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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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走る仲間、それが縁で知り合った人たち。

そんな人に新年のあいさつを送った。

年賀状。

日本人の風習は、時にはめんどくさくなる。
が、そんな少しの心遣いで、これからの人生が楽しくなってくる。

それは、私のマラソン人生の大先輩から教えてもらったこと。

大変と思えば大変になる。
楽しいと思えば、楽しくなる。
走ることも一緒。
苦しいからこそゴールの瞬間は何とも言えない爽快感がある。
そのあとのビールの味がたまらないのである。

byしんしん

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走り始めて来年の6月で26年になる。
最近は走る仲間も増え、自分の走るスケジュールもだいたい決まってきた。
限りのある自分の自由にできるお金で、一年間遊ばせてもらっている。
今年の年間計画は、、、これだ!!

1月2日
「田峯観音初詣ラン」(仮称)
1月11日
「湖西連邦トレイルラン」
1月17日
★「さくまの里 新年会」
1月18日
「たつやま凸凹マラニック」
1月25日
「佐久間駅伝」
2月1日
「森町ロードレース」
2月8日
「北遠駅伝」
2月14日
「佐久間しし鍋」
2月15日
「梅花駅伝」
2月21日
「名古屋どえりゃ~マラニック」
3月1日
「多国籍軍マラニック」
3月8日
「名古屋ハーフ」
3月28日
「たつやま凸凹マラニック」
4月5日
「秋葉ダム桜マラソン」
4月11日
「天女の羽衣伝説ウルトラマラソン」
4月19日
★「半場10班花見」
5月23日
「富士山一周マラニック」
5月31日
「竜頭山スーパーマラニック」
5月20日
★「横吹(よこぶき)同窓会」予定
5月26・27日
「夢街道90㎞」
7月4・5日
「浜松一周 旧市町村を巡るマラニック」
7月12日
「石巻山登山マラソン」
7月31日8月1日
「富士山頂往復マラニック」
8月29日
「浜松縦断」往路
8月30日
「浜松縦断」復路
9月??日
「チャレンジマラニックin遠山郷」
10月4日
「ぐるっと浜名湖一周マラニック」
10月25日
★「佐久間ダム祭り」竜神
11月14日
「チャレンジ明神山」
10月22日(たぶん)
「磐田ジュビロマラソン」
12月13日(たぶん)
「袋井メロンマラソン」
12月20日(たぶん)
「浜名湖半周忘年ラン」

こんな感じで一年間の予定にしている。

今年はありがとうございました。

来年も健康で、酒に走りに楽しんでいきたいで~す(^O^)/

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年間購買している人間学を学ぶ月刊誌到知

「出生数の減少と東京一極集中が招く待ったなしの人口急減社会」
地方消滅の危機
(松田寛也)日本創生会議 議長

人口の減少が続いている。国立社会保障・人口問題研修所(社人研)が最近発表した統計によれば、日本の総人口は2010年には一億二千八百六万人だったものが、2050年には九千七百八万人、2100年には四千九百五十九万人にまで急減するとしている。

また2014年04月30日 (水) 放送のクローズアップ現代
「極点社会」の衝撃

特別養護老人ホーム「さくまの里」
ここで入所しているお年寄りの保護者の会がある。
私は、そこで副会長だ。

会長は、佐久間を出て今は刈谷市に住んでいる。
会計の人は豊川市だという。

その三人が、年末に 今後の老人ホームの保護者会の事を話し合おうと、集まる機会を設けた。

佐久間町は、浜松市になり、自治体としては無くなった。
が、地域として佐久間町は存在する。

50年後100年後、佐久間町は無くなっているのかもしれない、
でも、今 私は佐久間町で、こんなことをしている、、、と。
話し合おうと思っている。

 

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夏の同窓会の時に同級生からもらった名刺に「QCサークル」の文字があった。
懐かしい文字だ、、、。
QCサークル。

QCサークルとは、性能の向上を追求し品質(Quality)を管理(Control)する活動、の事。
また、PDCAを回して考えていこうとも
Plan『計画』、Do『実施/実行』、Check『点検/評価』、Act『処置/改善』をしながら物事を考えていく、現場の品質管理への活動をするためにPDCAを回せと言われたっケ。

この活動は、その昔、水窪町にフジユニバンスの事業所がまだあるときに社内のQCサークル活動での懐かしい話だ。

この活動の時に、物事には、、、よい面と悪い面がある、例えばA工程で、、、、。
そんな話が合った。

A工程で、良い面と悪い面を挙げていき、魚の骨で表し、悪い面を消してい好い面を伸ばしていくという考えだ。
 

その考えを、今、佐久間町に当てはめて考えてみよう。

佐久間町の好い面は?
「自然が豊かなこと」「治安が良いこと」「人口が少ないので顔見知りが多い」「子供が少ないので、一人一人に行き届いた教育ができる」・・・・・などなど。
佐久間町の悪いとこは?
「過疎で少子高齢化だ」「有害動物が多く出て野菜などに被害が出ている」「道路が悪くて台風の時には通行止めの時がある」・・・・その他、まだまだあるだろう。

そこで考えてみよう。
ある面から見れば好い事として「自然が豊かなこと」があげられる。
が、この良い面が「有害動物が多く出て野菜などに被害が出ている」と思えば、悪い面に見えてくる。

物事は、考え方によって変わってくるものである。

悪いところとして「過疎で少子高齢化だ」と思っても、好いところとして「人口が少ないので顔見知りが多い」「子供が少ないので、一人一人に行き届いた教育ができる」と考えれば、好いところとして考えていくことができる。

良いも悪いも、その考えは自分の心が思っていることだ。
せっかくこの地に縁があり住まわしてもらっているわけなのだから、良い方向に考えて暮らしていきたいものだ。

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先日、東栄町の明神山にマラニックで行ったときに、大変お世話になった人がいる。
走り終わって、走る仲間から
「何かお礼をしたい」
そのような話が出た。
仲間からお金を集め、近いうちにお礼に行こうと決めていた。

今日は、そのお宅に行ってきた。

北遠のお土産、、、何かないかな~?

北遠と言えば水窪の小松屋製菓 「栃もち」がいいかな~。

そうは思ったのだが、、、私の家(佐久間)から水窪まで40分かかる。

水窪までは・・・・遠い。

佐久間には、、、お土産は・・・???(-_-;)
浦川に「喜好園」という お菓子屋さんがあったみたいだけど・・・・今はもうない。

そうだ!
50歳の同窓会の時に、、、東栄町の若松屋で「やまゆり羊羹」を買ったことを思い出した(^◇^)

今回は、ココでお菓子を買うことにした。

佐久間には高校があるけど、商店街がない。
東栄町には商店街が頑張っているけど、高校はもう数年前に廃校になってしまった。

水窪の小松屋製菓も頑張っているけど、水窪の商店街付近も空き家が多くなってきたと聞いている。

同じ中山間地で過疎化に高齢化に悩む地域だ。

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この事業で思い出すのが、
1988年(昭和63年)から1989年(平成元年)にかけて地方交付税として一律1億円を支給するふるさと創生事業だ。

バブル期の日本で、みんなが浮かれていた時代の話だ。

竹下総理を先頭に
「ふるさと創生一億円、、、バンザイ\(^o^)/」
とテレビで放送されたの姿を、今でも覚えている。

そんな一億円を手に入れた地方自治体は、それぞれに地域活性になる案を模索しその金も元手に何をしようかと考えたのだろう。
あるところは金塊、あるところは温泉。
異色なところでは「村営キャバレー」などもある。
http://matome.naver.jp/odai/2136073851093733701

馬鹿な時代だったと通り過ぎてしまった、今、、、、感じる。


そんなことを2012年3月31日にブログで書いている
 ↓ブログ↓
「地域おこし」

私の父親は、合併前の町長とは同級生だったそうだ。
その町長は、まだ景気のいい時、山の値段が高い時に、
山を売り、東京に土地を買ったと聞く。

私が中学生の頃、
父親が、合併前の町長の事を
「◯之助は先見の目があるワイヤ」
と言っていた。

佐久間町に帰ってきたのは29歳の春。
佐久間町が浜松市に合併した時には、私は45歳になっていた。
その間、佐久間町の町長は、城西地区の人だった。
城西の生まれと言っても、高校は浜松、大学は東京。
都会での生活が長く、田舎くささのないシティボーイ的な風貌の町長だった。

佐久間に帰ってきて、静岡県で市町村対抗駅伝が始まって、一回だけ補欠に選ばれ、その大会の開会式に参加したことがある。
静岡県の全市町村の首長が壇上にズラーッとせいぞろいした、佐久間町の町長は他の首長よりもカンロクがありひときは目立っていたような気がする。

その時代の佐久間町民は、、、、、、、そんな人物を首長に選んでいた。
(話し上手で、カンロクもあり、中央との話し合いで予算を取ってくることができる人)
そんな時代だった。

佐久間町の佐久間町時代の過去の話。

そんな佐久間町も合併し浜松市になり。
佐久間町ではNPO「がんばらまいか佐久間」を設立した。
浜松という大きな地域への合併を選んだ佐久間町。
これからは行政に何でも頼んでいくことはできない。
NPOを設立し、行政の至らないところをNPOでやっていこう。
これからは、地域の事は地域に暮らす人が考える時代。
東京に暮らす人の考えに頼らない時代。

悪かった過去は、反省し。
これからの地域づくりを、ココに暮らすみんなで、、、考えよう。
 

私が合併の時から始めた。 「浜松縦断マラニック」
走る仲間が口コミで集まり、浜松駅から佐久間町まで走る。
全て自己責任。
交通規則を守り、個人的な練習の一環としての参加。
そんな集まりを企画して、、、来年で10年になる (≧▽≦)

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朝の情報番組
朝日テレビ「グッド!モーニング」を見ていたら。
塾講師が、番組の出演者を相手に温泉についての話をしていた。
温泉には火山性温泉の温泉があり、火山下のマグマで温められた水をくみ上げ温泉になっていると。
そして、今は火山がなくても温泉がある。
それは「非火山性温泉」
地下では、深度が深くなるほど地温が上昇し、一般的に100mごとに温度が約3℃ずつ上昇すると言われている。
そのような説明だった。

佐久間町でも、その昔、、、この地域に温泉を掘ろうと作業していたことを思い出す。
その場所は、佐久間高校の西側だったり島中の運動公園だったり。

どちらの温泉も、噂では出なかった、、、ただそれだけで終わった。
佐久間町の住民にはなんら詳しい説明は・・・無かった。

佐久間町が温泉を諦めている時、
佐久間町の周辺地域では次々と温泉ができていた。
「とうえい温泉」「パル豊根」「梅の湯」「コマドリの湯」「秋桜の湯」「かぐらの湯」「おきよめの湯」
長野県の天龍村では「おきよめの湯」から平岡駅の「ふれあいステーション龍泉閣」の四階「 龍泉の湯 」まで温泉をもってきている。

そんな時、今から10年前の話。

その時の、佐久間町では、役場の職員や議員の人の話では、
そんな公共事業で箱モノを作っても、、、、佐久間町に残された人が大変になるだけだ!!。
そんなことを言う人ばかりだった。

朝の情報番組
朝日テレビ「グッド!モーニング」を見ていて、、、そんなことを感じた思い出した。
火山性温泉と非火山性温泉
佐久間で温泉ができなかったのは
この町で、これから頑張っていかなければならない、そう感じている人が、、、当時は居なかったのだと思う。

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和尚さんの説法では、
人の死から次の世界(あの世)に行くまでの期間は四十九日だという。
今日は、先月亡くなった叔母さんの四十九日法要だ。
亡き叔母さんが、安心してあの世に行けるように、こっちの事は心配しなくていいよ。と、お経の最後に拝んでください。


親戚が集まり、皆で和尚さんのお話を聞く、そして皆でお経をあげる。
「修証義」の第四章「発願利生(ほつがんりしょう)」

 


第四章「発願利生」 仏の心を起こし、自他ともに救われることを願うべきと説く。
自分も楽しく、他の人も救われる世の中を、、、。

親戚が集まり、お経を読んで、亡き叔母を忍び。

酒を飲んで、思い出話をして、次は山芋で一杯やろうと話が決まる。

そんな、山での生活も楽しいものだ(≧▽≦)

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ブログの記事を見て、何らかの反応をしてくれるのは、書いているものとして励みになる。

それは"コメント"だったり"拍手"だったり。

コメントを書いてくれれば、その内容は誰でも見えるから、私もなるべく早くコメントで返そうと思っている。

拍手の場合拍手コメン場合、私しかわからない。

また、私がお世話になっているブログには"アクセス解析"があり、自分のブログの訪問者を解析することができる機能がある。

この様に、他人の目は気になるものだ、、、(≧▽≦)

他人の目も気になるけど、一番このブログを見ているのは、、、自分。

以下
私に来る致知出版社からのメール引用
小学校教師歴32年、
学級崩壊に瀕したクラスを立て直すという経験をされた
著者である平光雄氏が行ってきた、
子供たちの心に「伝わる」ため「残す」ために必要な
実践的道徳教育の話です。

 例えば「自尊」という言葉を説明するのに登場するのが「目玉おやじ」です。

その説明の注目すべき内容とは・・・

***

自分の中にもう一人の自分がいること知ってる?

「自分」には、「する自分」と、それを「見ている自分」がいるんだ。
(紙芝居を見せて)

この「目玉おやじ」みたいな「見ている自分」は、
自分のやることをすべて見ているんだ。

「おまえ、あのときずるいことしたよな」

「おまえ、あのとき全力じゃなかったよね、手を抜いたよな」

「おまえ、あのとき人につられて本心じゃないことをやったよな」って。

他人に解らなくても、いつも厳しい、中立な目で見ている。
誤魔化せない。

「目玉おやじ」に、「うん、オマエモなかなかよくやっている」
と認められるということが大切なんだね。

これを「自尊」の念という。

「目玉おやじ」に尊敬してもらえるような生き方をしていこう。

***

他人の目は気になる。
しかし、そんなものを気にするより、、、、。
自分の人生なのだから、自分らしく生きよう。


「自尊」の念は大切、それはこの本でも教えられた。

自分を愛する力 乙武 洋匡   (著)

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城西地区の横吹で生まれた私は、小学生のころ電車に乗り遅れると家まで歩いて帰った。
その時、トミさんの家の前を通った。
城西地区を代表する人の家だと思っていた。

20歳のころ、友達と車で走って、トミさんの家の前で脱輪した。
トミさんの家の人が多く出てきて、みんなで車を引き揚げてくれた。

湖西市から佐久間町に帰ってきて、水窪のフジユニバンスで働いているころ。
走ることに目覚めた私は、会社の昼休みにジョギングをしていた。
その時、トミさんも走っていてすれ違うことが数回あった。
その頃は挨拶する程度、だった。

佐久間町が浜松市に合併して、佐久間町は「NPOがんばらまいか佐久間」を作り、初めの事業「ふるさとの森づくり」を始めた。
私はコイジのミ~兄に連れられて、浜松にその会合を聞きに行った。
その分科会では、おおきな講堂で大学の先生が「ふるさとの森づくり」の事について説明していた。

その時、トミさんが手を挙げ意見を述べた。
「先生の話も、もっともだが、今、北遠には人工林のスギ林がある、その人工林もしっかり手入れをすれば保水力はある」
トミさんの端的な意見に、大学の先生もタジタジだった。

その日から数年がたちfacebookをやるようになり、トミさんと友達になり、、、。
去年の「北遠駅伝」を同じチームで走った。
そして今年は「北遠駅伝」それと、長野県の天龍村の「梅花駅伝」も行った。
天龍村という小さな村で行っている駅伝、それが終わって飯田線で帰ってくるときにトミさんと少し話ができた。

今年の6月、トミさんから電話が来た。
佐久間町でライブをやろうと話が出ている、ぜひ参加してほしい。
そんな話だった。
佐久間を代表する人から電話が来て、恐縮だった。
しかし、自分なりに違うと思い、facebookのメッセージで答えた。
おはようございます。
この前は電話、ありがとうございました。

昨日、佐久間観光協会に行ってきて、その話のことを聴きました。

その話とは別に、民話の里会館で、昔のグループサウンドの人のコンサートをやろうかとの打診は来ているみたいです。

私が、思うに、
個人の人(グループ)が、勝手に盛り上がるのもいいと思うにですが、
ヤッパリ、しっかりした団体(観光協会・NPO)などが、地域のことをしっかり考える人が居て、地域を盛り上げていくのが、健全な姿だと思います。

今、佐久間観光協会にはお金がなく、大変困っている状態だと聞きます。
NPOに入る話も聞きます。

がんばらまいか佐久間のNPOです。
ここは、合併当時から参加していますが、理事の人が今の事務局の人に何も言えない状態です。

色々なことを事務局の河◯さんに任せ過ぎて、何も知らない理事ばかりです。
設立当時作ったNPO憲章すら知りません。

NPOの事務局の河◯さんとも、長年付き合っていますが、理事の人たちの会合での話の時には、私たちの話を聞くようなふりをしていますが、
個人的に話すと・・・・・なんと横柄な口のきき方でしょう。

そんな人のため、このNPOに来なくなった人が、佐久間町には多いです。

今の佐久間は、シッカリした(観光協会・NPO)ができ、それからです。
個人的なグループでの盛り上がる活動をするのは。

元佐久間町議会に関係した人には、NPOがんばらまいか佐久間をシッカリしたものにしてほしいです。
今の事務局の河◯さんに勝手にやらせているようでは、佐久間町民の一人として、大変に困っています。


その時に私が書いていたブログ
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E3%81%8C%E3%82%93%E3%81%B0%E3%82%89%E3%81%BE%E3%81%84%E3%81%8B%E4%BD%90%E4%B9%85%E9%96%93/%E3%82%84%E3%82%81%E3%81%BE%E3%81%84%E3%81%8B%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%83%BB%E4%BD%90%E4%B9%85%E9%96%93%E3%80%82

関係ないと思っていた佐久間町でのライブ。
ひょんなことから、応援するようになってしまった。
関係者から連絡が来て、様々な佐久間町でのトラブルなどを聞いた。
自分にできることならと、協力しようと思った
先ずは自分がチケットを買った。
 夏のヒットパレードin佐久間

そして、トミさんに連絡した。
そしたら、トミさんは、病の話をしたのだった。
嘘だと思った。

今年も「北遠駅伝」「梅花駅伝」に一緒に行けると思ったのに。
浜松から遠山郷まで走る「夢街道90㎞」
トミさんの家の前を走るので、応援してほしかったのに。

佐久間町の「NPOがんばらまいか佐久間」を作った経緯を聞きたかった。
何故、トミさんは、この活動に参加しなかったのか。

今となっては何も聞けない。

 

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
65
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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