今年の暑中お見舞いは、「ほくえん旅ラン」夏のマラニック「浜松縦断マラニック」の参加者募集を載せたのだ。
私が25年前に佐久間町に帰ってきて、ここ半場に家を建てた時の夏、NHKの天気予報で「佐久間町の気温が日本一」とよく言っていた。
当時、佐久間町のアメダス記録計は佐久間町の役場駐車場にあったという。
そして、私の母親がまだ元気なころ、私の家の近くの工場内の公園に・・・・・そのアメダス記録計を移動するため、そのアメダス記録計の周りの芝生貼りの仕事をやっていた。
佐久間町として、"暑い"というのはイメージダウンと思ったか否かは知らないが・・・・・アメダス記録計を移動したのだ。
ところが工場内の公園で周りのは木が生えているところにアメダス記録計を移動したのに・・・・・その次の夏の日も「佐久間町の気温・・・今年も日本一!!」とのNKHの天気予報で言っていたのを記憶する。
その後、今度は、そのアメダス記録計を・・・・・佐久間町の浦川に持って行ったのだ。
その後、今までよりは多少・・・・暑くなくなった・・・・かな。
NHKの天気予報では(^^;
しかし、住んでいる私が感じるのは・・・・・・ヤッパリ・・・・佐久間は・・・・暑いです(^^)
そんな佐久間町に住む私は、今年100枚の暑中お見舞いのハガキを出した。
佐久間郵便局の風景印を押して・・・・・。
「佐久間・水窪スーパーマラニック」で竜頭山を知っている人には、竜頭山の風景印の西渡郵便局の風景印にした。
佐久間は・・・・ホント・・・・暑いです。
こんな佐久間からの暑中お見舞い・・・・みんなに届け(*^^)/。・:*:・゚★,。・:*:・゚
先日、浜松駅南口から長野県の遠山郷まで走る仲間17名で走った。
今日は、その時チェックしてもらった記録を記録集としてハガキにまとめた。
走った人やサポートしてくれた人に送ろうと思う。
去年、個人名を書くのはチョット・・・という意見があったので今年はニックネームでの名前で書いてみた。
途中でワープしたような人もいるだろうが、記録に書いてあった数字をそのまま書いた。
今回は一人、遠山郷までたどり着けなかった人がいる。
調子が悪かったのだろうか。
西渡(にしど)から、夢街道は峠を越えるところが二つある。
この峠越えが夢街道の見せ場なのだ。
来年は是非、峠を越えて信州に入り遠山郷を身体全体で感じてほしい。
遠山郷は・・・・・ホントいいとこ(*^3^)/ダニ~。
また来年、お会いしましょう。
12市町村で合併した浜松市は、遠州灘から北の遠州"ほくえん"まで呑み込んで巨大化した。
浜松市最北端の町は水窪町、この町の北の峠を越えると長野県になる。
その峠は二つあり、車では行けない遊歩道だけの峠「青崩峠」と車社会になり新しくできた「兵越峠」だ。
地図で見るとわかるが国道152号線は青崩峠で途絶えている。兵越峠はかなり遠回りになる。
新浜松市が誕生し、佐久間に住んでいる私は自分の住んでいる地域を見直す為に色々な所に行った。
龍山町の瀬尻の不動滝・下平山の農村学校。佐久間町のほうじ峠の伝承館・竜頭山のほうずき平。
水窪では山住神社・野鳥の森など。
中でも水窪町での県境、国道152号線が無くなり遊歩道での青崩峠まではロマンチックで実に良い所だ。
しかし、長野県側に進むと以前整備しただろう歩く道は最近の整備はしてない様子で荒れ放題だった。
そして、今は他の所も土砂崩れが心配だと通行止めになり歩く人も進めない状態になっている。
遠州から信州へ。
ヤッパリ、この青崩峠を越え信州に行くのが良いに決まっている。
是非とも、信州の長野県の行政にこの気持ちを分かってもらいたいものだ。
昭和31年、佐久間村・山香村・城西村・浦川町が合併し、佐久間町が誕生した。
当時佐久間町には「佐久間中学校」「浦川中学校」「山香中学校」「城西中学校」と4校の中学校があったのだ。
城西中学校は昭和36年、佐久間中学校に統合されている。
私の兄が中学3年生の時の統合だ、兄は一年間だけ佐久間中学校に通ったことになる。
私が生まれたばかりの時の話だ。
私が佐久間中学校へ通っていた頃は、佐久間には「佐久間中学校」と「浦川中学校」と「山香中学校」の三つの中学校だった。
そして私の子供たちが通う頃は、「山香中学校」が「佐久間中学校」と統合し佐久間中学校に山香地区の人も通うようになっていた。
私の次女が佐久間中学校3年のころ、佐久間が浜松市に合併する事が決まり、佐久間中学校と浦川中学校を統合し佐久間高校へ中高一貫教育として行なうという記事が某新聞の記事に載ったのを覚えている。
佐久間町は、佐久間村・山香村・城西村・浦川町が合併してできた村だ、それぞれの地域の学校の統合に苦労していた町なのだ。
「佐久間中学校」と「浦川中学校」の合併も、浜松市との合併の時にとの思いがあったのだと思う。
私が佐久間に帰ってきて、私たちの子供が佐久間中学校に通っていて、思っていたこと。
「こんな山の中の町なのに二つの中学校があるなんて・・・・」「浦川中学と早く統合した方が良いのでは」と思っていた。
しかし、どの地域も学校が無くなるのは賛成できないだろうな~っとも思っていた。
(特に生徒の保護者は送り迎えが大変になるから、と思っていた)
そんな時の「佐久間中学校」と「浦川中学校」とを統合させ県立佐久間高校への中高一貫教育の話があったのだ。
その会場で、浦川地区の、ある保護者が言った言葉が印象的だった。
「もっと早くこの統合はやってほしかった、子供たちのためにも・・・・・」
PS
佐久間の学校は今、下平山小学校が取り壊された。
そして、山香小学校が解体途中だ。
浦川中学校は耐震工事も行っているが、今は一階部分の一部が利用されているそうだ。
旧佐久間学校は今朝、私ジョギングの時見たら、玄関先に中部花の会の物だろうか、花の苗が置かれていた。
城西小学校は、私の母校。
山の中腹の村、横吹(よこぶき)で暮らしていた私はバスや電車に揺られ、その城西小学校へ通った思い出がある。
横吹に分校があったのだが、私が幼稚園の時に廃校になり、近くの横吹分校には一回も通わずに城西小学校に入学したのだった。
城西小学校のあった城西村は、昭和31年9月30日町村合併で佐久間町になる。
佐久間村に佐久間ダムが完成し、城西村も佐久間ダムの恩恵を得るようになったのである。
昭和37年城西幼稚園開園、昭和42年私小学校一年のころ、城西小学校は鉄筋コンクリートの新校舎になった。
木沢小学校とは
下のリンクを見てほしい。
http://www.kouryu.or.jp/gt/fun_gt/07haiko_kizawa.html
佐久間町は浜松市になり、その浜松市の北の町「水窪」の県境を越すと、長野県飯田市の遠山郷に出る。
遠山郷には和田地区と木沢地区があり、和田地区には「神楽の湯」が有ったり「和田城」が有ったりする、木沢地区にはそのような施設は無い。
しかし、木沢地区の人は廃校になった旧木沢小学校を守っている。
廃校となった旧木沢小学校の木造校舎を保存し、地区の新たな交流拠点として地域の人が頑張っているのだ。
城西小学校は、昭和42年に鉄筋コンクリートの新校舎になった。
木沢小学校は、平成12年3月には、正式に廃校が決定し、学校発足127年の歴史の幕を閉じることとなり、木沢地区の人たちが地区の新たな交流拠点として利用している。
佐久間町は、教育関係には多くのお金を使ってきてのだろう。
地区ごとに鉄筋コンクリートの新校舎があり、幼稚園も他地区より早かったのだと思う。
遠山の木沢地区の旧木沢小学校は、平成3年に休校となり、その時点での生徒数は26名(卒業生8名、在校生18名)となったそうだ。
そして、平成12年3月には、正式に廃校が決定し、学校発足127年の歴史の幕を閉じることとなった。
古き物を大切にする!!
佐久間ダムの大きな資金力で佐久間町が・・・・・忘れてしまった事・・・・・なのかもしれない。
土曜日 半場多目的公園で,地域の人とのお花見でお酒を飲んでいる時に、公園の周りを走っている年配の人について、こんな話があった。
汗びっしょりになり、よろけて走っていると。
走りすぎて膝を壊した人の話や、走っている人は何を考えているのかと・・・・・・・そんな話があった。
話が私に向いてきて・・・・・・考えた・・・・・なぜ走るのか?
とりあえず・・・・明日の「秋葉ダム桜マラノン」を走るため・・・かな。
走る仲間も増えて楽しいから・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・かな。
しかし、走りすぎて故障でもしたら・・・・・・楽しい走る事が出来なくなる。私のラン友でも膝の故障で今は走れない人がいる。
半月板を取って今はスピードを出せないと言っている人がいる。
走った後の脚へのケアーが大切、走り終わったら膝を冷やすとか、体重を増やさないように気を付けるとか、膝周りの筋肉強化とか。
そうまでして・・・・"なぜ走るのか?"
今日は"なぜ走るのか?"で検索し
乃木坂46の"人はなぜ走るのか?"のYouTubeがヒット。
私にとって走ることは
ヤッパリ・・・・楽しいから。
ゴール後の感動を味わいたいから(^^)
一度しかない人生、遠い将来を気にするより、今を楽しみたいから。
AKBのフライングゲット知ってますよね~。
のりのいい曲。
もともとフライングゲットの意味は
漫画・音楽CDなどを メーカー側の指定する正規の発売日より1日以上早く購入する事を、陸上のフライングとゲット ( get). 英語で「得る」で ... フライングゲットと言っているネット用語のことだそうだ。
それを、作詞家あの秋元康さんがAKBの曲「フライングゲット」に陸上のフライング(ルール違反)してでも早くゲットしちゃいな・・・・そんなふうな意味のようなことを書いているのだそうだ。
まあ・・・わたし AKBのことは何も知らなかったけど、最近ひょんなことから、水窪の女芸人を知り、キンタローを知り、フライングゲットのギャグを知り、AKBのフライングゲット曲を知って、今日いろいろググってみたら解ってきた。
また、女芸人キンタローがフライングゲットと言って決めるあのポーズ、
そのキンタローのモノマネはAKB48の公認を受けていたものの、前田自身はモノマネされていることについて特にコメントをされていなかった。
最近オンエアされているソフトバンクモバイルの「白戸家『授業』篇」で「フライングゲット」のポーズを前田敦子本人がCMでやっている。
それを見たキンタローは感動し「今見ました!!感動しすぎて泣きました!!!全宇宙の皆さんありがとうございます!!」と喜びを爆発させた・・・そうだ。
そのCM
http://www.youtube.com/watch?v=LhlvUgY2Tno
フライングゲット・・・この和製英語の中に色々な意味・色々な事があったのだ。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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