2003年(平成15年)一年の始まりの日記には書いてあった、私43歳の時の言葉。
「NHK学園専攻科(社会福祉学科)今年は老人ホームでの実習がある。
そして来年の冬には、介護福祉士の国家試験。今年はその目標に向かって一生懸命努力すること。
空手の方も去年の末に3級になった、こっちの方も稽古納めの時に先生が言ったように、あわてず、2年3年後に初段と思って稽古をしていこう。
マラソンは去年、袋井マラソンを脚が痛くて参加できなかった。
今年は、まずは完走を目標にしよう。遅くても良い、やっぱりマラソンは完走しなくては。
トライアスロンは最近忙しくやれないけど水泳だけは続けて行きたいな~。
自転車も、夏の豊橋富山サイクルマラソン(180km)に参加したいな。」
介護福祉の勉強も、空手も、マラソンも自転車も。
それなりに順調に、頑張っていた。
2004年(平成16年)私は、小笠・掛川フルマラソンで3時間30分を切りたいっと目標を書き。介護福祉士の試験も合格できるよう頑張ると書いていた。
その年から、朝は、テープレコーダーに録音した介護福祉士問題の過去問を聞きながらのジョギングから始まった。
空手の方も中学校の子供達は初段を取得しに静岡の本部に行くようになっていた。
私は空手は、ボチボチ稽古、あわてずユックリと思っていた。
1月25日の朝5時に車で介護福祉士(学科)の試験会場の名古屋の大同工業大学に行く。
介護福祉士の試験、大きな学校内は、試験会場がアッチコッチに分かれ、迷路状態。やっと見つけた指定された校舎に行き教室に入ると・・・・受験番号の席がないのではなっか?
係りの人に聞き、手違いが分かり、一安心。・・・でもナンカいや~な予感(T_T)
ところが試験の方は、案外順調。NHK学園での練習問題と似たようなのが沢山あって、時間的にも余裕があり、問題の読み直しも2回くらいできた。
名古屋から車で帰ってくる途中、新城運動公園で30分ジョギングをして、家に帰ってきたのは7時30分だった。
その年の、1月29日の日記に、天竜皮膚科クリニックに行ったと書いてあった。足の指先が赤くはれていたのだ。先生に診てもらったら「しもやけです!」即答された・・。
朝のジョギングで霜焼けになってしまったのだろう。その日から靴下二枚はくようになった(^◇^)
介護福祉士(学科)試験の合格通知が家に来た。
次は、実技試験だ。
2月15日
磐田の東海文化専門学校に介護福祉実技模擬試験に行ってきた。
おるおる、100人くらい、男性は3人。
実技のしやすい服装、前明きはダメ。動きやすい靴、運動靴がベター。爪は切り、腕時計は外す。名前をチャンと言い。自分のやることを利用者に説明する。実技をする前に介護の内容を書いてあるので、それを見てシュミレーションする。
実技の試験まで残り20日 頑張るぞ。
2月20日
介護福祉士実習ビデオを見ながら、最近痴呆が進んで着た母を相手に練習をしてみる。
なかなか、思うようには行かない。
2月28日
水窪のデイサービスセンターに行き、自転車仲間の若林さんがそこに勤めているので、若林さんに介護技術を教わりにいた。介護者を立てかける時のボディーメカニックスとか、車いすの使い方、ベッドメーキング。
3月7日
介護福祉士(実技)試験当日。
場所は名古屋の同朋大学・高等学校 今回は街の中の試験会場なので、電車で行くことにする。
朝5時29分の飯田線で中部天竜駅を出発した。
試験会場には、朝の9時には着いた。近くの公園で本を開き勉強、しかしこの日は寒かった。
同じような、本を開いているおばちゃんが、富士市から来たそうだ。
その人と、喫茶店に入り、コーヒーを飲みながら、12時の集合時間まで時間をつぶした。
名古屋の同朋大学の体育館で、実技の順番を待つ。緊張している時だ、私は40歳の時走った、青梅マラソンのシャツを勝負服として、介護福祉士実技の試験に挑んだ。
待合室で、試験課題を渡される。
〖試験課題〗
伊藤宏さん(76歳)は右半身の不全麻痺があり、右手を使うよう心がけています。移乗や移動には一部介助が必要です。
居室でいすに座っている伊藤さんを、レクリエーションのため、車いすで白線に沿って隣室に移動介護してください。車いすのまま、ボール・お手玉・色紙のどれか一つを使って一緒に活動し、途中であっても2,3回で終えてください。
なお、移動の途中には段差があります。伊藤さんは、「はい」、または「うなずく」のみです。
(試験時間は5分以内です。)
介護者は、専門学校の男子生徒だった。
緊張した5分間は、何とか終わり、同朋大学・高等学校を後にして名古屋から佐久間に帰った。
やるだけのことはやった。後は結果を待つのみ まさに「人事を尽くして天命を待つ」心境だ。
3月22日
豊橋ハーフマラソン。
最近、貧血気味で調子が悪い。折り返し地点まではゆっくり走る。そこから少しスピードを上げる。1時間40分01秒。
4月4日
秋葉ダム桜マラソン
この日は、なんと10kmを、39分50秒。
今まで、貧血気味で、練習も少し控えていたのに・・・この分なら今年の「小笠・掛川マラソン」・・・・狙えるかかも(^◇^)
4月13日(火)
いつものように、自転車で出勤。
6時半に仕事を終わる。
今日は、空手の日。佐久間小学校の体育館へ自転車で向かう。
何時も様に、挨拶をして空手の稽古を始める。
他の人は、組手の稽古をしている。先生に、中学校の生徒との組手と言われ、緊張しながら組手を始める。最初 少しづづ、なんか頭の遠くのところが・・・・・。
お・か・し・い。
先生に行って、休憩していることにした。
ますます、頭が痛くなってきた。
今まで経験したことのない頭痛だ。
家の人を呼んでもらう。
自分で携帯から、119番「頭が・・・普通の痛さではありません。今車を呼んで佐久間病院に行きます。そのことを伝えてください」
佐久間病院で、CTを撮り、「血が出てますね・・」
夜なのでドクターヘリは飛ばない、救急車で浜松の聖隷病院に転送されたのだった。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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