原田橋が崩壊して、佐久間と浦川の行き来ができなくなり数日たった今
様々問題が起こっている。
仕事で双方に車で通っていた人は電車通勤になった。
本郷から私の家の近くまで通勤している人は、電車では時間がかかりすぎるので大回りになるが
車での通勤だそうだ。
もっとも危惧されていた、災害時の事。
昨日、その心配された事が起きた。
分団長は、遠く離れたところに勤務、
それでも、地域のために出動した。
佐久間町が合併を決めた時、
役場の職員が、私たちの地域に説明にきて、
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もいずれ井川地区みたいになるでしょう」
そんな説明だった。
どんな職業でも、どんな所に暮らそうとも、かまわない。
日本は自由な国だ。
しかし、この地域に残っている人がバカを見る浜松市にはしてほしくないと思う。
去年の10月、
城西地区 戦没者慰霊祭で言った旅行の時に、知り合いが持っていた御朱印帳
そこで私は初めて知ったのだ。
護国神社に行ってきた。
"しんしん"護国神社に行く。
辞書(コトバンク)
御朱印とは
知り合いの御朱印帳には、地元相月の「東林寺」の御朱印が最初に、続いて「靖国神社」そのとき行った「護国神社」となっていた。
そんな、御朱印帳をアマゾンで注文し、私も「東林寺」に御朱印のお願いに行ってきた。
先ずは、御朱印帳で地元の寺院や神社に参詣・参拝した時に、お願いできるところは行こうと思っている。
そして、何時か時間ができたなら。
御朱印帳を持って
四国八十八か所のお遍路に行きたいと思っているのである。
限界(もうこれ以上はダメだ)
そんな村、限界集落を株式会社にしようとする物語。
限界集落株式会社
今日の9時からNHKで放送される。
http://www.nhk.or.jp/dodra/genkai/
今日は第二回目。
私は、二年前にこの本を読んだ。
http://hokuen.blog.shinobi.jp/%E8%AA%AD%E6%9B%B8-/%E9%99%90%E7%95%8C%E9%9B%86%E8%90%BD%E6%A0%AA%E5%BC%8F%E4%BC%9A%E7%A4%BE
本で読むのとまた違った、面白さが伝わる。
夜の九時からの放送が楽しみだ(^O^)/
走ることを趣味としている私は、隣町までの長距離を走るときに原田橋を渡り、日々進んでいる新しい原田橋の完成を心待ちにしていた地域の住民の一人だ。
その原田橋が崩壊した。
佐久間駅伝を走ってから腰痛が出てきて、
その週の土曜日にマッサージに行こうと思っていた「とうえい温泉」
1月31日(土)
家内が、
「炊飯器を買いに浜北に行かない?」
そいう言われたのでマッサージをキャンセルした。
浜北のアピタで炊飯器を買い、そこの本屋で百田尚樹のフォルトゥナの瞳を買った。
杏林堂で欲しいものがあるそうなので、私は車の中で、その本でも読もうかと思っていた時に
スマホを見たら佐久間観光協会の投稿が、、、。
原田橋が崩壊した。
だった。
原田橋を佐久間側から渡ってすぐの、絶壁の所だ。
ほとんど垂直になっているこの崖は、走るときも大丈夫なのかと心配して通る道だった。
佐久間に住むものとして、いつも利用していた道路の崩壊は、寂しいものを感じずにはいられなかった。
次の日、崩壊現場を観に行くと、無残にも旧原田橋は天竜川に落下していた。
作業員も居ない現場、市の職員が数人待機していた。
崩壊現場がまだ無残にもある工事現場で、作業員は迂回道路の作業に真夜中をかけて工事をしている。
佐久間に暮らす者として、
現場で働く人たちには、ただただ頭が下がる思いだ。
多くの予算をかけて建設する道づくり。
佐久間に人が住まなくなれば、無駄な予算となってしまう。
地域の人でも考えなければならない、
浜松市も、また無駄な予算にならないように少しは山間部の事を考えてほしい。
2月14日(土)は「佐久間・・・しし鍋マラニック」だ。
毎年、この時期に、走る仲間が集まって佐久間を走る企画だ。
中部天竜駅横の浜松市営駐車場に集まり、走り始める。
コースは
浜松市営駐場~西渡~八丁坂~瀬戸~間庄~立原~横吹~城西~野田
ほうじ峠の伝承館で昼食
羽ケ庄~下平~佐久間~市営駐車場
そして、走り終わってから走る仲間の別荘で懇親会♡
しし鍋を肴にイッパイなのだ(^O^)
毎年走って、伝承館により、写真を撮って、その写真を伝承館に飾ってもたっていたのに、
今回は、その伝承館に行くことが出来ない。
そう、原田橋の崩落事故により、佐久間と宴会を行う別荘がある場所(川合)が寸断されているのだ。
今、天竜川に急いで仮の道路を造っている。
お昼のニュースでは、通れるようになるのは20日前後だと言っていた。
今回は、残念だが、佐久間町は走れない(;_;)
原田橋の通行止めは、このブログで知った。
http://puppu.hamazo.tv/e5902558.html
その後の崩落事故はFBで分かった。
大参事だ!!
犠牲者も二人出た。
事故があってから間もないというのに、現場ではもう工事がすでに行われている。
現場で作業している人には、ただただ頭が下がる思いだ。
この作業をしている人たちに、佐久間で暮らしている人から、何か感謝の気持ちを伝えることはできないだろうか?
二年前の冬、警備員の女の子がいた。
トラックの運転士が、寒かろうと、温かい缶コーヒーをあげたと聞いたことがある。
作業している人は、ほとんどの人が佐久間とは関係ない所からやってきた人だ。
今こそ、その人たちに、ココに働きに来てよかったと思えるような事を考えるようにしたらどうだろうか?
14日の「佐久間・・・しし鍋マラニック」
今回は走るコースを変更しようと思っている。
今のところ。
明神山に上ろうと思っている。
参加者には、栃木県那須町から来る人がいると聞く、私なりに
佐久間に走りに来てよかったと思えるようなことを考えている。
原田橋が崩落したことによって、この地域はこれからどうなっていくのだろうか。
10年前、佐久間町が合併するときに、町の職員が来て、私の地区に合併の経緯を説明に来た。
静岡市に合併した井川地区の状況を説明した。
井川地区は合併したことにより公共施設の維持管理ができなったとの説明だった。
そして最後に
「いずれ佐久間町も、、、そうなるでしょう」
との説明で終わった。
佐久間町合併からの軌跡(1)
佐久間町合併からの軌跡(2)
そして、北遠地域の集落は、職員の予想のように旧町村が建てた施設の維持管理がで出来なくなってしまった。
観光トイレ・公民館などは、地域に帰すということで、これから地域で管理できる人がいないところは取り壊していくようになった。
北遠地域の中でも佐久間町は、いち早くNPOを設立して地域おこしを頑張った。
旧佐久間町の時の議員さんたちが鍬や鎌を持って「ふるさとの森づくり」に汗を流していた。
がんがらまいか佐久間
しかし、そんな
がんばらまいか佐久間の活動も旧佐久間町の議員の人は、今 誰も参加しなくなってしまった。
佐久間町の国道473導線にかかる原田橋が2011年9月に老朽化によるメインケーブルの損傷が見つかり、浜松市が新原田橋の建設をはじめ、地域の住人として希望の橋の建設が始まった。
そんな希望の橋が2015年1月31日崩落事故により崩壊した。
佐久間町はダムで栄えた町だ。
多くの人がダム工事で佐久間にやってきた。
その恩恵で、小中学校の設備も町より早く新設で来たそうだ。
人が少なくなった今、その校舎は無用の長物となってしまった。
人が少ないから公共施設が管理できない。
多くの税金を投入しての橋も無駄になってしまうのかもしれない。
そのお金が無駄にならないようにすることは、
ココにそれなりの人が住むようになってもらうこと。
今 住んでいる人が、出ていきたくならない地域にすること。
だと思う。
それは住んでいて楽しい地域、にすることだと思う。
参考ブログ
原田橋が落ちて起きたこと 今後起こりそうなこと
継続は力なり
どんな些細なことでも続けていく事は大切。
ブログも同じだと思う。
今、お借りしている忍者ブログ、最初に投稿したのが2009年7月9日「今日は詩吟の日」
あれからもう幾年もたった。
佐久間町が合併してから始めたこのブログ、
ココの町の移り変わりを、そんな過去を知るのにちょうどいい。
町内にも、私のブログをのぞいてくれる人がいる。
また、まったくパソコンはやらない、ネットなど恐ろしいから触れることもしない。
そんな人もいる。
がんばらまいか佐久間の会合で
私のブログをたまに見ている人が、ネットの話をして
ブログを書いている私の話をしたときに、
「そんなもん書いて何になるだいや」
と言われたことがある。
走ることも、もうだいぶ長く続いている。
そんな走る事が縁で知り合った仲間が
ブログを書いていいるのを知った。
その中でも、二人は毎日欠かさず書いているという。
とっちーの「終わりなき旅」
山草人のモノローグ
凄いことだまさに継続は力なり。
この話を知って、私も毎日、、、と思ったのだが。
ナカナカ、毎日とは、、簡単そうで難しい。
私は交代勤務のため、時間的に余裕があるときに書こうと思っている。
自分なりに自分のペースで。
過去ばかり振り向くのは良くないかもしれない。
しかし、たまに振り替えて後ろの様子を伺い、これからの道(人生)を自分なりに進んでいくのには、
このブログというものはいいツールだと思う。
佐久間町は合併して、何が変わったのかな~。
私の地域でも、ある家族が、袋井に家を建てた話が話題に上がっている(泣)
空手・詩吟・マラソン・ブログ、
自分なりに自分のペースで、、、、、、これからもこの地域で暮らしていこうと思っている。
浜松市を支える市議会議員の人の挨拶から浜松市の例えを
「国土縮図型都市」とよく聞く。
地方の活力なくして国家の繁栄なし と。
浜松市も同じだと思う。
北遠の活力なくして政令都市浜松市の繁栄なし と。
そう思っている。
その
合併した佐久間町も、昔はその
国土縮図型都市 佐久間町だった。
佐久間町を日本に例えると(no2)。
今、国では地方創生人材支援制度 が始まり、
隣の県では東栄町・豊根村などが手をあげている。
浜松市に合併した中山間地の北遠、
これからどの様になっていくのだろう。
佐久間町が合併し
浜松市の一部の地域になった。
そんなある日
家族で浜松に買い物に行こうと国道152号線を車で南下していたら。
リックを背負ったランナーが走っていた。
7月の暑い夏の日だった。
次の日のお昼休み
職場で静岡新聞を見ていたら
新浜松市誕生記念マラニック
の記事があった。
新浜松に合併した12市町村を巡るマラニックだそうだ。
マラニック=マラソン&ピクニック
昨日のランナーは
水窪町の役場を出発し佐久間の役場を過ぎ龍山村の役場に行く途中だったのだろうか。
新聞に書いてあった主催者にアポ をとった。
走ることは好きだったが
フルマラソン以上は走ったことはない。
そんな距離は考えたこともない。
それが、
その主催者の人と関わりを持つことによって
自分の考え方も変わっていった。
まだ知らない世界を観るようになってきた。
そして、
その夏の8月
磐田で用事があり
終わってからの懇親会に出席し
一人で浜松駅前のビジネスホテルに宿泊
次の日、一人で浜松駅南口から自分の暮らす佐久間町まで走ってみた。
大きくなった浜松市を自分の身体で体験した。
佐久間町が浜松市に合併した当時の話。
そのコースは
毎年、走る仲間で走っている。
「浜松縦断マラニック」
それだけではなく
その他
私が住む暮らす、北遠を自分なりに楽しもうと
走っている。
明日は旧龍山村を走る。
たつやま凸凹マラニック・・・本番
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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