この事業で思い出すのが、
1988年(昭和63年)から1989年(平成元年)にかけて地方交付税として一律1億円を支給するふるさと創生事業だ。
バブル期の日本で、みんなが浮かれていた時代の話だ。
竹下総理を先頭に
「ふるさと創生一億円、、、バンザイ\(^o^)/」
とテレビで放送されたの姿を、今でも覚えている。
そんな一億円を手に入れた地方自治体は、それぞれに地域活性になる案を模索しその金も元手に何をしようかと考えたのだろう。
あるところは金塊、あるところは温泉。
異色なところでは「村営キャバレー」などもある。
http://matome.naver.jp/odai/2136073851093733701
馬鹿な時代だったと通り過ぎてしまった、今、、、、感じる。
そんなことを2012年3月31日にブログで書いている
↓ブログ↓
「地域おこし」
私の父親は、合併前の町長とは同級生だったそうだ。
その町長は、まだ景気のいい時、山の値段が高い時に、
山を売り、東京に土地を買ったと聞く。
私が中学生の頃、
父親が、合併前の町長の事を
「◯之助は先見の目があるワイヤ」
と言っていた。
佐久間町に帰ってきたのは29歳の春。
佐久間町が浜松市に合併した時には、私は45歳になっていた。
その間、佐久間町の町長は、城西地区の人だった。
城西の生まれと言っても、高校は浜松、大学は東京。
都会での生活が長く、田舎くささのないシティボーイ的な風貌の町長だった。
佐久間に帰ってきて、静岡県で市町村対抗駅伝が始まって、一回だけ補欠に選ばれ、その大会の開会式に参加したことがある。
静岡県の全市町村の首長が壇上にズラーッとせいぞろいした、佐久間町の町長は他の首長よりもカンロクがありひときは目立っていたような気がする。
その時代の佐久間町民は、、、、、、、そんな人物を首長に選んでいた。
(話し上手で、カンロクもあり、中央との話し合いで予算を取ってくることができる人)
そんな時代だった。
佐久間町の佐久間町時代の過去の話。
そんな佐久間町も合併し浜松市になり。
佐久間町ではNPO「がんばらまいか佐久間」を設立した。
浜松という大きな地域への合併を選んだ佐久間町。
これからは行政に何でも頼んでいくことはできない。
NPOを設立し、行政の至らないところをNPOでやっていこう。
これからは、地域の事は地域に暮らす人が考える時代。
東京に暮らす人の考えに頼らない時代。
悪かった過去は、反省し。
これからの地域づくりを、ココに暮らすみんなで、、、考えよう。
私が合併の時から始めた。 「浜松縦断マラニック」
走る仲間が口コミで集まり、浜松駅から佐久間町まで走る。
全て自己責任。
交通規則を守り、個人的な練習の一環としての参加。
そんな集まりを企画して、、、来年で10年になる (≧▽≦)
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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