がんばらまいか佐久間の活動の中に、世代間交流活動委員会があり、その中で「ふれあいワイワイ講座」をやっており。今日は「登山教室」竜頭山登山をやるそうだ。
登りなれている竜頭山、今日は子供たちとユックリ登る事になるだろう。
来年の、「佐久間・水窪スーパーマラニック」その時のための道しるべ用の杭を何本か用意して登ることにした。
それと、明日の「佐久間体育協会 空手道 初心者教室」の呼び掛けもやろう。
朝、8時に平和竜頭山登山口に集まった時に、「佐久間体育協会 空手道 初心者教室」の呼びかけをしたのだけれど、明日の日曜日は用事のある子ばかりで、なかなか空手に興味のある子はいない様子だった。
また、他の空手道場に通っている子もいて、初心者教室に興味はなさそうだった。
私は、リックに木の杭と、ハンマーを入れ、最後尾で登山を始めた。
中間地点の「青ナギ」までは、皆まとまって登って行けた。私はそこから、先頭を歩き、ハイキングコースと中級者コースとの分岐点のところで、例の杭を打ち込んだ。
そのころから、早く登れる人と、遅い人との間が離れていったのだ。
途中、景色の好い所で休憩して、最後尾の人を待っていて、最後の浦川小学校の○○君と役場の○園さんと3人で、ユックリ山頂を芽出すのだった。
竜頭山は、何回も登っているが、今回みたいにユックリは流石に、かったるい。それに山頂に近ずくにつれて、風も強くなり体感温度も下がり、寒さが増してきた。
登山道の、最後の沢沿いを歩くようになってから山頂までの長いこと長いこと。人のペースに合わせることは、本当に大変だな~っとつくづく思った。
それでも、ユックリでも。少しづつ山頂は近付いてきて、どうにか1時までには、山頂展望台に到着したのだった。
展望台では、遠く富士山も雪をかぶった姿を現していた。
寒さをにも負けず頑張って登ってきて本当に良かったと思える瞬間。
5時間かけての竜頭山の登山。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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