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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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第四章「食の問題」を救う。
坪井達史さんのお話だった。
国際協力の世界で、農業指導をしている人、その人は、アフリカの大地で米ぞ作ることをしている。
それも、陸稲を、それは(りくとう/おかぼ)と呼ばれ、水稲に比べ収穫・食味は落ちるものの、水田を作らずに畑に作付けできることから育成が容易であることが特徴なのです。

陸稲、その稲の名はネリカ米という。
ネリカ米とは
ネリカ(New Rice for Africa:NERICA)とは、高収量のアジアイネと病気や雑草に強いアフリカ稲を交配することによって出来上がった品種の総称です。アフリカ稲センター(Africa Rice Center(旧West Africa Rice Development Association:WARDA))が、1992年にアジア稲とアフリカ稲の種間交雑に初めて成功し、現在は水稲60種、陸稲18種が登録されています。日本は、1996年以降、JIRCAS、JICAから研究者、専門家を派遣し、品種開発・普及を支援してきました。
ネリカの特長は、1)生育期間が短く、短い雨季での栽培や、干ばつのリスクを回避できる点、2)耐乾性・耐病性が高く、アフリカ特有の高温で乾燥した気候にも負けない点、3)従来のアフリカ稲よりも収量が高い点などが挙げられます。
jica 独立法人 国際協力機構 HPから。


坪井達史さんのお話の中で、日本の食生活の話があった。
日本は、やはり、贅沢な国だと感じると。
アフリカと日本を比較することは意味ないことですが、もったいないことがあると。
坪井達史さんの夢は
例えば50年後、100年後にアフリカの家族が、夕食にお米の御飯を食べていて、おじいさんとおばあさんが
「昔、お米のご飯はなかなか食べられなかったけど、今こうしてお米のご飯が食べられるのは、日本人がお米の作り方を教えてくれたからなんだよ」
と昔話をすること。だと。

食料自給率の悪い日本は、田舎を去り都会へと人口は流れていく。
お金さえあれば食べて行ける国の惨状だ。
アフリカの貧困の状態は本で見て感じることしかできない今の自分だ。
次は「教育」の問題だ。

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第三章「命の問題」を救う
国立国際医療センター国際医療協力部勤務
母子保健、妊産婦と乳幼児の健康を支援することに取り組んでいる。
そんな人の、お話し。
カンボジアでは、生後一カ月までは子ともに名前を付けないという。
一カ月生き延びて、初めて名前を付けるのだと。
赤ちゃんの命は失われやすい。
それはアフガニスタンでも、同じ状態、だと。

藤田則子さん
日本の若いお医者さん看護師さんには積極的に途上国の母子保健の現場に出て行ってほしい。
途上国での経験は日本に戻って働くときに役立つ、と。
また
今の日本の小児科医や産婦人科医が不足しているのは「なぜ自分は医者になりたいのか」という根本的な問題意識が薄れていることが大きく影響しているように思います。と。
途上国の医療現場を見れば、医療従事者の使命について改めて考えるきっかけにもなります。


私は、12市町村が合併して日本で二番目に大きくなった浜松市の片隅に暮らしている。
ライフラインも整い、快適な暮らしをしている。
途上国と比べると、贅沢な暮らしをしている。
昔、親に、こんな話を聞いた。
「上見て暮らすな、下見て暮らせ」
途上国は下、なのか?

藤田則子さんの、お話の中で、
カンボジアでは、生後一カ月までは子どもに名前を付けないという。
話があった。
生後一か月の赤ちゃんの生存率が低いのだ。
赤ちゃんの命は失われやすいということが体験として身についていると。
「これが神の思し召し」
と受け入れている部分が有るように思います。と。

今、日本ではオリンピックが行われている。
大会ビジョンは「多様性と調和」
「多様性と調和」の説明としては「人種,肌の色,性別,性的指向,言語,宗教,政治,障がいの有無など,あらゆる面での違いを肯定し,自然に受け入れ,互いに認め合う」こと。

池上彰「世界を救う7人の日本人」を読んでいる途中
東京オリンピックも見ている途中
どちらも最後までじっくりと、見て(読んで)いこう。。。

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第一章「水問題」をすくう 沖大幹
メコン川、そんな話があった。
メコン川はチベット高原に源流を発し、中国の雲南省を通り、ミャンマー・ラオス国境、タイ・ラオス国境、カンボジア、ベトナムをおよそ4200 kmにわたって流れ、南シナ海に注ぎ込む、東南アジアで最長の河川である 。
源流は中国だ。
様々な問題がある。
その他の水問題に関することが書いてある。
水道設備がない為に、水汲みに時間を費やし勉強・その他の労働ができない状態のなのだ。

日本は水には比較的、恵まれた国だ。
それは
何故
豊かな山々があるからだ。
私の暮らしている浜松市には天竜川がある。
長野県の諏訪湖を源流にしている。
同じ日本を流れる川
メコン川も天竜川も
自分の領域を流れるところだけに思いをはせるのではなく、遠い源流に目を向ける。
また、その水は、地球の中で循環している。
その恵みで私たちは生きている。

そう思えば、個人的な争いも国家的な紛争もなくなるのに。
そう思った。
静岡県のリニア問題も
国も県も、日本の国の事だけでなく静岡県の事だけでなく。
広くみんなのためのことを考える。こと。

池上彰「世界を救う7人の日本人」
一人目は沖大幹さんだった。
世界に目を向けている人がいる。
物見遊山で世界に行く人もいるが、国際貢献で世界に行く人もいる。
前書きで、国際貢献を国際協力と呼ぶようにしていく、と書いてありました。
貢献とは物事の発展に役立つように力を尽くすこと。
協力とは力を合わせて事にあたること。

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もう何冊目になるだろうか?
出口治明さんの本は多く読んだ。
この人は
大学を卒業して日本生命に入り、58歳で様々な事があり退社、その二年後60歳でライフネット生命設立社長として就任、2013年に社長職を若手に譲り、今は立命館アジア太平洋大学の学長をやっている人だ。
還暦でベンチャー企業を立ち上げ、古希で大学の学長、すげ~。多くのすげ~人を知っているけれど、出口さんはホントにすげ~人だと思う。

その人が、還暦でライフネット生命を立ち上げ、2009年講演しているときに、ある人から「出口さんの本をつくりたい」と提案され出来上がった本だと、後書きに書いてありました。
この本の中で目にとまった
ある村長が流した涙
日本の少子高齢化の対策についての提言だった。
その村長とは、群馬県上野村の村長、出口さんが日本生命時代に出会ったときの話しであった。
群馬県内では過疎化の進む村の村長との話、過疎と言われる村で最近、嬉しかったことは?
そんな質問に
フィリピンからきた女性二人が子供を産んだこと。
そして、その村長はフィリピンからきた二人の女性に「上野村にきて本当に良かった」と思ってもらえるようにすることが、これからの私の仕事だと言っていた、と。
そう言って涙を流した。
そうだ。
出口さんも、もらい泣きした。

そして、出口さんも
生命保険に携る一人として
「世界一、子供を生みやすい国日本」「世界一、子育てがしやすい国日本」を目指していこう。



そして
ライフネット生命は、そんな保険会社を目指している。
それは
上野村の出逢いが原点だと。

日本
少子高齢化の問題がある。
日本の中でも、過疎化の激しい所がある。
今の現実は
日本の中で、過疎化の激しくなることころから、そうでないところに移動する日本人の移動がある。
この本に、難民を受け入れる。ことも選択枠の一つになる。
と書いてあります。

今回
東京オリンピック前に
ウガンダ選手団の1人で重量挙げのジュリアス・セチトレコ選手(20)
「生活が厳しく、日本で仕事がしたい」などと記したメモを残して、行方がわからなくなった。
そんなことがあった。

群馬県上野村
そこは1985年に日航機が墜落した御巣鷹山のあるところである。

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平成3年の夏、蒸し暑い夜、一冊の本を注文した。
翌朝、10時、その本が我が家にとどいた。

はや~。。。。

浜松市の隅っこ佐久間にダニ~。速い、早い、有り難い。
浜松の倉庫に、その本はあったらしい。それにしても早い。
流通業界の車が、ドライバーが、その本を運んできてくれたのだ。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。
佐久間までこんなにも早く届いた、その本は
桑原功一「フリーハグ!」


その人は、この動画の人だ。
日本人には、とくに私と同じ年代の人には、分からないだろうナ~。。。
知らない人とハグするなんて




実際、森町三倉「勉強会」で話したことがある。
今の日本の青年が、このような行動をしている、と。




あ、
これは、私のスタイル、この高く上げた手を、もう少し下にすれば、桑原功一さんの姿になる。
後私に足りないのは笑顔かな(笑)

桑原功一「フリーハグ!」
韓国・中国・台湾・・・世界とつながった10年間の記録!
昨日、はじめに・第一章ソウル光科門、2009年8月、まで読みました。



本との出会い、人との出会い、
様々な本がある。いろいろな考え方の人がいる
パソコンで夜中クリックした書物が、翌朝我が家にとどいた。
それは、たまたま倉庫にあったのかもしれない。本屋で出会った本もある。とりあえず私の手元に届いた。
動画で出会った桑原功一、本で彼の今までを感じ取ろう。

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出口治明さんの本はよく読んだ。どうして出口さんの本を読むのか、それは出口さんの経歴がすごい。大学を卒業して日本生命に入り、58歳で様々な事があり退社、その二年後60歳でライフネット生命設立社長として就任、2013年に社長職を若手に譲り、今は立命館アジア太平洋大学の学長をやっている人だ。
還暦でベンチャー企業を立ち上げ、古希で大学の学長、すげ~。多くのすげ~人を知っているけれど、出口さんはホントにすげ~人だと思う。
また、三重県の美杉村の出身だということも、私が興味を持たことの一つである。
この「人生の教養が身につく名言集」は出口さんがまだ、ライフネット生命の時代に書いた本である。

最初に出てきた名言
12世紀ルネッサンスで、プラトンの思想を研究・発展させたシャルトル学派の中心人物、ベルナール・ド・シャルトルの言葉
「巨人の肩に乗っているから、遠くを見ることができる」
文中一部抜粋
これは、過去の偉人、先人たちの知恵を巨人に例えた事、その人の力を借りて、より遠くまで見ること、研究が進むことができるという意味だ。




出口さんは著書や講演でよく「人」「本」「旅」と言う。自分に役に立つことをこの三つに絞っている。
ひとつ上の「旅の楽しみ方」
「真の発見の旅とは、新しい風景を求めることではなく、新しいものの見方を得ることだ」


今回のほくえん旅ラン、走り旅、如何でした。何か発見することができましたか????
出口さんの本は面白い。わたしも旅は旅ランは、一人で名古屋駅から御母衣ダム、荘川桜を見に行ったことがある。
「人」「本」「旅」
本を読むようになったのは、森町三倉「勉強会」で森信三先生の修身教授録を読んでいて「尚友」と言う言葉を知ってから。
また、職場で朝読書があったから。

教養は無いけれど、自分なりの人生、楽しみたいと思う。
しんしん

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落合陽一、知っている人は知っているだろうが、知らない人は知らないだろう。ウィキペディアに出ているので見てください。
落合陽一 →ウィキペディア
世界はすでに新しいルールで動きはじめた。
2019年の年末、コロナがまだ世の中で騒がなかったころに落合陽一が書いた本だ。
本をめくると、P34とP35の見開きに、2020年~2050年までの年表がある。
2020年東京オリンピック・パラリンピック開催(予定)
と始まり。様々なコンピュータ技術によって変わっていくものが、変わって行くだろうと思うことが書いてある。
2027年リニア中央新幹線(東京~名古屋間)《予定》
2030年太陽光発電のコストが従来の火力発電並に《予想》
2030年新車販売に占める次世代自動車の割合5~7割を目指す《目標》
2033年団塊の世代の死去による相続ラッシュ(地価暴落?)《予想》
2050年宇宙エレベーター完成(大林組)《予想》
「SDGs」というヨーロッパ式のゲーム
SDGs(エス・ディー・ジーズ)とは? 17の目標ごとの説明、事実と数字、様々な事が書いてある。
国連が決めた取り組み、戦争の道具をつくっている国が参加している。様々な矛盾があるが、今の国連が様々な国に配慮しての取り組み、今を生きている。若い人も私たち年寄りも。

国連の取り組み、SDGs(エス・ディー・ジーズ)
選挙があり、誓う考え方のトップになったならば、その取り組みに参加しなくなるかもしれない。
しかし、今は協力的だ。

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先日、藤原ていさんの本を読んだ。
日本は戦争があった。そんな時、藤原ていさん夫妻は満州にいた。藤原ていさんは三人の子どもを連れ満州から日本へ祖国に帰って来た話だった。
今回
その藤原ていさんの自叙伝「旅路」を読んだ。
読み終えた。

藤原ていさんは、女学校時代、学校の先生になりたかった。ペスタロッチの本が好きだった。
修身教授録にも書かれていたペスタロッチ、森信三さんも藤原ていさんも、教育の道で同じ人の本で言葉で、その人の本に導かれている。
ところが、藤原ていさんは学校を卒業することはできなかった。家庭での父親との関係、大正後期・昭和初期の親子関係、男女関係は様々だったと思う。
求婚があり、見合いがあり、藤原寛人(新田次郎)との出会合いがあり結婚、満州へ、新婚生活があった。

戦争は終わりかけた。
荷馬車に乗る労働者に石を流られた。
「センソ ニホンマケタ マケタ アハハハ・・・・」
大きな声で云って労働者は笑い出した。
「センソ ニホンマケタ マケタ アハハハ・・・・」
くりかえしている。私は直立したままで、その顔をきじしくにらみつけていた。
「センソ ニホンマケタ」

満州から引揚げ。朝鮮での暮らし、「流れる星は生きている」では書いていない壮絶な暮らしが書いてある。
勝ち組・負け組、負けた物は屈辱をうけた。
それは日本人だから。
しかし、あたたかい手もあった。
そんなことが書いてある。

北緯38度線を越え、アメリカ軍領内へ。日本に帰国、故郷長野県諏訪へ。
ソ連軍の捕虜となった夫との再会
藤原てい「流れる星は生きている」ベストセラーに。
そんな妻を持つ、夫の気持ちを慮っている。
藤原ていさん
夫の直木賞受賞
滅多に笑顔を見せない夫の喜びの表情が藤原ていさんが書いている。
人間として大切なことは・・・・・
物を大切にする心、つつましい心、物以上に人間として、最も大切なものがあるのだと、教えてやりたい。
子育ても信念があった。
夫の死
それは心筋梗塞により突然な別れだった。半狂乱になって夫の死体に泣き伏せた。
満州からの日本に帰るもの、夫の「子供たちを日本に連れて行ってくれ」その言葉を力に故郷の諏訪に辿り着いた。
夫の死後、藤原ていさんは、ためらっていた原稿も講演活動も身体のかぎり引き受けて、少しでも後に続く人たちの心に残したいと思い続けた。
藤原ていさんは1918年(大正7年)11月6日 - 2016年(平成28年)11月15日まで生きた人だ。
本の最後に
なんともありがたいことである。
と書いてあった。

わたしの母親は、昭和元年生れ。
水窪に生まれ、斜面集落「横吹」に嫁いできた。
そこで長男・長女を生み、夫を亡くした。次の夫から私が生まれた。
今回藤原ていさんの本を読んだ。自分の母親の若い日を考えてみた。
母親に感謝します。

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先日、
そんなことをブロブを書いた。
今、
藤原てい「旅路」を読でる途中だ。藤原ていの自伝書。中国孤児の悲劇はなぜ起こったか。敗戦の苦しみを綴った、戦後の超ベストセラー「流れる星は生きている」の著者が、30年ぶりに、女学校時代の思い出や戦争の痛手、夫婦愛、親子の情、夫の急死など、細やかな心の遍歴を語る、書下ろし女の半世紀。


藤原ていは私の母親より8歳年上である。
わたしの幼きころ
よく聞いた、母親の言葉
おまえは良いときに生まれた」と、私たち戦争を知らない人は、分からない。大正生まれの女の生活は、しかし、この本を読んで、読み始めて、藤原ての青春時代と私の母親の青春時代が、重なって見える。

藤原てい夫婦は満州に渡った時は、日本人街で働く中国人は日本語が上手で親切で、道を尋ねても、現場まで連れて行ってくれる五族協和の精神を体得している、とか。
日本人も満州人も、朝鮮人も、白系ソ連人も、蒙古人も、いわゆる五族が、みんな仲良く平和な市民であるように思われた。
と、
書いてあります。
それが
第二章新婚生活P69 
荷馬車に乗る労働者に石を流られた。
「センソ ニホンマケタ マケタ アハハハ・・・・」
大きな声で云って労働者は笑い出した。
「センソ ニホンマケタ マケタ アハハハ・・・・」
くりかえしている。私は直立したままで、その顔をきじしくにらみつけていた。
「センソ ニホンマケタ」


第三章 放浪生活
この章から、藤原ていの満州からの引き上げ、が書いてあるのだろう。
昨日・今日・明日
過去・現在・未来
過去があるから現在がある
10年後のことは分からない。が、過去を忘れないで未来を考える、こと。

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著者、藤原ていとは、
長野県茅野市出身。県立諏訪高等女学校(現、諏訪二葉高等学校)卒業。1939年、新田と結婚。1943年に新京の気象台に赴任する夫と共に満州に渡る。敗戦後の1945年、夫を一時残して子供を連れ満州より引き揚げ、帰国後しばらくして新田も帰国。
帰国後、遺書のつもりでその体験をもとに、小説として記した『流れる星は生きている』はベストセラーとなった。一部創作も含まれている。またTBSの『愛の劇場』で1982年にドラマ化された。
読売新聞「人生案内」の回答者を1997年3月まで約13年間務めた。
80歳を過ぎた頃から認知症を発症し、表舞台から退いた。2016年11月15日、老衰のため死去。98歳没。
ウィキペディアから。


戦争のあと、満州からの引き上げる体験を書いた本だ。
三人の子供を連れて、
昨日の夜、12時ごろ読み終わった。
壮絶な北緯31度線を超えるところ、印象的だった。
朝鮮の人は、日本人をかくまうことはできない、が、温かい手を差し伸べる人がいた、こと。
人形を作ろうと、ソ連兵から布をもらうシーン
子供がジフテリアにかかり、朝鮮人医師にロンジンの時計を1000円で買ってもらった。こと。
★虐待死★
★けがされた人形★
★三百円儲けた話し★
★かっぱおやじの禿頭★
★死んでいた老婆★
★三十一度線を突破する。★
★アメリカ軍に救助される。★
★気の狂ったまねをする法学士★
★コンビーフの缶詰★
★貨車の中の公衆道徳★
★上陸の日★
★博多から諏訪へ★
★ああ両親の手に抱かれて★

藤原ていさんは遺書のつもりで書いた、と言っている。
私の心には、何処の国の人にも、悪い人もいれば良い人もいると映った。
国家の品格を書いた藤原正彦さんは藤原ていさんの次男だ。
国家の品格の中に
「家族愛」「郷土愛」「祖国愛」をしっかり持って「人類愛」とにつなげる。
そんなことが書いてあった。
流れる星は生きている。を読んで、藤原正彦さんの、この言葉を意味が少し分かったような気がする。

 
私の母親も、80歳で特別養護老人ホームに入所、認知症が進み私の名を呼ぶこともなかった。
92歳でこの世を去った。
この12年間を考えた。
母親の偉大さを、この本で知った。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
65
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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