「ナポレオンと四人の少年」
コペル君が友達数人と友達の家に行き、そこの姉さんに勇敢な「ナポレオン」の話を聞く。
そして家に帰り、オジサンにその話をした。
そして
オジサンのノートで、そのナポレオンの話を詳しく語っている。
ナポレオンの生涯、貧しい少年時代があり、ナポレオンの活躍したときがあり、捕らえられ島流しにされてこと。
英雄と言われる人たちは、非凡な人たちだ、普通の人たち以上の能力を持ち、普通の人以上に努力した人たちだ、と。
君たちは、どう生きるか。
戦前、比較的裕福な少年「コペル君」に、立派な大人になって欲しいと、オジサンのノートで語りかけている。
その後、日本は戦争があり、敗戦を迎えて考え方が変わってきた。
でも真実は一つだ。
おじさんのノート
「人間であるからには」
-貧乏ということについてー
昭和初期に育った少年コペル君は成長した。そんな時、家の手伝いをして学校に通えない友達のことを知った。
そのことをオジサンに手紙で話し、そのオジサンがノートに書いた。
学校でのイジメは、ほとんどがみんなとは違うことで仲間外れにされやがてイジメへと発展する。
その当時は貧乏だからと仲間外れにされた、友達の家に行ったコペル君だった。
おじうさんのノートには、貧乏な子もコペル君もお互い素直な性格だから良い関係が持てたのだと書いてあた。
また、貧乏な少年の家に働いている人がいる、こと。そうその人より、もっと貧乏な人がいる。
今の現代の時代に生きている日本人が、そんなことを感じているだろうか?
日本人が働くことを嫌がる外の仕事、いわゆる3Kと言う仕事(「きつい」「汚い」「危険」の頭文字を取ったもの)を東南アジアの人たちが働くようになった。
最後に、オジサンがコペル君に質問を出している。
決して、人には聞いてはいけないと。
その答えは、大人になっても分からないかもしれない、と。
君たちは、どう生きるか。
昭和の初期に書いた物語だ。
今の大人に読んでほしい物語だ。
「貧しき友」
コペル君の同級生に、みんなと違う同級生が居ることを知った。
自分は普通に学校に行けるのに、その同級生は家庭の仕事を手伝わなければいけないので、学校を休んでいる。ことを知った。
3「貧しき友」
この章は、おじさんのノートの手前で眠くなったので、そこで本を閉じた。
世界を俯瞰してみると。
日本は恵まれた国だ。
走る仲間が、灼熱のサハラ砂漠を6ステージで約230Kmを走破する、そんなのを走ったと言っていた。
サハラ砂漠の真ん中で、現地の住民に歌や踊りの歓迎を受けたと話していた。
年頃なら20歳前後の女性が裸同然で、子供をおぶっていたという。
その人は、そこ光景を語ってから、私に言った。
「あっちの人でなくて良かった」と。
君たちは、どう生きるか。
半世紀以上前の、本だ。
当時の時代を生きる子供たちに「どう生きるか」を語りかけた本だ。
君たちは、どう生きるか。
この本が、半世紀以上読み継がれている。
今現在、コロナウイルスで世界が揺れている。
感染症の脅威は、発展途上国で心配されてのことだが、先進国での蔓延が問題になっている。
コペル君が貧しき友がいるっ事を知って、コペル君が感じた世の中の不条理、そんなことをオジサンはノートにどんなことを書いただろう。
君たちは、どう生きるか。
この題名のことは自分に語っている言葉だと思って読み進んでいる。
森町三倉「勉強会」も自分はどう生きて行けばいいのかとの難題の答えを求めて通っていた。
この本は「生きるために本当に大切なことはなんなのか」そんなことを考えていく哲学の本です。
昭和の初期、比較的裕福な少年コペル君と、そのオジサンとの話で物語は進んで行く。
コペル君はデパートの屋上から下を見て、人の営みを観察する。
そしてコペル君は、一人ひとりが協力して社会を築いていくのを感じた。
その感じたことをオジサンと話し、そのオジサンはノートに綴った。おじさんノートだ。
物の見方について
潤一君。
今日、君が自動車の中で「人間て、ほんとうに分子みたいなものだね」と言ったとき、君は、自分では気がつかなかったが、ずいぶん本気だった。君の顔は本当に美しく見えた。しかし、僕が感動したのは、そればかりではない。ああいう事柄について、君が本気になって考えるようになったのか、と思ったら、僕はたいへん心を動かされたのだ。・・・・・。
原文から抜粋
子どものうちは誰でも、自分中心で考える。広い世界を知らないから、それは当然だと思う。
それが大人になると様々な事が分り、自分中心ではいられなくなる。
オジサンはコペル君が、広い世の中で自分中心と考えなくなり「自分は一分子だ」そのように思った事に感動した。
この物語は、昭和の初期に書かれた話だ。
この物語が書かれて、現在半世紀以上の月日が流れている。
アメリカではトランプ大統領が「アメリカ第一主義」と言って当選した。
東京では「東京ファースト」と小池都知事は言った。
また、静岡県知事はリニヤのトンネル工事で静岡県の水問題を叫んでいる。
アメリカの大統領はアメリカのこと。
東京都知事は東京都のこと。
静岡県知事は静岡県のこと。
それを考えるのはアタリマエ。しかし、それでいいのでしょうか。
君たちは、どう生きるか。そこに出てくるオジサン、その人は大学を出てからまだまもない人です。
20歳代前半でしょうか。
日本人には、このような人がいた。
君たちは、どう生きるか。
オジサンは、コペル君だけに問いかけているのでなない。
今を生きるみんなに問いかけているのだ。
佐藤富雄さんの本は「ありがとう」は魔法の言葉と言う本を読んだことがある。今回佐藤富雄さんの本は二冊目。
この人が一貫して言っているのは「言葉が思考をつくり、思考が人生をつくる」だ。
自分の出した言葉で、自分の自律神経に思い込ませること。
「自分はバカだから」そう言い続けるとバカな人になる。
「自分は頭が良い」そう言い続けると頭が良い人になる。
人生は考え方ひとつ。
今はこのような状態だ。この環境で自分なりの「快」を見つけて行動していこう。
「言葉が思考をつくり、思考が人生をつくる」
ネガテブな言葉を言わない様にしよう。
夫のちんぽが入らない衝撃の実話
そんな本に出合った。人とは悩みとは様々だまさに千差万別、そう思った。
そんな作者こだまは、北海道の最果ての地から地方都市の大学に入学、そこで知り合った彼との話だった。
こだまは最果ての地の一刻も早く脱失したかった。そして都会の暮らしに便利な暮らしに憧れていた。
浜松市に合併して浜松市の最果ての地になった佐久間町も、そんなこだまのような考えの人が多い。
便利な生活は蜜の味、コッチの水は甘いぞっと囁きが聞こえる。
こだまは、自分の故郷をおしまいの地として、今回の「ここは、おしまいの地」を、これまで経験してきた著者の半生を描いている作品だ。
中高年になったこだま、パソコンがあればおしまいの地でも仕事ができる。
最後、そんな話があった。
浜松市の最果ての地「佐久間町」ここにも帰って来る人がいると信じて、暮らして行こうと思っている。
「ここは、おしまいの地」こだま
次の作品は、こだまがおしまいの地で暮らしている内容ではないかと思う。
今、コロナウイルスが蔓延して東京での暮らしが大変みたいだ。
一局集中、この問題をコロナウイルスは問うているのでなないか、東京都知事が言った「東京ファースト」
東京だけが日本ではない。と、私は言いたい。
百田尚樹が2016年に書いた寓話「カエルの楽園」今、4年の時を経て「カエルの楽園2020」が小説家になろうのページで土日限定で公開されると聞き早々に読んでみた。
ハッキリ言って面白い。だけど笑えない話だ。
今回の「カエルの楽園2020」は今の日本の状態をカエルに例えての愚話だ。しかし前回のと少し違う。
去年の暮れに中国でコロナウイルスの話が出て、今年になって中国のコロナウイスルが危ないと思っていたが日本の国会では野党が与党の批判ばかりしている。
今回、与党の悪いところ、トップの批判もある。忖度、ウシガエルがナパージュにハエを持ってきてくれる、こと。
この本の中で、安倍首相が「百田さんの影法師が好きだ」と書いてあった。
『影法師』は偶然本屋で出会ったと書いてあった。そんな百田さんと対談できることに不思議な偶然な御縁を感じると書いてあった。
そしてその二人は、日本を世界の中で輝く国にしようと語っている本だったと記憶している。
「カエルの楽園2020」愚話では最後、前回の「カエルの楽園」と同じ様に、ナパージュのメスのツチガエル、ローラは死んだ。
今現在、コロナで人の移動が制限されている。
最後、ソクラテスとロベルトがやせ細ったローラにいった言葉
「ローラ、もう自由に移動してもいいんだよ。それにハエも差し出さなくてもよくなった」
移動の自由を認めていた国ナパージュ、その結末。自由は大切なことだ、しかし、その自由には責任が必要だ。
1970年(昭和45年)11月25日に、憲法改正のため自衛隊の決起(クーデター)を呼びかけた。後に割腹自殺をした。
三島と楯の会の隊員1人が切腹自殺した。
そのとき三島由紀夫は何を訴えていたのか?
当時バルコニーにでの全文
おまえら、聞け。静かにせい。静かにせい。話を聞け。男一匹が命をかけて諸君に訴えているんだぞ。いいか。それがだ、今、日本人がだ、ここでもって立ち上がらねば、自衛隊が立ち上がらなきゃ、憲法改正ってものはないんだよ。諸君は永久にだね、ただアメリカの軍隊になってしまうんだぞ。(中略)
おれは4年待ったんだ。自衛隊が立ち上がる日を。……4年待ったんだ、……最後の30分に……待っているんだよ。諸君は武士だろう。武士ならば自分を否定する憲法をどうして守るんだ。どうして自分を否定する憲法のために、自分らを否定する憲法にぺこぺこするんだ。これがある限り、諸君たちは永久に救われんのだぞ。
ウィキペディアから
この時、隊員のヤジで三島の声は聞き取れなかったという。
才能に恵まれ、作家として男として人生を真直ぐに生きた男、三島由紀夫。
「万物流転」
この世にあるすべてのものは、絶え間なく変化してとどまることがないということ。の意味。
人生もそうだ、いつか必ず死という日が来る。
三島由紀夫は自分の人生をも一つの小説の様に劇的な最終章で締めくくった。
「情報不変」
情報は変わらない。三島由紀夫が遺した文学は小説は語り継がれている。
「運命を拓く」「ほんとうの心の力」「怒らない恐れない悲しまない」
中村天風という人物とは
日清日露戦争当時は軍事探偵として活動するも、戦後病(結核)を得て人間の存在そのものを理解すべく世界を遍歴。インドでのヨーガ修行を経て健康を回復する。日本に帰国後、一時は実業界で成功を収めるも、自身の経験と悟りを伝える使命に目覚め講演活動を開始。現在も公益財団法人天風会(中村天風財団)としてその教えは引き継がれている。その教えを学んだ各界の著名人の中には、松下幸之助氏など日本を代表する実業家も含まれている。
心身統一道を提唱。
ウィキペディアから
「ほんとうの心の力」
「船に乗ったら船頭任せ、病気になったら医者任せ」
病気だと、あれこれ迷わずに、専門家に任せておけと言う格言
今の世の中、スマホで専門知識が分り、自分で知ったかぶっている人が多い。
「物言えば唇寒し秋の風」芭蕉
人の短所を言ったあとは、後味が悪く、寂しい気持ちがする。転じて、何事につけても余計なことを言うと、災いを招くということ。
「丸い卵も切りようで四角、もののイイヨで角が立つ」
丸い卵も切りようで四角とは、同じ意味のことを言うにも、言い方によって受け取られ方が違ってくるというたとえ。
自分の肉体を自分の自分の肉体だと思ってはいけない。あくまで自分の魂の借り物なのです。
例えば借り物の肉体が、病になった、癌になったとする。癌を治癒することは大切なことだ、しかし魂までも病になってはいけない。
魂がハツラツとしていれば自然治癒力で病から逃げていく、そんな考え方だ。
真の平和とは
の頁で
「請う先ず隗より始めよ」
大きなことはまず身近な事から始めなさい
とある。
真の世界平和建設の重要な要素は、いうまでもなくすべての個人個人の家庭生活をまず真に平和なものとすることに努力すべきである。
原文まま
心身一如
その基礎には,東洋の宗教の修行法や東洋医学の考え方がある。たとえば,禅やヨーガや道教などの瞑想(めいそう)法や修行法は,心の働きと身体の働きが一体になった〈心身一如〉の境地を理想として追求している。また東洋医学の考え方は宗教と関係が深い。
コトバンクから
沢木耕太郎の本は「深夜特急」から好きになり読んだ。今回、この本は森町三倉での勉強会のときに知り合いから頂いた。
ベトナムの一人旅、ホーチミンからハノイまでを国道一号線をバスで旅する物語、だ。
ベトナムといえばベトナム戦争があった、アメリカ軍がベトナム軍が潜む森林に『枯葉剤』をまいた話が昔あったと記憶する。
ベトナムは、もともとはフランスの植民地だった、それが第二次世界大戦がはじまり、戦争の時代のとき日本軍も進駐した、
1945年(昭和20年)に第二次世界大戦は終結し、日本は敗戦を迎え、日本軍が去った。ベトナムではホー・チ・ミンが独立宣言をおこない、「ベトナム民主共和国」が誕生、しかし、ベトナムはフランスの介入で争い事が収まりませんでした。そして1954年(昭和29年)北緯17度線を停戦ラインとしてベトナムを南北に分かれたそうです。
様々な争い、ベトナムにアメリカが介入、ベトナム戦争は壮絶さを増していった。
アメリカ軍が『枯葉剤』をまき、ベトナムではその後奇形の子供が生まれるようになる。
その戦争は、表面的には「北ベトナム」対「南ベトナム・アメリカ軍」の戦いでしたが、本質的には「共産主義」対「資本主義」の戦争だった。
5分でわかるベトナム戦争
https://honcierge.jp/articles/shelf_story/4522
参照
本では、旅の途中、日本人の墓と出会う。
昔読んだ本、櫻井よしこ「何があっても大丈夫」そこに、櫻井さんがベトナムで暮したことが書いてあった。
戦争で『枯葉剤』をまいた事実、その影響で、下半身がつながった結合双生児として生まれた「ベトちゃん・ドクちゃん」そんな報道の記憶がある。
今、武漢にある研究所から新型コロナウイルスが外部に漏れたのではないかと、トランプ大統領が中国を批判している。
いい加減、愚かな戦いは辞めてほしい。。。
この本は、森町三倉での「勉強会」で、ある知り合いから頂いた。
森信三先生の言葉に
『人間は一生のうちに逢うべき人には必ず逢える。しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に。』
と、ある。
本との出会い、人との出会い。
天からの声が聞こえる。
「125号線を北上せヨ」
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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