城西小学校は、私の母校。
山の中腹の村、横吹(よこぶき)で暮らしていた私はバスや電車に揺られ、その城西小学校へ通った思い出がある。
横吹に分校があったのだが、私が幼稚園の時に廃校になり、近くの横吹分校には一回も通わずに城西小学校に入学したのだった。
城西小学校のあった城西村は、昭和31年9月30日町村合併で佐久間町になる。
佐久間村に佐久間ダムが完成し、城西村も佐久間ダムの恩恵を得るようになったのである。
昭和37年城西幼稚園開園、昭和42年私小学校一年のころ、城西小学校は鉄筋コンクリートの新校舎になった。
木沢小学校とは
下のリンクを見てほしい。
http://www.kouryu.or.jp/gt/fun_gt/07haiko_kizawa.html
佐久間町は浜松市になり、その浜松市の北の町「水窪」の県境を越すと、長野県飯田市の遠山郷に出る。
遠山郷には和田地区と木沢地区があり、和田地区には「神楽の湯」が有ったり「和田城」が有ったりする、木沢地区にはそのような施設は無い。
しかし、木沢地区の人は廃校になった旧木沢小学校を守っている。
廃校となった旧木沢小学校の木造校舎を保存し、地区の新たな交流拠点として地域の人が頑張っているのだ。
城西小学校は、昭和42年に鉄筋コンクリートの新校舎になった。
木沢小学校は、平成12年3月には、正式に廃校が決定し、学校発足127年の歴史の幕を閉じることとなり、木沢地区の人たちが地区の新たな交流拠点として利用している。
佐久間町は、教育関係には多くのお金を使ってきてのだろう。
地区ごとに鉄筋コンクリートの新校舎があり、幼稚園も他地区より早かったのだと思う。
遠山の木沢地区の旧木沢小学校は、平成3年に休校となり、その時点での生徒数は26名(卒業生8名、在校生18名)となったそうだ。
そして、平成12年3月には、正式に廃校が決定し、学校発足127年の歴史の幕を閉じることとなった。
古き物を大切にする!!
佐久間ダムの大きな資金力で佐久間町が・・・・・忘れてしまった事・・・・・なのかもしれない。
佐久間町はその誕生からダムの補償金と利権目的の構図にあるためか郷土愛やふる里意識が欠けているように感じるのはわたs位だけでしょうか
遠山 木沢地区の旧木造校舎は今も尚、地域の人に愛され地域の人の憩いの場になっています。
しかし、そんな小学校を維持するのは並大抵のことではないと思います。
今年の3月30日(土)にランニング友4人と上平山を走っていると、ある車が「今からトラック来ますので気を付けてください」と言われました。
しばらくすると、瓦礫を積んだトラックが三台、私たちを追い抜いて行きました。
上平山小学校を壊した後の瓦礫なのでしょう。
寂しくなりました(TT)
ここで電源開発の総裁高崎辰之助の言葉を初会したい。
「進歩の名のもとに、古き姿は次第に失われていく。だが、人の力で救えるものは、なんとか残してゆきたい。古きものは古きがゆえに尊いのである」
これは、御母衣ダム建設により水没する荘川村に有った荘川桜の移植の時の言葉である。
お金があるうちに、地域の事をもっと考えてほしかった。
いや、今からでも遅くない・・・・・今からでも。
設楽町神田小を豊橋市が。http://www.city.toyohashi.aichi.jp/bu_kyoiku/shogaigakushu/sisetsu/sisetsu3.html
豊邦小と三都橋小を田原市が。
http://www.city.tahara.aichi.jp/international-ex/ex_shitara_koryucenter.htm
「浜松は合併したんだから豊川水系以上に上流部のことを考えるべきではないか」と天竜区役所の方に言ったことがあります。
「自分たちには何の力も権限もないから言われても・・・」と答えられました。
切ない現実ですね。
ちなみに2008年度にやった天竜区の協働事業です。
http://homepage2.nifty.com/zekuh-tarino/tenryu/
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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