NHKアナウンサー鈴木健二さんの著書「気くばりのすすめ」そんな本が遠い過去に流行っていた。
そんなことは知っていたが、その本は読んだことはなかった。
そんな私が
最終版「気くばりのすすめ」を読んだ。
鈴木 健二(すずき けんじ、1929年1月23日 - )は、日本のフリーアナウンサー。元NHKアナウンサー。
『歴史への招待』や『クイズ面白ゼミナール』などの司会者として高視聴率を叩き出したことで知られる。 著作も多く、『気くばりのすすめ』はベストセラーになった。
NHKのエグゼクティブアナウンサー(理事待遇)になり、1988年にNHKを定年退職した後、熊本県立劇場の館長に就任し、伝承芸能の復元などにつとめ、1998年には青森県立図書館および青森近代文学館の館長に就任した。
ウィキペディアから
第一章 生きるということ
第二章 母と父の気くばり
第三章 人間の未来、光の子どもたち
第四章 人間不在の非気くばり社会
第五章 最高にして至善のたしなみ
第六章 感動なしに人生はありえない
終章 人間の原点とは
第一章、その内容は、書き留めた原稿を郵便局に持ていったら日曜日だった。そんな話から始まった。
そんな人が大切にしている言葉は
「人は母と生まれ故郷を大切にして生きて行けばよいのだ」
そして昭和20年、東京下町で育った著者の思い出が書かれていた。
戦争、知り合いの学校の友だちの命が、無残に死んでしまった東京大空襲の話し。
終章
人間の原点とは
アポロ11号、月に人間が初めて到達した日のこと。
船長ニール・アームストロングさんは
「 一人の人間にとっては小さな一歩だが、人類 にとっては大きな 第一歩だ」
と明言を残した。
本の中で、その船長は鈴木健二さんより年齢は一歳年下で8年前に82歳で亡くなったと書かれていた。
そして、そのご子息との対談で
「父はいつも私達 子どもに『 決してごう慢 になってはいけない。人間は常に謙虚でなくてはいけない』と言っていました」
と書いてありました。
親から子へ繋がっている。
鈴木健二さんの「気くばりのすすめ」
今現在、21世紀。日本は令和の時代、必要な心のありようの大切な一つが、謙虚である。
最後に、世界のリーダーに、その謙虚さを持つように求めた。
そして戦争への不安が消えるのを希望した。
人は誰も必ず、この地球から放射される日が来る。
それは何時の日か分からない。
最終版「気くばりのすすめ」を読んだ。
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鈴木健二「説得力」
クイズ面白ゼミナール
今回鈴木健二さんの本を読んだ。91歳になるという。昔と変わらなくポッチャリとしている。
人生の先輩の本は私の心に残った。
私の知り合いには「憲法9条を守らなければいけない」と声高に唱える人がいる。
また
毎年正月には東京へ天皇陛下の新年一般参賀に向かっている人もいる。
今回、わたしは、そんなその人に
漫画家小林よしのりの書いた「昭和天皇論」と言う本を渡され、読んでみた。
五年前の八月、終戦から70年
日本のいちばん長い日
そんな映画があった。わたしはその映画を見た。そしてブログも書いている。
日本のいちばん長い日 映画を観た。。。
あれから5年が経ち、今回、この本を読んだ。
この国は、縄文時代、人々は争いのない国だった。
それが弥生時代になり、米を作るようになり争いが始まった。
その時代のことは分からない。中国の『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』中国の歴史書での知るところとなった。
争い。その原因はお金だったり人間関係だったりする。
左翼系と右翼系との論争、自分の主張は正しい、それを前提に議論している。
学者の話し合いに終わりはない。平行線が絶え間なく続く。
天皇陛下は戦後、日本の象徴となった。
日本の神道の元である。
天皇陛下は祈っている。
「我が国と世界の幸せ」を。
金・ビジネス・人生の哲学
当たり前のことが出来れば、仕事も人生も絶対に成功する。志村けんが本気になって語った「ビジネスと人生」の極意
生き残るためには、「常識」で攻めろ!
志村けん五十歳代に出した本「マガジンハウス」
コメディアン志村けん、ドリフターズの付き人時代を経て絶頂期を迎えた時の本である。
最初に自分の人生を24時間一日としたならば今は何時だろうと考えて話をすすめている。
100歳の人生ならば、50歳は昼間の12時
80歳の人生ならば、40歳が昼間になる。
わたし60歳、もし80歳まで生きるならば、私の人生を一日でみると、夕方の6時、夕暮れ時だ。
だいじょうぶだぁ・変なおじさん・ひとみばあさん
お茶の間の人気者志村けん、素顔は真面目な人のようだ。
様々なギャグが、志村流に計算された笑い、大人から子供までが笑えるようにと考えていた。
非常識な行動が、実は常識的な人間のアイデアから生まれてきた。
真面目だからこそ、不真面目な志村けんを演じていた。
「人は生れ、やがて死んでいく、それが人生だ」
今回、志村けんの本を二冊読んだ。
テレビでは志村けんの追悼番組を流している。
21世紀、人の死が見えなくなっている、そんな気がする。
肉体は消えてもバーチャルで生きている。
それは、芸能人でなくても、少し前まで一緒に走った仲間もFBの画面に現れ話しかけてくれる。
それは良いのか悪いのか分からない。
やがて自分も。
「人は生れ、やがて死んでいく、それが人生だ」
この言葉は映画「最高の人生の見つけ方」での俳優モーガン・フリーマンのセリフだ。
時代は21世紀になり、様々な事が変わってきた。
しかし、肉体は何時かは滅び、新しい人々は次の時代を生きて行く。
今、私たちはどう生きるのか?
過去に感謝し、未来に何を残すのか、考えるときだ。
人に感染する「コロナウイルス」として新たに見つかった「新型コロナウイルス」
感染するから「新型コロナウイルス感染症」と呼ぶ。
まったく厄介な病気が流行ったもんだ。
この「新型コロナウイルス感染症」の予防について厚生労働省では、咳エチケットや手洗い、集団発生の防止として「密閉空間」「密集場所」「密接場面」を避けるなど、感染症対策に努めるようにと呼びかけている。
志村けんは、そんな「新型コロナウイルス感染症」で70歳という生涯を閉じた。
今回私は志村けんの本を買った。
そして読んだ。
志村けん「変なおじさん」
今から20年くらいに書いた本だろうか、志村けん40歳代後半の時の本のようだ。
目次
★ドリフのメンバーになるまで
★「全員集合」時代
★「加トケン」
★「たいじょうぶだぁ」の新境地
★「バカ殿様」
★お笑いについて
★気になる人、お世話になった人
★変なおじさん リターンズ
★映画の現場
★自分のこと
解説 吉田拓郎
「♪カ~ラ~スなぜ鳴くの? カラスの勝手でしょ~♪」
ドリフターズ時代の志村けんのギャグだ。
もともとは近所の子供たちが唄っていたものを、ナカナカいい面白い発想するなと思って使いだしたそうだ。
時代を反映してブームに乗ったのだろう。その頃から、世の中全体が自分さえよけりゃいいみたいな風潮が出ていたと書いてあった。
もういいだろう。とメンバーが飽きてきたのに、放送後視聴者から子供がアレ見ないと寝付かない、子供が泣いている、と電話が来たそうだ。
そして、その次のギャグ
「♪ゾウさん、ゾウさん、お鼻が長いのね。そうよ、チンチンも長いのよ♪」
これは放送したら直ぐ、お叱りの電話がジャンジャンかかてきたそうだ。
PTAの叔母様が教育上よくないと言うのだろうか?
「♪カ~ラ~スなぜ鳴くの? カラスの勝手でしょ~♪」
「♪ゾウさん、ゾウさん、お鼻が長いのね。そうよ、チンチンも長いのよ♪」
どちらも教育上は良くないかもしれない。
しかし、子供達は言ってはいけないことを唄うこと、それが面白いのだ。
また、故河合かずみさんの事が少し書いてあった。
32歳で帰らぬ人となった河合かずみさんの事が。
志村けんの交友関係は広い、男優から女優からアイドルから歌手から様々だ。
たった一人の文通友達
くりすあきら君という障碍者の人との文通をしている、そうだ。
手紙には志村けんのバカ殿さまを見て家族中が楽しんでいる様子が書かれていた。
今ではたった一人の文通相手で、志村けんのコントの感想などを話し合う、ある意味彼の評論家だそうだ。
人生には三つの坂がある。
「上り坂」「下り坂」「まさか」
新型コロナウイルス感染症、まさか志村けんが、そんな病気になったとは考えられなかった。
変な病気が流行ってきた、どこか遠い所の話だと思っていたが、三月テレビのテロップで知った志村けんの死
本の中でも、自分の子どもが欲しいと書いてあった。
子供とバカ殿のメイクで共演したいと。
万物流転・情報不変
志村けんの新しいギャグは、もう見聞きすることはできないけど、テレビで追悼番組を放送している。
本も出している。
情報は不変である。
次は、志村けん「志村流」を読むことにしよう。
偉大な日本のコメディアン
志村けん
ご冥福をお祈り申し上げます。
そして、今まで楽しい笑いを
ありがとうございました。
八時だよ、成員集合!!
土曜の夜八時、お茶の間の人気番組、ザ・ドリフターズ、子供の頃の楽しみだった。
ザ・ドリフターズといえば、いかりや長介がリーダーでメンバーは荒井注・高木ブー・仲本工事・加藤茶が定番のメンバーだったが、何時しか新井注に変わって志村けん がメンバーに加わっていた
その志村けんは、東村山音頭で人気が上昇して行った。
時代は流れ、志村けんは令和2年3月17日に倦怠感を訴え、自宅で静養。同月19日に発熱と呼吸困難の症状が出始め、翌20日に訪問診察をしたところ重度の肺炎と診断され、入院、その肺炎とは後新型コロナウイルス感染症だった、その志村けんは入院先で死去した。享年70歳だった。
志村けんの追悼番組がテレビで放送されている。
まるで、亡くなってしまったことが嘘のようだ。
先日志村けんの本をアマゾンで注文した。
・変なおじさん「完全版」
・志村流ー当たり前のことが出来れば、仕事も人生も絶対成功する
・志村流ー金・ビジネス・人生の成功者
八時だよ、成員集合!!
この番組からだろうか、アイドルもコントに参加するようになった。
あのテレサテンも出ていた。
特に高木ブーはテレサ・テンと親交が深く、テレサ・テンは高木の家族ともつきあいがあったそうだ。
そんなテレサテンの本も注文した。
・ テレサテンが見た夢
いや明日どうなるかわからない
そのような思いで、こみあうバスに乗っていると
一人の少女が綺麗な花を
自分より大事そうに高々とさしあげて乗り込んできた
その時わたしは思った
ああこれでよいのだ
たとい明日
この地球がどうなろうと
このような愛こそ
人の世の美しさなのだ
たとえ核戦争で
この地球が破壊されようと
そのぎりぎりの時まで
こうした愛を失わずに行こうと
涙ぐましいまで清められるものを感じた
いい匂いを放つまっ白い花であった
坂村真民詩集「宇宙のまなざし」のなかの詩である。
坂村真民(さかむら しんみん、1909年1月6日 - 2006年12月11日)は、日本の仏教詩人。本名昂(たかし)[1]。一遍の生き方に共感し、癒しの詩人と言われる。
ウィキペディアから
7月5日日曜日
西鹿島駅から18時25分発の北遠バスに乗った。
料金800円、相月駅までの約一時間のバスの乗車
北遠バスの運転手さんは水窪に暮らす人、今年の佐久間駅伝で山香チームの慰労会で知り合った人だった。
たとえ地域がどうなろうと
ぎりぎりの時まで
助け合って暮らしていけたら
と、思う。
この本は二年前、職場の人に勧められて読んだ本だ。
感動した。
百田尚樹の「影法師」を読んだ。
今回、いい本だから自分の手元にも置いておきたいと思いブックオフで購入した。
そしてまた読んだ。
江戸の時代、米が全てだった。
侍の階級は石高で決まった。
一石は米1,000合
一食成人が食う米の量が一合、一日で3合、一年間で
3合×365日=1,095合
一石とは成人1人が1年間に食べる米の量なのだ。
下級武士の子、勘一が竹馬の友 彦四郎と刎頸の契りを結んだのは百姓一揆の為、百姓の親子が処刑される現場を見に行った帰りの出来事だった。
当時、百姓一揆をおこすということは厳しい年貢米に絶えることが出来なかったから。主犯格の百姓は妻、親、子供も同罪として処刑されたのである。
その様な光景を見に行った帰り、勘一と彦四郎は刎頸の契りを結んだ。そのとき勘一が政(まつりごと)の話をした。大放潟を新田に出来ないかと言った。
勘一は五歳の小さな吉田(きった)の死に際を見て、万作(まんさく)が泣きながら息子の名前を叫んだのを聞いて、茅島藩がなすべきはそれだと言った。
そして勘一は彦四郎に、その夢を託したいと思っていると。言った。
しかし、二人の生き方は違った。
彦四郎は影法師の様に生きた、そんな物語だった。
日本は、そんな時代を経て今の平和な世の中に続いている。
私たちが生きている、この時も何時の日か歴史になる。
私の暮らした横吹の段々畑も、先祖の積み上げた一つ一つの努力の結晶なのだ。
この本は、本を読んでくれた人に最後、訪ねている。
君たちは、どう生きるのか。
と。
そして自分は、どう生きるのかと考えた。
その前に、自分はどう生きたのかと振り返ったのが「ほくえんの風」なのだ。
『君たちはどう生きるか』吉野源三郎の小説。
この本は軍国主義による閉塞感が高まる1930年代の日本において書かれた本である。
1930年(昭和5年)
この本は昭和恐慌のときに書かれた本だ。
好景気から急速に不景気になってきたとき、この本は書かれた。
1930年代には昭和恐慌、不景気、「 モノが売れなくなる 」 ことで、失業者が増えた、 倒産する企業も多くなる。
その不景気の中で、日本国内では軍部がさかんに 『 大陸進出( 侵略 )を行えば、不景気から脱出できる 』 と説い た。
それは
・大陸進出には軍事力が必要になるので、軍事産業が活発になり、失業者を救うことになる。
・大陸進出によって植民地を獲得できる。
・植民地で日本で売れないものを売りつける( = 新たな市場となる )ことができたり、植民地から 原料や食料を安く手に入れることができたり、植民地の人々を安い賃金で働かせたり ―― などメリットは大きい。 と。
そんな時代を経て、1941年(昭和16年)12月8日、日本はハワイの真珠湾を攻撃して太平洋戦争が始まった。
そして、1945年(昭和20年)8月15日 日本国民へ玉音放送(終戦の詔)が流れ戦争は終わった。
終戦後、日本人は日本を復興させた。
君たちは、どう生きるか。
そんな本が出てから、日本はどうなったのか、歴史は物語っている。
今こそ、コペル君が書いたノートを思い出す時だ。
僕は、すべての人がおたがいによい友だちであるような、そういう世の中が来なけらばいけないと思います。人類は今まで進歩してきたのですから、きっと今にそういう世の中に行きつくだろうと思います。
そして僕は、それに役立つような人間になりたいと思います。
原文まま
コペル君は親友を裏切った。
そう感じて悩んだ。
卑怯者・卑怯者・卑怯者~。。。。
悩んで悩んで悩んだ。
卑怯者・卑怯者・卑怯者~。。。。
しかし、
誠実に対応して、友だちと仲直りした。
裕福な人、親の手伝いをしなければ学校に通えない人、様々な友だち親友の絆が深まった。
最後、コペル君がノートに書いた。
僕は、すべての人がおたがいによい友だちであるような、そういう世の中が来なけらばいけないと思います。人類は今まで進歩してきたのですから、きっと今にそういう世の中に行きつくだろうと思います。
そして僕は、それに役立つような人間になりたいと思います。
原文まま
そして最後作者は、この本を読んでくれた人に訪ねている。
君たちは、どう生きるのか。と。
『君たちはどう生きるか』吉野源三郎の小説。
この本は軍国主義による閉塞感が高まる1930年代の日本において書かれた本である。
「雪の日の出来事」
裏切り、コペル君は友達を裏切った。
コペル少年は、そのことで悩んだ。
ーしかし
僕たちは、自分で自分を決定する力を持っている。
だから、誤りから立ち直ることもできるのだ。
そして、コペル君、君のいう「人間分子の法則」の運動が、他の物質の分子の運動と異なるところも、また、この点にあるのだよ。
原文まま
君たちは、どう生きるか。
コペル君の御父さんは、早くに亡くなった。
コペル君お御父さんは、義弟に自分の一人息子を立派な大人にしてほしいと願って他界した。
そして、この物語は進んでいる。
親が子に繋いでいくこと、それは命だけではない。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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