に出席した。
今回、三回目。
初めて参加してくれた人が何人かいた。
懐かしかったな~(^^)
さくまるくん
と一緒に写真を撮った動画↓
次5年後、還暦の年だ。
まだ、参加していない人は是非、参加してほしい。
人生、色々なことがあるけど、それなりに楽しく生きて行こうではないか。
人生は一度きり。
byしんしん
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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