毎年、お盆にお寺に集まる施餓鬼の案内が来たのだが、今年は14日、、、その日は私「人間ドック」の日だった。
8月5日(火)に一人で墓参り、お施餓鬼の先祖供養の浄財をを納めて来た。
その時に、お寺の住職との話の時に
「家の片付けしていたて古い本が出てきたので、読みたい本があったら持って行かないかネ~♪」
と言われ
多くの難しい本の中から、私が手にした本は「人生生涯小僧のこころ」だった。
この本の著者は、大峰山年日回峰行者 阿闍梨 慈眼寺住職・塩沼亮潤さんのお話だ。
小学校のころから、お寺に仕えたいとの思いがあり、或る日テレビで
比叡山千日回峰行者 酒井雄哉 阿闍梨
の姿を見てから、
「千日回峰行者になりたい」
との思いが深くなったと書いてあった。
塩沼亮潤さんは昭和43年の生まれで、平成4年に奈良県吉野の大峰山系を巡る千日回峰行を始め7年間の行を満行して31歳で阿闍梨の称号をもらわれました。
回峰行では比叡山が有名ですが塩沼さんは奈良県吉野の大峰山系で一日に48㎞の峰々を回る大峰山千日回峰行を達成されたのです。
千日回峰行を万行した行者であれば、本山に残るのが通例なのですが、塩沼亮潤さんは郷里の仙台に帰って自給自足の生活をしているという。
千日回峰行など数々の目標を立て、一心不乱に目標に向かって来た、塩沼亮潤さんの話であった。
また、そんな塩沼亮潤さんのお寺に中学生の時から奉公に行っている尼さんお動画にも出会った。
平成元年生まれの女性。
私の長男と同じ世代だ。
塩沼亮潤さんは、大峯山の道を行く千日回峰行者へと向かった。
お寺で頂いた一冊の本との出会い。
そして、ネット検索をして
動画との出会い。
人から人へ、道は遥かなり。
私も、来年・再来年と「富士山頂往復マラニック」に参加したい。
そして、自分なりの目標を立て、頑張って行くようにしたいと、心新たに誓った のであった。
「自分が与えられた環境をに感謝して生きていく」
大切なことだと思う!!
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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