昨日の桑原功一の動画を観て私は涙が出た。
それは、昨日、NPOの副理事長と話をして、自分の行動が他の人には変な人と見られているからと言われたからなのか?
私は意味のないことをやっているのか?
昨日の夜は「浦川キャンプ場」で飲み会だった。
ホクエンミュージックダウン構想について熱く語っている坂本さんに出会った。
https://www.facebook.com/takashh.sakamoto?fref=pb&hc_location=friends_tab
彼は龍山でBooという店を経営している人だ。
龍山の人に、その話をしたら、佐久間は佐久間でやればいい、そんなことを言われたと言っていた。
浜松市では駅前も、昔のような賑わいは無くなった。
私が住む北遠の人も、引っ越すのは浜北近辺に行く人が多い。
日本は今、尖閣諸島・竹島問題があり、中国や韓国との関係がギクシャクしている。
そこで昨日のYouTubeの桑原功一さんは、このような動画を流した。
桑原功一さんは「世界一の教師を目指している」教師の卵。
歴史的な行き違い、政治的な問題によって
冷え切ってしまっている日韓関係に対して、
とても友好的で温かなアプローチ『フリーハグ』キャンペーンを
行って注目されている人です。
佐久間町はそれぞれの団体がある。
それぞれがそれぞれ頑張っている。
北遠もそれぞれの地域が頑張っている。
それぞれの人たちが、それぞれの人を尊重し協力しあって地域をよくする。
それは、ここだけが良ければいい!! ではない。
夢街道100km
来週の金曜日夜9時、浜松駅南口をスタートする。
浜松駅から北遠を通って遠山郷まで16時間ぐらい使って走る。
今回、そんな、北遠のこと浜松市のこと日本のこと世界の平和のことを考えながら遠山郷を目指して走ろう。
http://www.nexyzbb.ne.jp/~tsutomu46/sionomiti.htm
私が住む佐久間町は、平成の合併で浜松市になった。
そんな時に出来たのが、NPOがんばらまいか佐久間だ。
今年、佐久間観光協会がそのNPOに入るのではないかとの話を聞いた。
が、その話は、、、。
今・・・夢と消えた。
NPOがんばらまいか佐久間は今まで通りの体制で、今年度もやっていくそうだ。
双方の理事の人の話し合いがどの様になったのかは私は分からない。
私が思っていたのは、同じ地域をよくしようと考えている人が一つになって行くことを喜ばしく感じていた。
が、結局は無理だった。
しょうがない、どうしようもできない、私はただの活動委員なのだから(泣)
そんな時、家に帰ってきて、走る仲間のブログを見た。
「日本人が韓国でフリーハグ」
そして、そのフリーハグで検索して探してみた。
若者の発想は素晴らしい。
そして感動した。
行動に移す事は恥ずかしいこともあるけど、自分なりに自分のできることをやりながら、この町で生きて行こう。
6月27日28日は夢街道100㎞だ。
https://www.youtube.com/watch?v=aMvG_1pyyEk
私のフェースブックに、友達リクエストが来た。
Corrida Peregrinaという人だ。
スペインのボルト在住だそうだ。
共通の友達を見ると、走る仲間が五人いた。
どこかの大会で知り合って、友達になり、私のFBを発見したのだろうか?
友達リクエストを承認し、メッセージに「リクエストありがとう(^o^)」と書いて送ったら。
「Don't understand. In english please. Ana」と帰ってきた。
翻訳ソフトで変換してみたら。
「理解していない。英語でお願いします。アナ」
と、帰ってきた。
浜松市の片田舎・・・佐久間町に居て、遠くスペインの人と交流が出来る。
なんと素晴らしい事でしょう。
しかし、英語ができない。
若いころ、もっと勉強をしとけばよかったな~(^o^)
と、思うこの頃であった。
竜頭山 平和登山口にて。
黄色いのが・・・私。
萩田さんのマラニックでは、ランニング関係のテレビで出演したことがある人が参加している時がある。
終わってから宴会がり、その時 そんな人との思わぬ出会いがある。
今回、走り終わってからの宴会で、最高齢ということで紹介されたランナーは「中村美孝さん」
聞いたことが人だと思ったら・・・・以前、YouTubeで観た人だった。
そんな動画は↓
御母衣ダム建設に伴い、水没地区にある桜の木の移植作業を撮影記録した佐藤良二さん。
その後、荘川桜が再び開花したことに感銘を受け、1966年頃より名金急行線の道路沿いに桜を植え始める。
以後、余暇を苗木の手入れや植樹に費やし、生涯に約2,000本の桜を植えたと言われる。
志半ばで佐藤さんは亡くなったが。
その道は「さくら道」として、今、「さくら道国際ネイチャーラン」としてランナーが走っている。
ウィキペデアから引用
佐藤さんの夢は「太平洋と日本海を桜で結ぼう」
私の夢は・・・・。
土曜日は
日曜日は
「佐久間しし鍋・・・マラニック」
私が住む佐久間町をぐるっと一周するマラニック(マラソン&ピクニック)
それが終わってから走る仲間の別荘で、懇親会、同じ趣味を持つ仲間の楽しいひと時だ。
日曜日は、佐久間を朝7時に出発。
湖西クロスカントリーのスタートは9時だ。
間に合うだろうか????
昔は湖西市まで2時間半はかかった。
それが、佐久間を7時。
三遠南信の入り口で7時半
三ヶ日インターでは8時
湖西クロスカントリーの会場には8時半には到着した。
高速道路のおかげで、こんなにも早く到着することができた。
山の町、佐久間町も便利になったもんだ。
それからクロスカントリーを走る。
地域の人だろうか、、、、ボランティアでサポートをしてくれている。
湖西連峰の山開きでの、お祭り会場でも地域の人が働いている。
見守り隊という法被を着ている人がいる。
湖西連峰梅田登山口で開催された
「湖西クロスカントリー」
浜松市天竜区佐久間町での
「佐久間しし鍋・・・マラニック」
どちらもそれなりに楽しかった。
充実した二日間に・・・感謝!!
昔、まだ合併前、佐久間町時代に佐久間町の役場の職員にこんなことを聴いたことがある。
「佐久間町は、中心にある佐久間地区が東京で、浦川地区が大阪・城西地区が東北だ」と。
佐久間町は1956年9月30日に佐久間村・山香村・城西村・浦川町が合併してできた町だ。
私が生まれる前のこと、三村一町が合併し、浦川地区は浦川町の名前で合併後の町名を望んでいたとも聞く。
前項目の「佐久間を日本に例えると」
中心は佐久間地区、佐久間ダムがある所だ。
正に佐久間町の中では東京。
愛知県寄りの浦川地区、合併後もここが一番栄えているところだ。
飲み屋もあり商店街もある。
佐久間町の中では・・・大阪。
山香地区・城西地区は地形的にも山の急斜面の麓での町だ、恵まれない所は東北という例えがあっているだろう。
この佐久間町の役場の職員の人は城西地区の野田から役場に通っていた人だ。
今、そんな佐久間町は浜松市に合併し、佐久間町時代でもまとまることができなかった町が、ますますバラバラになっていく。
合併の弊害を感じているところは、佐久間町だけではない。
私が親しんでいる、遠山郷は平成の合併で飯田市に合併、遠山郷は南信濃時代に残していった温泉「神楽の湯」を観光の拠点として観光で頑張っている。
佐久間も温泉があれば・・・・。
いや、佐久間は佐久間町時代に残していったNPOがんばらまいか佐久間がある。
佐久間を、小さな日本と見ていた人がいる
「マヤの一生」作者
椋 鳩十(むく はとじゅう、1905年1月22日 - 1987年12月27日)は、日本の小説家、児童文学作家。本名は久保田彦穂(くぼた ひこほ)。長野県下伊那郡喬木村阿島出身。
「ごんぎつね」の作者
新美南吉(にいみ なんきち、1913年7月30日 - 1943年3月22日)は、日本の児童文学作家。本名は新美正八(旧姓:渡辺)。愛知県半田市出身。
ウィキペディアから引用
椋鳩十のことは、遠山郷の第一回マラニック「チャレンジマラニックin遠山郷」のTシャツの後ろに椋鳩十の遠山郷に残した詩「遠山郷は星の美しい里 河の美しい里 人の心の美しい里 である」プリントしてあり知り合った。
「マヤの一生」が有名である。
戦争の悲惨さを訴えることを、飼っていたマヤ(熊野犬)の一生に表している代表的な作品だ。
マヤはマヤを可愛がっていた次男の匂いのする下駄を見つけ、その上で息を引き取った。
「マヤの一生」読んで思うこと。
権力の力で威張る人、その陰で泣く人、、、、。
そんな時代があったことを忘れてはいけない。
かたや新美南吉の「ごんぎつね」
ゴンは、兵十の鉄砲で撃たれて死んだ。
「ごんぎつね」を読んで思うこと。
いたずらばかりしていたゴンの、罪滅ぼしのための兵十への贈り物。
最後の
「ごん、お前まいだったのか。いつも栗をくれたのは」
ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。
そんなシーンに涙が出た。
二人の作家は、現代に生きる私たちに何を問いかけているのだろう。
鳩十は晩年を鹿児島市で過ごした。
故郷である信州に飯田線を使いよく帰ってきたと聞く。
この山深い渓谷の地を愛していた人なのだ。
朝、中部天竜駅を出発の電車で名古屋に(^^)
以下は去年のブログ
「ほくえんの風」から。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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