平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。
ほくえんの風を
身体中に感じながら。
先日、藤原ていさんの本を読んだ。
日本は戦争があった。そんな時、藤原ていさん夫妻は満州にいた。藤原ていさんは三人の子どもを連れ満州から日本へ祖国に帰って来た話だった。
今回
その藤原ていさんの自叙伝「旅路」を読んだ。
読み終えた。
藤原ていさんは、女学校時代、学校の先生になりたかった。ペスタロッチの本が好きだった。
修身教授録にも書かれていたペスタロッチ、森信三さんも藤原ていさんも、教育の道で同じ人の本で言葉で、その人の本に導かれている。
ところが、藤原ていさんは学校を卒業することはできなかった。家庭での父親との関係、大正後期・昭和初期の親子関係、男女関係は様々だったと思う。
求婚があり、見合いがあり、藤原寛人(新田次郎)との出会合いがあり結婚、満州へ、新婚生活があった。
戦争は終わりかけた。
荷馬車に乗る労働者に石を流られた。
「センソ ニホンマケタ マケタ アハハハ・・・・」
大きな声で云って労働者は笑い出した。
「センソ ニホンマケタ マケタ アハハハ・・・・」
くりかえしている。私は直立したままで、その顔をきじしくにらみつけていた。
「センソ ニホンマケタ」
満州から引揚げ。朝鮮での暮らし、「流れる星は生きている」では書いていない壮絶な暮らしが書いてある。
勝ち組・負け組、負けた物は屈辱をうけた。
それは日本人だから。
しかし、あたたかい手もあった。
そんなことが書いてある。
北緯38度線を越え、アメリカ軍領内へ。日本に帰国、故郷長野県諏訪へ。
ソ連軍の捕虜となった夫との再会
藤原てい「流れる星は生きている」ベストセラーに。
そんな妻を持つ、夫の気持ちを慮っている。
藤原ていさん
夫の直木賞受賞
滅多に笑顔を見せない夫の喜びの表情が藤原ていさんが書いている。
人間として大切なことは・・・・・
物を大切にする心、つつましい心、物以上に人間として、最も大切なものがあるのだと、教えてやりたい。
子育ても信念があった。
夫の死
それは心筋梗塞により突然な別れだった。半狂乱になって夫の死体に泣き伏せた。
満州からの日本に帰るもの、夫の「子供たちを日本に連れて行ってくれ」その言葉を力に故郷の諏訪に辿り着いた。
夫の死後、藤原ていさんは、ためらっていた原稿も講演活動も身体のかぎり引き受けて、少しでも後に続く人たちの心に残したいと思い続けた。
藤原ていさんは1918年(大正7年)11月6日 - 2016年(平成28年)11月15日まで生きた人だ。
本の最後に
なんともありがたいことである。
と書いてあった。
わたしの母親は、昭和元年生れ。
水窪に生まれ、斜面集落「横吹」に嫁いできた。
そこで長男・長女を生み、夫を亡くした。次の夫から私が生まれた。
今回藤原ていさんの本を読んだ。自分の母親の若い日を考えてみた。
母親に感謝します。
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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
HP:
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
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”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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