今日、偶然にも「静岡 市町村駅伝2002」の熱闘の記録の雑誌が手に入った。
ペラペラめくって眺めると、昔の思い出が甦った。
この大会の時、私は佐久間中学校で行われた市町村駅伝の代表を決めるタイムトライアルに参加したのだった。
参加人数の少ないこともあって、私のような鈍足ランナーでも補欠ということで佐久間町のユニホームを着れることになったのだ。
駅伝大会の前日、仕事を早めに切り上げ、佐久間の役場に選手たちが集合し、明日の駅伝大会での激励を役場の職員にしてもらい、佐久間町のマイクロバスで静岡市まで向かっていった。
前年までの私は、静岡県市町村対抗駅伝大会の当日朝早く佐久間町が用意してくれた応援バスに乗り込み、静岡市まで出かけて行ったのだが、この年は選手として・・・・。
(この時はもう補欠と決まっていたので旅行気分)
開会式会場であるグランシップ移動、正選手たちは体調管理もあるので、私たち補欠が開会式には参加するようになった。
アナウンサーの「町村の部 佐久間町」の声に合わせ、グランシップの体育館を歩き出した。
観客席から、小学生の部で走る選手が「さ・く・ま~~♪」っと叫んでいるのが聞こえた。
静岡県内全74市町村の選手がそれぞれの町の旗を前に整列、前を見ると、当時の石川嘉延県知事を真ん中に静岡県内の市町村の首長はずら~り勢ぞろいしていた。
その中でも、佐久間町の町長は身長も高く 何故か光り輝いていたように私には見えた。佐久間町は田舎だけど、佐久間の町長は、74市町村の中でも目立ち立派に見えたのだ。
この市町村駅伝は、静岡県の西部地方の山の奥でも、地域を愛する気持ちが湧いてきて自分にとっても本当に良かった、補欠でもこんな経験をできて本当に良かった。ジャンじゃん(^^)
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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