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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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しんしん、52歳。
今年も佐久間駅伝に参加できた。

初めて参加した佐久間駅駅伝は第17回、佐久間に帰ってきて、職場の仲間に誘われて参加するはずだった、この佐久間駅伝、コースの一部が崩落し水窪の職場から車での帰りも迂回路(野田周り)だった。
今回は・・・・きっと中止だな~。と思っていたのに・・・何も連絡は来なかった。


その年の第17回佐久間駅伝は距離を短くして大会を行うことになった。
記録を見ると、参考記録(コース変更)と書いてある。
しんしん、29歳 23年前の時の話。


佐久間駅伝の我がチーム(ハッチ&花の舞)に先輩ランナーが居る・・・・・・年齢を尋ねると・・・・75歳だそうだ。

今、52歳の私・・・・・・・23年間、75歳まで走る事を続けていれるだろうか。

いや、まずは今日の夜、10km走ろう

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毎年、佐久間では1月2日に成人式が行われる、県内各市町村では一番最初に行われる成人式だ。
佐久間町は合併して、「NPOがんばらまいか佐久間」を作り、成人式や敬老会を、このNPOで行うようになった。
この成人式はNPOのスポーツ・文化活動委員会が行っている。
去年は私の次女が、この成人式で祝ってもらった。
合併前の様に、豪華な式典ではないが、手作り感があり、心に残る成人式ではないだろうか。
今年は、佐久間歴史と民話の郷会館で行われ、新成人48人が新たな門出の祝福を受けたそうだ。

私の成人式のときには(32年前)佐久間小学校の体育館での式典だった。
200人近くの成人者が集まり、その中のほとんどが町外に出て行った人ばかりだった。
式典が終ると、家にも帰らずに同窓会の会場(かじか荘)に行き積もる話で酒を飲みかわした。
なつかしい思い出がある。

好きな歌で、ゆず - 友達の唄がある。
その中に
変わってゆく暮らしの中で失う物もあるけど、何も変わらない物だってあるんだよ
その、何も変わらない物が・・・この佐久間には・・・あるんだな~(^^)

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私の家の お墓は相月(あいづき)のお寺にある。
その村は、私がここに越してくる前に住んでいた横吹(よこぶき)の前の山の谷合にある村だ。
もともとは横吹に墓地があったのだが、兄が若くして亡くなッた時に、今は亡き父親が、兄の墓と一緒に家の墓もそのお寺の敷地に作ったのだ。

お墓の前には、谷あいにある集落がみえ心落ち着く。
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もう9時半だと言うのに、ここ相月はまだ寒い、お墓の周りの掃除をし、冷たい水でお墓を洗い、香の花を供え、線香を祭る。

一息つき、冷たくなった手を温めていたら、昔懐かしい友が やってきた。
三人兄弟の子供をつれ、長男は二人の お孫さんも連れてきていた。

ここに来ると、思わぬ人に出会う。
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ほくえん にはこの景色・・・・・山がありお茶畑がある。

 

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昨日、忘年会の会場に向かう車のラジオから聞こえてきた。

マヤ歴の暦では約5126年に一周し、今日12月21日がその日!!!
巷では「マヤ文明・世界終末論」の話があり大騒動だ!!!!

と言っていた。

何気なく聞いていたラジオの話題も忘れ、車は忘年会の会場である舘山寺のホテル「九重」に着いた。
フロントに行き名前を言うと、仲居さんが部屋まで案内してくれる。
ロビーや廊下など、ところどころに生け花があり綺麗な豪華な印象のホテルだ。
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 (写真はクリックすると大きくなります)

部屋で浴衣に着替え、大浴場へ。
普段、個人的にはとても利用しないだろうこのホテル、家で待ている家族には申し訳ないが今日は一日 大名気分(^^)

19時 よいよ忘年会だ。
目の前の豪華な懐石料理、デジカメに・・・と思ったのだが持ってこなかった(残念)
上司の挨拶が終わり、乾杯で宴が始まる。

今年のビンゴは”シャンパン”だった。

一次会が終わり、幹事から二次会の場所は「空蝉」う・つ・せ・み との連絡があった。

部屋に帰り、会費を持って、うつせみ へ行く。

二階ロビーにある、うつせみ に向かう通りの入り口に、「姫街道」の道標があった。
そこに
東海道見附宿(磐田市)から気賀関所を抜け御油宿(豊川市)を結ぶ浜名湖北部の街道をいいます。
歴史ロマンを感じさせる呼び名を九重の路地に名づけました。

と書いてあった。

明後日はこの「姫街道」を走る。
スタート場所は見附からではなく、浜松の遠鉄電車駅(自動車学校前)からだが。

二次会の会場「うつせみ」はカラオケボックス。
ヘタクソだけど歌った”情熱の赤い薔薇”「じょうね~つの♪真っ赤なバ~ラを~♪」

楽しい・たのしい 忘年会と二次会が終わり、ちどりあしで部屋に帰り・・・・やれやれ。

部屋で、電池が残り少なくなったスマホを充電したくコンセントを捜した。
あったあった・・・スマホを充電して布団に横になった・・・・・・・。

朝、5時に目が覚め・・・朝ランに出ようか、お風呂に行こうか、昨日の忘年会で明日はロビーに朝六時に待ち合わせを約束した人がいる。

暗い部屋の中、スマホを探す・・・・。
あれ~?????
充電完了ランプが赤のままだ??????

スマホを手に取り、電源スイッチを入れたのだが、ウントモ・スントモしない。

Oh! My God! 

あんなに苦労して、色々な設定したのに・・・・(TT)
まさに世紀末。

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おはよう(^^) 

今日は忘年会・・・・なのだ。

場所は・・・舘山寺・・・去年は三遠南信自動車道が開通していなかった・・・・今年はこの道で行くので去年より早く舘山寺に到着するだろう。

お風呂も ユックリ入れるだろう。

その忘年会会場になるホテルで、去年 写真を撮り、動画を作ったものがある。


流石・・・高級ホテル・・・隅々までおもてなしの演出が行き届いている。

去年、この忘年会二次会で、フェースブックを知りアイパッドで海外の人とテレビ電話をやっていて「スゴイな~!!」と思ったものだ。

あれから一年たった・・・・私も50歳代・・・月日が経つのが益々早くなってきた・・・そう感じるようになった。

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今日、偶然にも「静岡 市町村駅伝2002」の熱闘の記録の雑誌が手に入った。

ペラペラめくって眺めると、昔の思い出が甦った。
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この大会の時、私は佐久間中学校で行われた市町村駅伝の代表を決めるタイムトライアルに参加したのだった。

参加人数の少ないこともあって、私のような鈍足ランナーでも補欠ということで佐久間町のユニホームを着れることになったのだ。

駅伝大会の前日、仕事を早めに切り上げ、佐久間の役場に選手たちが集合し、明日の駅伝大会での激励を役場の職員にしてもらい、佐久間町のマイクロバスで静岡市まで向かっていった。

前年までの私は、静岡県市町村対抗駅伝大会の当日朝早く佐久間町が用意してくれた応援バスに乗り込み、静岡市まで出かけて行ったのだが、この年は選手として・・・・。
(この時はもう補欠と決まっていたので旅行気分)

開会式会場であるグランシップ移動、正選手たちは体調管理もあるので、私たち補欠が開会式には参加するようになった。

アナウンサーの「町村の部 佐久間町」の声に合わせ、グランシップの体育館を歩き出した。

観客席から、小学生の部で走る選手が「さ・く・ま~~♪」っと叫んでいるのが聞こえた。

静岡県内全74市町村の選手がそれぞれの町の旗を前に整列、前を見ると、当時の石川嘉延県知事を真ん中に静岡県内の市町村の首長はずら~り勢ぞろいしていた。

その中でも、佐久間町の町長は身長も高く 何故か光り輝いていたように私には見えた。佐久間町は田舎だけど、佐久間の町長は、74市町村の中でも目立ち立派に見えたのだ。

この市町村駅伝は、静岡県の西部地方の山の奥でも、地域を愛する気持ちが湧いてきて自分にとっても本当に良かった、補欠でもこんな経験をできて本当に良かった。ジャンじゃん(^^)

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朝、職場に歩いて出勤すると、いつも出会う平賀さんが今日はおしゃれをして座っていた。

  私   :「なんだいね~。今日はおしゃれしてるかいね」

平賀さん :「お風呂にいくだよ~」

  私   :「とうえい温泉かね?」

平賀さん :「さくまの里のお風呂だよ」

年齢は92歳。

佐久間で一人暮らしの長い平賀さんは、お話しするのが好きな、元気なおばあちゃんだ。
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佐久間はこんな、元気な高齢者が沢山いるのだコッチモ\(^^\)(/^^)/アッチモ

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静岡県浜松市の最北端に水窪町と言う町がある、遠山郷はその水窪町から狭い道路を車で兵越峠を越えていく長野県の南端の郷である。

20何年前だろうか、私が佐久間町に帰って来たのは湖西市で働いていた会社の事業所が水窪にあり、親も地元で暮らしたい、との意向があったからだ。

当時、佐久間に帰ってきた私は、家族で信州に車で行ったことがある。

三遠南信自動車道を作ろうと言っていたときである。

天竜峡から車がすれ違いできないほどの狭い道を遠山郷に車で向かった。

すると、突然大きなコンクリートの塊が、三遠南信自動車道の程野 ICが現れたのだ、矢筈トンネルを抜けるまで、まるで今までの道路がウソのような高速道路になっていた。

しかし、その道も喬木ICを下りると、今までのような狭い道になっていたのを覚えている。

遠山郷に着き、道端でお土産を売っている女の人に出会った。

まだ高校生ぐらいの人であろう。

こんな山奥で・・・と佐久間に住む私は思った。

佐久間の方が、まだ良いのかと正直な気持ちおもった。

"しんしん"この時、初めて遠山郷に行った時の気持ちだ。

その私が、遠山郷で「チャレンジマラニックin遠山郷」が行われるのを知り、遠山に行くようになり遠山郷に行くのが楽しくなった。

遠山郷でお酒を飲むのが今から楽しみなのだ。

 

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飯田線JR佐久間駅から電車に乗って一駅、相月(あいづき)駅で降りる。

ここの国道152号線から走り始める。

久しぶりの青崩峠に向かった。

今回は、知り合いのブログから、水窪小学校の子供たちが青崩峠から兵越峠を歩いたことを知り、そのコースを行きたいと思ったのだ。
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そのコースは青崩峠の500mくらい手前に分岐点があった。

そのまえに、青崩峠まで行き休憩、ふと見渡すと、登山ノートが置いてあった。そこに、60歳男性が兵越峠から青崩峠に来たと書いてあった、時間にして2時間、アッツダウンがあり結構きついコースだったと書いてあった。
青崩峠を少し戻り、分岐点を兵越峠方面に向かう。

いきなり上りが続く。

愛知県民の森の尾根コースの様な所を進む、途中 休憩所が二カ所、コースは整備されている。

青崩峠を10時30分に出発し兵越峠に着いたのが11時40分、私の足で1時間10分だった。

兵越峠を下り、遠山郷へ、観光協会(アンバマイカン)で少し休憩し、平岡へ向かう。

平岡駅の温泉に入り。

平岡駅を17時35分の電車で帰ってきた。

相月駅  7時30分
はくりや  9時40分
青崩峠  10時25分  出発 10時30分
兵越峠  11時40分
遠山郷  13時45分  出発 14時00分
平岡駅  16時10分

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昨日は、○嶋先生の送る会で浜松に行ってきた。
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その先生は、9年前に佐久間高校に赴任し二年で佐久間を去って行った。

先生にとって佐久間での二年間は、とても思い出に残る二年だったそうだ。
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他の先生でもそうだ、佐久間高校が最初の赴任地で色々なことを佐久間で覚えて行った人、佐久間で講師時代を過ごし佐久間で県の採用試験に合格した人、佐久間で一生の伴侶を見つけた人。

佐久間での暮らした日は、多い人で10年、早い人は2年で他の赴任地へ行ってしまう。

他の赴任地でも、色々な思い出があるだろうに、なぜか佐久間の思い出が、深く残っているらしい。
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或る先生にお酌しに行った時の会話。

先生 「何故、佐久間が縁で、出会った仲間が、こんなに集まるか分かりますか?」

 私 「佐久間は他地域と違い自然がいっぱいあるから?」

先生 「いや違う」

 私 「・・・・・」

先生 「佐久間に住所を移したからだよ」

先生 「佐久間に赴任する時、佐久間に住民票を写し、みんな佐久間で暮らしたからだよ」

先生 「そして、酒を飲むときも、家で女房が待っていることを心配せずに、とことん語り合え、いろんな事に頑張ってこれた仲間が集まったんだよ」

そうだな~。不便さ故に、通勤が出来なくて住所を移すことになり、それがこんなにも佐久間という縁で人が集まってきたのだな~。
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不便さも少しはいいとこあるジャン。

走る事もそうだ、先週は佐久間から浜松駅まで朝早くから走って行った。

今回、帰り 同じ道のりを車で帰ってきた。

自分の足で走った時には9時間かかり、今日車で帰ってきたときは朝の5時にホテルの駐車場を出て佐久間に帰ってきたのは7時半、一時間半で佐久間に戻って来れたのだ。

車は便利だ・・・だけど、自分の足で走った道程は、なぜか自分の心に深く残っている。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
65
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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