2005年2月12日浜松マラソン
朝、早く目が覚める、朝ごはんを食べて外に出る、外はまだ真っ暗、空は星がまたたいている、車のエンジンを掛けに行く、フロントガラスは霜で真っ白だ。
車を暖めている間、マラソンに行くための準備、久しぶりに大きなリュックサックを使う、着替えに、レース用のシューズ・・・、参加申し込み書も忘れないようにしないと。
その、大きなリュックサックを背負って、半場の家を後にする。車で15分くらい走ると待ち合わせの場所に着く、暗い駐車場 太田さんはもう待っていた。
北遠(山)の人達は、浜松の方に行く時、佐久間方面と水窪方面の合流地点のここの駐車場を利用する。
太田さんの車に荷物を移し、二人で西鹿島へ、秋葉ダム湖の直線を走っていると時に、外はだんだん明るくなってきた、今日は良い天気だ、風も少ない、走るにはちょうどよい天気みたいだ。
西鹿島駅を6時55分発の遠州鉄道で上島まで行く(370円)、そこから歩き、会場に着いたら、たくさんの人が集まっている、自分のゼッケン(ハーフの593)の所に行き、受付を済ます、携帯で新城の中川さんに連絡を取り、その人達が集まっている、メインスタンドの方に移動する、久しぶりに会う仲間。
「大丈夫」「今日は無理しないで、参加するだけ、制限時間の1時間55分までに何とかなるら」なんて話をする。
中学校時代の同級生村谷君から携帯に着信、「メインスタンドに居るよ」彼のところに行き、メインスタンドのゴール手前の目立つところに、ランニングクラブの横断幕をそつける、この横断幕は彼の手作り、ちょっと変わったやつで(一見の価値あり)人がたくさん居るマラソン会場では良い目印になる。
記録を狙う人はそろそろ、ジョギングを始めた、俺は今回、完走が第一だから、ジョギングはしないで、ストレッチくらいにしていた。
ハーフスタート、15分前、選手はスタート地点、第3コーナーに集まってくる、他の仲間は、前の方に行ったけど、俺は一番後ろの方に並んでいた、中川さんが隣に来てた、「最近調子悪いから、一緒に行きましょう」9時30分ハーフマラソンスタート、ゆっくり走り始める、何千人のランナーがハーフマラソン(21.097km)のゴールを目指して走り始めたのだ。
四つ池の陸上競技場を一周して、外の道路に出て、また、陸上競技場に戻ってくる、ちょっと変則的なコース、二週目の陸上競技場を抜けたら、中川さんは少しずつ、先に行ってしまった、後を着いて行こうかと思ったけれど、今日はあくまで完走、1時間55分までに帰ってくれば良いと、心に決め、ゆっくりなペースを守って走る。
その道路を登りきり、テクノ道路を横切り、ホンダ技研の正門前を過ぎる、そこからは単調な、直線が続く、まっすぐな道路をランナーたちが走っていく、その先の空に、中日新聞のヘリコプターがホバーリングしているのが見える。
自分にとって気持ちよいペース、息が荒れないペースを守って走る、頭の中はいいのか、血圧は異常に上昇していないのか、心配なことはないではない、でも今走っている自分の感覚は楽しい、走ることが楽しい、走らない人にはわからないかもしれないけれど、今こうやって走る仲間と、走れる喜びを感じながら走っている。
5㌔地点、28分、早い、この調子なら、11㌔の関門は大丈夫だろう、そのうちトップランナーが走ってくる、早いなー、ハーフの先頭だろうか、女子の先頭の人がちらほら走ってくる、見覚えのある顔も見えてくる招待選手の松田明美さんだ、これはハーフじゃない10㌔だった。
ハーフの先頭が来た、速い速い、10㌔の先頭と同じくらいな速さのように感じた、何時もそうだが、トップランナーとすれ違うとペースが乱れる。あの頑張りを見ると、こっちももっと頑張らなきゃーと思いついオーバーペースになってしまう、気持ちを抑えながら走る、まだまだ10㌔以上あるのだから。
そのうち片桐さん村谷君 太田さんと続いてくる、1時間30分をきろうかという人達だ、村谷君は公認コースだから、ここで30分をきりたいと言っていた。
10㌔の地点の看板を持っている人が、なんか見たことがある顔が、佐久間から浜名高校に行った少年だ、ボランテアをやっているんだな~「ご苦労さん」っと声をかける。
中間地点を過ぎ、残り半分、マラソンは半分からが大変なのだ、調子がいいので少しスピードを上げる、だんだん、汗も出てきた、自分の走りを見ていると調子がよく気持ちよく走れる時があったり、こんなに走っていいものかと不安になったりしていた。
「こんなことしていて、また、脳の動脈は爆ぜるぞ」っと誰かがささやく、大丈夫だろうか、あの病気をして、もうマラソンなんかやらんほうが良いといってくれる人も居たのに。
おれ自身も、マラソンなんかもう走らない、普通に暮らせればと思った、けど、退院して家に帰り、散歩をするようになり、少しずつ走るようになった、そして、12月このマラソンの申し込み締め切り、ぎりぎりに、参加申し込みをした。”もう一度、走りたい”っと言う気持ちがふつふつと湧いてきた。
走るならばハーフマラソン、それだけ長く、自分と会話ができる、そう思って申し込んだ.
走っていると、いろいろなことがある、「こんな大変なことして何が面白いんだ」「あそこのパチンコ屋でパチンコしていた方が楽しいぞ」そんなことを、もう一人の自分がささやきかける。
そんなもう一人の自分と対話しながら、最後の苦しいところを乗り越えてくる、四つ池の陸上競技場に向かって道路を下り、最後の折り返しを曲がり、陸上競技上に入ってくる、ゴールに向かって走った、1時間42分18秒。
ゴール後、振り返って、さっきまで私の耳元で囁いていたもう一人の自分に、頭を下げた、「ありがとう。また この次の大会で合おう」っと。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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