原田橋が崩落したことによって、この地域はこれからどうなっていくのだろうか。
10年前、佐久間町が合併するときに、町の職員が来て、私の地区に合併の経緯を説明に来た。
静岡市に合併した井川地区の状況を説明した。
井川地区は合併したことにより公共施設の維持管理ができなったとの説明だった。
そして最後に
「いずれ佐久間町も、、、そうなるでしょう」
との説明で終わった。
佐久間町合併からの軌跡(1)
佐久間町合併からの軌跡(2)
そして、北遠地域の集落は、職員の予想のように旧町村が建てた施設の維持管理がで出来なくなってしまった。
観光トイレ・公民館などは、地域に帰すということで、これから地域で管理できる人がいないところは取り壊していくようになった。
北遠地域の中でも佐久間町は、いち早くNPOを設立して地域おこしを頑張った。
旧佐久間町の時の議員さんたちが鍬や鎌を持って「ふるさとの森づくり」に汗を流していた。
がんがらまいか佐久間
しかし、そんな
がんばらまいか佐久間の活動も旧佐久間町の議員の人は、今 誰も参加しなくなってしまった。
佐久間町の国道473導線にかかる原田橋が2011年9月に老朽化によるメインケーブルの損傷が見つかり、浜松市が新原田橋の建設をはじめ、地域の住人として希望の橋の建設が始まった。
そんな希望の橋が2015年1月31日崩落事故により崩壊した。
佐久間町はダムで栄えた町だ。
多くの人がダム工事で佐久間にやってきた。
その恩恵で、小中学校の設備も町より早く新設で来たそうだ。
人が少なくなった今、その校舎は無用の長物となってしまった。
人が少ないから公共施設が管理できない。
多くの税金を投入しての橋も無駄になってしまうのかもしれない。
そのお金が無駄にならないようにすることは、
ココにそれなりの人が住むようになってもらうこと。
今 住んでいる人が、出ていきたくならない地域にすること。
だと思う。
それは住んでいて楽しい地域、にすることだと思う。
参考ブログ
原田橋が落ちて起きたこと 今後起こりそうなこと
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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