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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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2003年(平成15年)新潮社より発売され400万部を超えるペストセラーとなり、その年の流行語になった本「バカの壁」を読んだ。
今から10年以上も前の本、流行語で聞いたこがあるが「バカの壁」今回初めて読んでみた。

見えない「壁」がわかると世の中が見えてくる。
「話せばわかる」なんて大ウソ! イタズラ小僧と父親、イスラム原理主義者と米国、若者と老人。互いに話が通じないのは、そこに「バカの壁」が立ちはだかっているからである。いつの間にか私たちを囲む様々な「壁」。それを知ることで世界の見方が分かってくる。
養老猛司
1937(昭和12)年、鎌倉生れ。医学博士、解剖学者。
大の虫好きとして知られ、昆虫採集・標本作成を続けている。

前書きから一部抜粋
あるていど歳をとれば、人にはわからないことがあると思うのは当然のことです。しかし若いうちは可能性がありますから、自分にわからないかどうか、それがわからない。だからいろいろ悩むわけです。そのときに「バカの壁」は・・・・・・・・・・・・。
もともと問題にはさまざまな解答があり得るのです。そうした複数の解を認める社会が私が考える住みよい社会です。
でも多くの人は、反対に考えているようですね。ほとんどの人の意見が一致している社会がいい社会だ、と。

目次
第一章
「バカの壁」とは何か
第二章
脳の中の係数
第三章
「個性を伸ばせ」という詐欺
第四章
万物流転、情報不変
第五章
無意識・身体・共同体
第六章
バカの脳
第七章
教育の怪しさ
第八章
一元論を超えて

この本は、解剖学者である養老猛司さんが北里大学薬学部の学生に講義していた時から話は始まっている。
ある夫婦の妊娠から出産までのドキュメンタリー番組を見せたときの男子学生と女子学生で、はっきりと異なる反応が出たという。
女子学生が「大変勉強になりました。新しい発見が沢山ありました」という感想が多い一方、男子学生では皆一様に「こんなことは既に保健の授業で知っていることばかりだ」という答えばかりだった。
同じことを見せても、人によって違いが出る。先生は本で、その違いが如何してかということから話を始めている。
その答えは、与えられた情報に対する姿勢の問題だ、といっている。要するに、男というものは「出産」ということに実感を持っていない。ビデオを見て積極的に発見をしようとしなかった、と。
わたしたちが日頃、「知っている」ということの実態は、実はこんなもの。こんな程度のことなんだ、と。

「常識」というのは「物を知っている」つまり知識がある。ということでなく「当たり前」のことを指す。
「自分たちは知っている」と思ってしまうのが、そもそも間違いなのだ。

「バカの壁」養老猛司。医学博士、解剖学者の人が書いた本
難しい本だけど、昔から自分なりに悩んでいたことの答えが少し見つかった気がする。
自分には関係ない事と、ある人はその問題に関わろうとしない。
話せばわかるは大嘘。人は話しても分らない存在。

「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」
養老先生は、人生は崖登りだと思っているといっている。
家康より、もっと過酷なものだと先生は考えている、と。
手を放したら真っ逆さまに谷底に落ちていく、ようなもの、と。
この「真っ逆さま」に転落していく状態の代表例が、カルト宗教に身をゆだねて行くということ。先生の見てきた学生にもオウム真理教をはじめ、転落していく何人かの学生を見てきたという。
こういう学生を何とかするには個人的に付き合うしかない、と。
逆折伏するしかないと。話して話して色々な形で喋っていると。
少なくとも先生にとって、そんな学生と話し続けることに「人生の意味」の一つを見出している、と。

話しても、どんなことをしても、自分の気持ちなど分らない。
しかし、自分が行うことに自分なりに自分も「人生の意味」を感じて生きることが自分の人生だと思う。
走ることで、自分の後ろ側にいる自分と会話するのが、なんだか楽しくも思うのであった。

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を読んだ。

いろいろなことがあり自殺しようと心に決めて富士の樹海に行こうとしたが、やり残したことをふと頭に浮かび、最後にウナギを食べようとした彼は新幹線を浜松駅に降りた。

浜松でタクシーに乗り、鳴沢まで行こうとしたが、タクシーの運転手は、そんに自殺したいのならピッタリの場所「佐久間ダムがありますョ」と、タクシーは浜松の市街から北に走って行く。

そこで、彼とタクシーの運転手の会話から物語は進んで行く。

月と地球の関係

親子関係

夫婦関係

人間関係

この世に人間という生物として誕生して、最後どのように迎えるのか。

自分で自分の最後を決めることもできる。

自殺

月まで3キロ

船明ダムに満月の夜に行きたくなった。

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養老猛司、を読んだ。
「バカってなおるんですか?」
このような感じで、子供達が養老猛司さんに質問をしている本、子供達の日々の悩みを時には笑って答え、時には怒って答えている本だった。
また、怒っているのは、その子供に対してではなく、その子供をそうしちゃた大人にたいしての怒りだと、後書きに書いたあった。

養老 孟司(ようろう たけし、1937年11月11日 - )は、日本の医学博士、解剖学者。東京大学名誉教授。神奈川県鎌倉市出身。
ウィキペディアから。
有名な本で「バカの壁」がある。

目次
第一章 バカって治るんですか?
第二章 寝ないとバカになる、って本当ですか?
第三章 バカな大人にならないためには?
第四章 日本人の脳ミソ、どうなっていますか?
第五章 子どもの脳、どうしてキレやすいんですか?
第六章 死体って、こわくないんですか?
あとがき・・・・

今回、養老猛司さんの代わりに私が答えてみた。
質問1 
バカって治るんですか?
バカと言うより、物覚えが悪い人、自分は昔から物覚えが悪かった。親にもよく兄と比べられ「おまえはバカだから」と言われたことがある。
45歳で佐久間中学校同窓会をやった時、25年ぶりに会う同級生、スゴーク変わったと思ったが、酒を飲み話しているうちに、昔のままだと思うようになった。
何年たっても自分は自分、物覚えが悪い人、要領がいい人、本質は変わらないと思います。
君は親にバカだと言われ、バカって治りますか?との質問だけど、君は小学校四年生10歳、バカではなく発展途上の世代なのだ。
答えになっていないかナ~。バカと言う病気は無い。
物覚えが悪い人=バカ
要領がいい人 =利口
そんな考えがあるが、はたしてそうだろうか?と思う今日この頃である。
質問2
寝ないとバカになる、って本当ですか?
天竜川を源流(諏訪湖)~河口(竜洋)まで225㎞と言うマラニックを走ったことがある。
その時は天竜川沿いの県道1号線が崖崩れで通行止め、迂回路で新野峠を回り距離も13,35㎞増えて238,35㎞になった。
5月3日12時~5月5日15時に到着した。
 51時間少しの仮眠だけで前に進んだ。
そんな経験から、寝た方がイイと思う。睡眠は大事だと思う。と伝えておく。
あまりに睡眠不足だと幻覚幻聴を感じるときがある。脳にとっても良くない。
しかし、人間、寝てばかりでもよくない。
昔、親から言われた言葉を残しておこう。
寝るほど楽な世の中に起きて働くバカもいる。
1日も食わなばならぬ世の中で寝るを楽しむバカもいる。
質問3
バカな大人にならないためには?
ココまで書いていて、バカな大人の代表選手のような自分を感じた。
ココの章の質問で
人間の匂いがしなくて、恐い
ストレスが多すぎて・・・。
コミュニケ―ションが不安です。
と中高生の質問があった。
都会のマンションで暮らし自分で自分の中の心の不安定さを悩んでいる。

バカなおとなにならない脳
バカ代表選手の見本のような私が読んで感じた事。
養老猛司さんの本で代表的なのが「バカの壁」
ネットで調べたら
多くの人が、「バカの壁」という言葉の意味を勘違いしているのではなかろうか。つまり、相手がバカだから話が通じない、と思っているのではないか。
この本のいちばん最初に出てくるエピソードだが、学生にお産のビデオを見せて、その後でレポートを書かせる。すると、女子学生は「大変勉強になった。新しい発見がたくさんあった」と書いたのに対し、男子学生は「保健の授業で習ったようなことばかりだ」と、まったく反対の感想を書いたのである。
これを「男子はバカだから」と片付けることもできようが、養老先生はそうじゃなかった。男は出産をすることがない。だから、男子学生はどこかで「自分には関係ない」と思って見ていたのではないか。
 人間は「自分には関係ない」と思うと、無意識のうちに壁を作ってしまう。それが「バカの壁」だ。壁を作っているのは、相手の方じゃなくて、お前さんかもしれないよ。養老先生はそう言いたかったんじゃないだろうか。
このようなレビューがあった。
過疎問題もそうだ。自分には関係ない。そう思っている人が多い。過疎の現状は日本の世界の未来のことを物語っているのだという認識が無い。。

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N先生の本を読んだ。
豊かな緑と清流が流れる中で
~ふるさとで教職員人生をおえるとき~

仕事中、些細なオシャベリのなかで、N先生が本を出していることを知った。
N先生とはラン友だ。昔一緒に焼津マラソン(ハーフ)ほ走りに行ったことがある。
焼津のビジネスホテルで前泊をして近くの居酒屋で海の幸に(泡)、その時はベロベロでは無かったと記憶する。
話の中で川上鶴ヶ会のKさんが本を書いていることは聞いていたが、まさか本人が書いているとは知らなかった。
早々、Amazonで注文して昨日ちょうど仕事が休みだったので読んでみた。

内容は、、、、、。
はじめに
―子供の教育に情熱を傾けて―
第一章
子供の可能性は無限大
第二章
教師たちへ 
―情熱と生きがいを持って―
第三章
幼稚園教育から学ぶ 
―園長として考えたこと―
第四章
私が出会った凄い人々
第五章
豊かな緑と清流が流れる町
第六章
生きることの素晴らしさ 
―幸せに生きるための道標―
第七章
自分のこと
 ―私はこんなふうに生きてきた
おわりに
豊かな自然にあふれる故郷を誇りに!―
こんな感じで書いてあります。

なかでもN先生が佐久間小学校に勤めていた時、新原田橋を建設中に崩壊事故があり、迂回する道路で通勤していたときの話は考えさせるものがあった。
P98
「原田橋崩壊」
ココにも書いてありますが、浜松市の見解として
「今回の崩土が想定を超えていて、落橋は想定できなかった」
と説明があった。と。
崩落した斜面は金網が貼ってあり地元住民が見ても、大丈夫かと心配していた場所だった。
これも大きくなりすぎた合併の弊害といえると思う。
そんな住民の悩みを一冊の本の中に残してくれたことは、大きくなった浜松市の片隅に生きる住民の一人として有り難く思った一冊だった。

N先生に、アッパレ。
を、あげたい。

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自分のアマゾンカードがあり、そこからお支払いしている。
本の買い物だけでもバカにならない額だけど、本よ読むことは修身教授のなかで森信三先生が進めている。
第十講に「尚友」があった。
「尚友」→昔の書物を読んで、すぐれた古人を友とすること。

この前、富士山一周マラニックを走った翌日、知り合いが本を書いているのを知りその本を買って読んだ。
空につづくカミーノ
内容も素晴らしかったが、こんな近くに何気なく話していたあの人が、こんなすごい人だと驚いたことを未だ覚えている。
今回は、もっと驚いた
山ちゃんの芸能ニュースより驚いた。。。
わたしにとっても驚愕のニュースだ。
今回の本は、佐久間町の大先輩の人の本だ。それも走るのが趣味で一緒に焼津マラソンも走ったことのある人だ。
まさに灯台下暗し

灯台下暗し→身近な事情はかえってわかりにくいたとえ。

Amazonで今ポチしました(^O^)/
Amazonで本を購入した(^O^)/
自分の自由に使えるお金は少量だけど、本での出費は将来の自分への投資だと思っている。
「尚友」→昔の書物を読んで、すぐれた古人を友とすること。
大先輩、また何時の日か焼津マラソンを走りに行きましょう(^O^)/

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沖縄出身の伊是名夏子さんの本「ママは身長100㎝」を読んだ。
春生まれなのに夏子。沖縄の夏の太陽のように元気にと両親が名付けたそうだ。
元気が伝わる、この本を読み終わって、自分の不甲斐なさ言い訳ばかりの生き方に克が入りました。
そして、もっともっと工夫してたった一度しかない人生を楽しく生きて行きたいと思った一冊だった。
 
支えあい、認め合うこと。
お互いが大切な存在だと思うこと。
夏子さんが学生に頃に経験し感じたこと、階段が多い高校だと先生方が難色を示したこと、友達はそれを応援したこと。
大人は経験でものを考える。
バリアフリーの学校を進められた。
自分の意思を通して階段の多い高校への進学、そこでの経験が今にいきているように感じた、そう思った。
 
まだ何もできなかった子供の頃、親はその子供のために尽くした。
その子供は大きくなり色々なことができるようになってくる。
ハイハイができ、歩くことができ、走り回るようになる。
子供は挑戦することが好きだ。
しかし、大人になると挑戦しなくなる。

「ママは身長100㎝」を読んだ。
夏子さんはキャンプ好きだそうだ。
できる人ができる事をやって、協力し合うのがキャンプ。
人は得意なこと不得意なことがある、協力し合って支えあって楽しむのがいい。
最後の最後にやりたいリストが書いてあった。
様々な事に挑戦していく姿は眩しい。
 
多くの良書に出会い自分の考え方も変わっていく
「こんな夜更けにバナナかよ」を読んだ。
「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」を観た。

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おじさんパッカーのサンティアゴ巡礼の旅」を読んだ。
5月18日
 富士山一周2019を走って、その翌日、MFさんと話した。

「今年は夢街道、如何?」

MF「今年は6月にスペインに行くので、走れない。来年は絶対行くからネ」

「わたしも還暦の年齢に近づきました。自分の今までをまとめようとしている。本にしたい」

MF「わたしも本を出している。Amazonにあるので買って」

そんな話でMFさんは巡礼の旅にいっている人だと知った。

スペインか~。。。

ヒロボーさんが行ってきたと言っていたな~。
カミノ・デ・サンティアゴ

家に帰りAmazonで、その本を注文した。そして昨日の夜、その本を読み終わった。
ひたすら歩いて910キロ!
フランスのサン・ジャン・ピエ・ド・ボーから、スペインのサンティアゴ、さらに最西端のフィステーラ岬までの「てくてく歩き」の記録を綴ったエッセイ
表紙を開くとスペインの地図、フランスとの国境から最西端のサンティアゴまで太い線で書いてある。てくてく歩きの行程だ。
フランスの道。

巡礼者は、カタツムリの生活に似ている。家財道具をザック一つに詰めて、自分の力で運ばなければならない。
人それぞれ、巡礼のスタイルは違うが、皆身の丈の歩き方をしている。そんな巡礼者の姿が眩しかった。
原文まま

その道は、世界各国の巡礼者が、それぞれの巡礼のスタイルでゴールであるサンティアゴを目指している。
その道程にスペインの歴史を感じ、その仲間との触れ合いで、これからの平和な時代を祈り、ゴールであるサンティアゴを目指したMFさんのエッセイを交えた旅日記、素晴らしい。
スペインは、この巡礼の道は、信仰心の篤い人は勿論のこと、自己への挑戦、自分探しの旅、アドベンチャーの旅など、様々な人たちが、様々な目的をもって、巡礼の旅に出かけている。

普段、何気なく会話している人が、こんな本を書いている人だとは知らなかった。
イタリア。
大空に続く道、広い大地、大西洋、海を見ると心が昂揚する。

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私は早生まれ、昭和35年2月生まれだから本当ならば、まだ還暦ではない。
しかし、同級生では還暦になった人もいる。
7月には廃校になった城西小学校の還暦同窓会だ。
還暦、干支が一巡し誕生した干支に帰る事。つまり干支の60周年だ。
そんな年度に、自分なりに残したいものがあった。
それは自分の足跡、轍(わだち)60歳になって振り返る事。自分史を書いてみた。
ほくえんの風↓
http://run2.ina-ka.com/ftp2/pdf/hokuen.pdf

成形の功徳 (せいけいのくどく)
森信三先生の『修身教授録』を読む読書会・勉強会がある。そんなときに、その言葉を知った。
何事も形に残して、その行いは効力を生むという意味だと思う。
立派なものでなくていい、自分が読んで納得すれば。
面倒くさい。そんなことやって何になるダイヤ~。自分は今までそうだった。
自分は自分、他の誰でもない。自分は自分、それは自分勝ってと言う意味ではなく、自分を大切に生きて行くこと。

村上春樹の言葉ではないが、走っていると
「僕は僕であって、僕ではない」
そんな感じに思えることがある。
自分の身体は借り物で、自分の魂が、その借り物の身体をお借りして生きている。ような。

還暦、干支の60周年。
因みに30周年を半還暦・120周年を大還暦という。
120歳、大還暦まで生きて、また自分史を書いてみたいものだ。
                                                  byしんしん

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今日からできる、誰でもできる!

「60歳を人生のピークにもっていく法」

10年前買った本を書棚から出して読み直した(そろそろその年だから)

その前に「芸人学生」という本を読み、そのまんま東に興味を持ち、この本も買ってみたと記憶する。

彼は大人の社交場渋谷のメイクラに行った事から人生が変わっていった。

そのクラブで働いていたその女性が未成年だったということで、任意で事情聴取に同行した。協力したことから。騒ぎは大きくなった。

その後、事務所で話し合いが行われ「自主謹慎」という形でテレビから姿を消した。

その謹慎しているときに学びなおす生活をして大学に入学、その思いを書いたのが「芸人学生」

また、その頃は国が地方に合併を進めていたときだった。自分の故郷の事を考え、宮崎県知事を目指しているときに書いた本
それが「60歳を人生のピークにもっていく法」だと思う。

素晴らしいことが書いてある。

僕が実行してる「小さいことだけど大切にしてること」
①目覚ましの五分前に起きるようにする
②寝る前に一日の反省をし毎日を更新する
③遅刻をしない
④電車では席を譲る
⑤脱いだ靴はそろえる
⑥服はたたむ、洗濯は自分でする
等々

なかでも、すごいナ~っと思った一文がある。
p38の最後から三行目
本文から抜粋する
ほとんど破城している公的年金。この不安感が高齢者予備軍の方たちに翳りをおとしているのだろうか。僕は社会人の責務として、今の高齢者の方たちを支えるために年金を納めているけれども、僕が受給者の年齢になってもきっと受け取ることはないだろうと思う。

素晴らしい。
そのまんま東
だだのお笑い芸人ではない。
10年前、わたしも読んで、いろいろなことを感じたのだろう。
自分も走り続けている。
学ぶことは萩田さんの勉強会に参加している。

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2017年2月
「カエルの楽園」を読んでブログを書いた。
百田尚樹「カエルの楽園」を読んだ。

今回、私の尊敬する人のブログで今を生きる人は読んだ方が良いのでは?
との感想が書いてあったので早々アマゾンで注文して読んでみた。

百田尚樹さんと石平さんの対談形式の本だ。
石平さんとは
日本の評論家。主に日中問題・中国問題を評論している。中華人民共和国四川省成都市出身。2007年に日本国籍を取得(日本名は石 平〈せき へい〉だが、石平だと日本では苗字だけだと思われることもあり、Twitterでは差別化を兼ねて冗談半分で太郎を付けて使っているが、そのために本名が石平太郎であると間違える人が居ると言う)。2008年4月より拓殖大学客員教授。
ウィキペディアから

大変、怖い恐ろしい背筋が寒くなるような内容だった。
石平さんは1989年に天安門事件を経験した人。
私も若き頃、テレビでその映像は見て記憶している。

古来、中国には杞憂という考え方がある。
心配する必要のないことをあれこれ心配すること。取り越し苦労。杞人の憂え。
中国古代の杞の人が天が崩れ落ちてきはしないかと心配したという、「列子」天瑞の故事から、杞憂という。
今回読んだ「カエルの楽園」が地獄と化す日、これも杞憂で終わればいいと思う。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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