平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。
ほくえんの風を
身体中に感じながら。
著者、藤原ていとは、
長野県茅野市出身。県立諏訪高等女学校(現、諏訪二葉高等学校)卒業。1939年、新田と結婚。1943年に新京の気象台に赴任する夫と共に満州に渡る。敗戦後の1945年、夫を一時残して子供を連れ満州より引き揚げ、帰国後しばらくして新田も帰国。
長野県茅野市出身。県立諏訪高等女学校(現、諏訪二葉高等学校)卒業。1939年、新田と結婚。1943年に新京の気象台に赴任する夫と共に満州に渡る。敗戦後の1945年、夫を一時残して子供を連れ満州より引き揚げ、帰国後しばらくして新田も帰国。
帰国後、遺書のつもりでその体験をもとに、小説として記した『流れる星は生きている』はベストセラーとなった。一部創作も含まれている。またTBSの『愛の劇場』で1982年にドラマ化された。
読売新聞「人生案内」の回答者を1997年3月まで約13年間務めた。
80歳を過ぎた頃から認知症を発症し、表舞台から退いた。2016年11月15日、老衰のため死去。98歳没。
ウィキペディアから。
戦争のあと、満州からの引き上げる体験を書いた本だ。
三人の子供を連れて、
昨日の夜、12時ごろ読み終わった。
壮絶な北緯31度線を超えるところ、印象的だった。
朝鮮の人は、日本人をかくまうことはできない、が、温かい手を差し伸べる人がいた、こと。
人形を作ろうと、ソ連兵から布をもらうシーン
子供がジフテリアにかかり、朝鮮人医師にロンジンの時計を1000円で買ってもらった。こと。
★虐待死★
★けがされた人形★
★三百円儲けた話し★
★かっぱおやじの禿頭★
★死んでいた老婆★
★三十一度線を突破する。★
★アメリカ軍に救助される。★
★気の狂ったまねをする法学士★
★コンビーフの缶詰★
★貨車の中の公衆道徳★
★上陸の日★
★博多から諏訪へ★
★ああ両親の手に抱かれて★
藤原ていさんは遺書のつもりで書いた、と言っている。
私の心には、何処の国の人にも、悪い人もいれば良い人もいると映った。
国家の品格を書いた藤原正彦さんは藤原ていさんの次男だ。
国家の品格の中に
「家族愛」「郷土愛」「祖国愛」をしっかり持って「人類愛」とにつなげる。
そんなことが書いてあった。
流れる星は生きている。を読んで、藤原正彦さんの、この言葉を意味が少し分かったような気がする。
私の母親も、80歳で特別養護老人ホームに入所、認知症が進み私の名を呼ぶこともなかった。
92歳でこの世を去った。
この12年間を考えた。
母親の偉大さを、この本で知った。
92歳でこの世を去った。
この12年間を考えた。
母親の偉大さを、この本で知った。
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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
HP:
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
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”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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