その先生は、9年前に佐久間高校に赴任し二年で佐久間を去って行った。
先生にとって佐久間での二年間は、とても思い出に残る二年だったそうだ。
他の先生でもそうだ、佐久間高校が最初の赴任地で色々なことを佐久間で覚えて行った人、佐久間で講師時代を過ごし佐久間で県の採用試験に合格した人、佐久間で一生の伴侶を見つけた人。
佐久間での暮らした日は、多い人で10年、早い人は2年で他の赴任地へ行ってしまう。
他の赴任地でも、色々な思い出があるだろうに、なぜか佐久間の思い出が、深く残っているらしい。
或る先生にお酌しに行った時の会話。
先生 「何故、佐久間が縁で、出会った仲間が、こんなに集まるか分かりますか?」
私 「佐久間は他地域と違い自然がいっぱいあるから?」
先生 「いや違う」
私 「・・・・・」
先生 「佐久間に住所を移したからだよ」
先生 「佐久間に赴任する時、佐久間に住民票を写し、みんな佐久間で暮らしたからだよ」
先生 「そして、酒を飲むときも、家で女房が待っていることを心配せずに、とことん語り合え、いろんな事に頑張ってこれた仲間が集まったんだよ」
そうだな~。不便さ故に、通勤が出来なくて住所を移すことになり、それがこんなにも佐久間という縁で人が集まってきたのだな~。
不便さも少しはいいとこあるジャン。
走る事もそうだ、先週は佐久間から浜松駅まで朝早くから走って行った。
今回、帰り 同じ道のりを車で帰ってきた。
自分の足で走った時には9時間かかり、今日車で帰ってきたときは朝の5時にホテルの駐車場を出て佐久間に帰ってきたのは7時半、一時間半で佐久間に戻って来れたのだ。
車は便利だ・・・だけど、自分の足で走った道程は、なぜか自分の心に深く残っている。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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