―カラ元気、男の介護体験記 八ッ塚実―
を読んだ。
どうしてこの本に辿りついたかは、萩田氏が進めてくれた本
詠み書きマラソン
のP31「八ツ塚先生より教えれてる」があったからだ。
休み済み 何やらむなし この晩夏
家内より薦められて、八ッ塚先生の著書を読ませてもらった。そして感想を書いて便りをだしたのがきっかけである。ここ二年間で先生より戴いた年賀状の文章に只々感動して「さわやかな思い」にしたったものだ。まだ八ツ塚先生にお目にかかったことはないが、すっかり先生の『意見』『考え方』に共鳴した。現場での教育についてこれほど「強烈に」鋭く描かれているのも数少ないと思う。
実はこの八月、二度目の「八ツ塚先生」と出会ったことになる。一つは八月の初めに全くの偶然、深夜放送(NHK午前四時心の時代)で先生の話を伺った。眠りそうな時間帯にもかかわらず、『現代の教育課題』について語られているのをウトウトしながら聞き及んだ。「いじめ問題」「登校拒否」「笑いについて」「教室の顔」「共感教育」その他「人間教育」について話されていた。
原文まま
そこで
「一生一度の学び」を紹介していた。
中学校の教員生活30年、母親が脳梗塞で倒れ、夫婦で相談し夫である自分が母親の介護に専念する話である。
現役の頃、荒れていた生徒と心から接し天職として行っていた仕事だった。
教員生活最後、体育館での挨拶で「人間、生涯に一度くらいは、自分の一番やりたいことを、やめなくてはならないこともある」静かに話したという。
―老いを支えるのは女だけか―
やがて必ず年老いる私たちは、今の生き方こそが自分の老いた日々をかたち作っているのだと言う自覚をもたなくてはならない。
●これからの男はどう生きるべきか
●夫婦とは、夫婦の協力とは
●家族の在り方、「家族えらびの功罪」について
●教育・子育てに欠いてはならないものとは
●「老い」とは、ほんとうの福祉社会とは
排除の思想を底流に持つ社会は、必ず老人を切り捨てる。充実した施設が、老人の捨て場所になっては、めざす福祉国家が泣く。
原文まま
こんなこと書いている私も、実は母親を施設に委ねている。
詠み書きマラソンの著者、玉井さんが書いてあるとおり先生の介護体験記を読むと何だか自分が小さく、惨めになってくる。
最後に
八ツ塚実先生
こんなブログが見つかりました。
良き先生が増えることを祈っています。
私の走り書き人生
まえがき
人間にとって「思い出せない一日はなかったに等しい空白の一日」であると言われる。考えてみれば、「その空白」に近い毎日の積み重ねが人生ともいえる。
原文まま
先日の勉強会、萩田氏に「読んでみなさい」と手渡された一冊。
詠み書きマラソン(玉井宰氏著)
波乱万丈の人生のなか仕事やマラソンで、様々な出来事、様々な人に出会った事でのご縁を、歌に託して書いている本、自身の心にしみわたった一冊だった。
最後に
『長生きではなく、中味の濃さに人生の意義がある』
『人の心は言葉と態度と行動によって測定できる』
平成九年七月十二日(土)
原文まま
著者は山一證券に勤めていた人である、1997年(平成9年)11月2日その証券会社は経営破綻で廃業した。
この本を書き終えてからの失業したことになる。
さいごの最後に、
この事件を後の評論家がどのように扱うかは、別にしても一万人近い者が職を失ったことは事実である。筆者自身、11月23日が「勤労感謝の日」であったことを全く失念していた。皮肉なことに実質的な失業者になったのである。今だまだ再就職の意欲も目途も立っていない。この間多くの方々より『励まし』の声援、便りを戴き感激している。この場を借りて厚くお礼申し上げるとともに、ご心配かけ、お気遣いしてもらい、身にあまる光栄である。
この小雑誌でも、ところどころに書いたように『明るく』『前向きに』そして『悔いのない』歩にしていきたい。ピンチこそチャンスであることを信じて飛躍につなげていきたい。
最後に皆様方のご健康とが繁栄を祈念します。
原文まま
読み書きソロバン
基本的な教育内容、日本では幕末から明治にかけ,計算は主としてそろばんで行ったので,これを〈読み書きそろばん〉といってきた。
詠み書きマラソン
基本的な教育内容に走ることを重ねた言葉。
読むことも書くことも未熟な私、走る方は何とか月の目標である300㎞を今月は今朝達成できた。
わたしも著者があとがきに書いてある
『明るく』『前向きに』そして『悔いのない』歩にしていきたいと思っている。
たつやま凸凹(春)
色んなことがあったマラニックだったけど、ピンチこそチャンスであることを信じて多くの人に北遠の現状を伝えて北遠の飛躍につなげていけるようにしたい(^O^)/
人間学を学ぶ月刊誌「到知」3月号、P126~
日本史は他人の物語ではない
中村学園大学教授 占部賢志氏
を読んで、最後に紹介された本が、この
日本史に学ぶ軍縮
鉄砲をすてた日本人
だった。
時には外からの目で日本史を見よう
占部 それからもう一つ、私が推奨したいのは時には外からの目で日本史を見ようということです。
教師A 外からの目?
占部 よく「灯台下暗し」というでしょ。それと同じで、日本史の美点についても意外と自分たちでは気づかないものなんですよ。そこで外国人が日本史をどう見ているかを参考にするということです。ここではノエル・ぺリンの『鉄砲を捨てた日本人』紹介しておきましょう・・・・・・・・・。
人類の出現以来、武器の発展は止まることを知りませんね。石器に始まって槍や刀剣、弓などが創られ、火薬が発明されると、鉄砲という飛び道具が全盛期を迎える。
二十世紀になると、原水爆が開発され今日に至っています。常に右肩上がりでしょう。
教師C そうですね。
占部 ところが、こうした見方が適用しない事例がただ一つある。それが我が国なんです。
到知から抜粋
そんな国、日本の歴史に興味を持った。
ぺリン
江戸時代になり鉄砲を捨てた、武器と言えば腰に差した刀。
刀は武士の命。
軍縮問題に関心を持ったぺリンが書き上げた、本。
鉄砲を捨てた日本人
それを、なんと今の静岡県知事「川勝平太氏」が日本に翻訳した。
平和はみんなの願い。
討幕を恐れて下剋上を恐れて、鉄砲をすてた。
結果的には長い戦争のない江戸時代があった。
現在、日本が戦争に負け、敗戦から立ち上がり戦争のない平成の時代が続いている。
これからの日本、どの様になっていくのか?
世界の識者が日本のこれからに関心を持っている。
山草人さんの
スローな気分で 生きてみたら
を読んだ。
萩田さんと出会い。萩田さんのマラニックに参加する様になり。多くの人に出会った。
景気の良い時代が終わり、平成の合併があり、中山間地の町からは人が出ていくようになった。
萩田さんのマラニックでは走り終わってから希望者で懇親会がある。
そんな時、出会った人に山草人さんが居た。
萩田さんの話では
「自費出版した人、自分で本を書いた人」
そんな感じで紹介してもらた。
本を読む習慣がなかった自分は
「ふ~ん」
と、だけしか感じなかった。
凄い人だとは思ったが、自分とはかけはなれた人だとだけ感じていた。
そんな10年前の思い出。
それが最近、本を読みだし、佐久間図書館にも行くようになり、10年前に聴いた「スローな気分で生きてみたら」という本を検索してもらったら、有った。
早々予約して取り寄せてもらって、読んでみた。
「スローな気分で生きてみたら」
団塊の世代の山草人さんはガツガツせかせかとひたすら走ってきた。それが、その時代のキーワード「スローライフ」に焦点を当て書き始めている。
①スローライフ
②時代の歩みを見つめる
③お茶の世界を垣間見る
④ビジネス農業への道
スローライフ、ゆったりとした暮らしを提案するもの。
山草人さんたちの世代、団塊の世代は、一クラス40人、ひしめき合って競争し合って切磋琢磨して生きてきた世代。
ゆったりとした暮らしを望んではいるが、性分が今までの生き方が、なかなかそうはしてくれ無いようだ。
山草人さん、次なる目標は砂漠を走る。
山草人のモノローグ
1960年生まれの私たちは、そんな先輩御ランナーの背中を追いかけていく。
いま、生きる意味を問うすべての人に捧げる。
五木寛之 小説家・随筆家 稲盛和夫 京セラ・第二電電(現KDDI)創立者、
二人の対談をまとめた本
何のために生きるのか。
を、読んだ。
五木寛之の本は、昔「人生の目的」というのを読んだことがある。
まだ30歳代、若輩だったころだ。
それが、40歳代のときに病魔に襲われ退院して何もすることが無くなった時、もう一度本棚から引き出して読み返した。
小瓶に植えたライ麦の話、狭い瓶のなかイッパイに根が張り巡らせられていた、限られた環境の中で精いっぱい生きる。
『人生に決められた目的はない、と私は思う。しかし、目的のない人生はさびしい。さびしいだけではなく、むなしい。むなしい人生は、なにか大きな困難にぶつかったときに、つづかない。人生の目的は「自分の人生の目的」をさがすことである。自分ひとりの目的、世界中の誰ともちがう自分だけの「生きる意味」を見出すことである。へんな言い方だが、「自分の人生の目的を見つけるのが、人生の目的である」と言ってもいい。私はそう思う。そのためには、生きつづけていてこそ・・・』
五木寛之 1932年(昭和7年)産まれ。
戦後、軌跡の復興で日本は世界の有数の新興国になった。欲福の国になった。
しかし、その陰で、この国は毎年3万人余りの人が自殺する国になった。
この本では
心が乾いていった日本人
としている。
稲盛和夫 1932年(昭和7年)産まれ。
1984年には私財を投じ稲盛財団を設立し、理事長に就任。同時に国際賞「京都賞」を創設し、毎年11月に人類社会の進歩発展に功績のあった方々を顕彰している。他にもボランティアで、全96塾(国内56塾、海外40塾)、12,084人の若い経営者が集まる経営塾「盛和塾」の塾長として、経営者の育成に心血を注いでいる。
このままでは日本はダメになってしまう。
ウソ
「人生、報われる生き方」渡部昇一
を、読んでいる途中。
幸田露伴とは
1867年~1947年 慶応3年~昭和22年に生きた人、 小説家・随筆家・考証家。江戸下谷 生まれ。本名,幸田成行
そんな昔の人が書いた小説を自分には読めない。と思っているときに出会った本
「人生、報われる生き方」渡部昇一
この本は、そんな幸田露伴の「努力論」を読んで渡辺昇一さんが書いた本だ。
自分でも何とか言わんとすることがわかる。
惜福・分福・植福
惜福、惜しむ福と書いて惜福(せきふく)
昔、自分が働き始めたとき、給料が少ないと嘆いていると、ある人が
「20万貰っても20万使えば残りは0円。10万貰って8万使えば残りは2万」
「この生活を10年続ければ後者には20万の貯金が残る。前者には貯金は無い」
そんなことを言って諭してくれた先輩がいた。
今思えば、こんなことが惜福かな。
惜福とは「ケチ」とは違う、自分の使うお金を全て使い果たさずに、一部別に置いとくということ。
分福(ぶんぶく)
文字通り、自分の福を分け与えること。
惜福で残した物を他者に分け与えて二重の幸せを得る、そんな考え。
福を、お金を独り占めする、そんな生き方は良くないと言っている。
のだ。
植福(しょくふく)
自分の持つ力や情、知恵を使って世の中に幸福をもたらす、こと。
福を植える、こと。
植えることによって、その木はやがて実が付き大きな収穫がある。そんなこと。
100歳を超え現役の医師として働いた聖路加国際病院名誉院長日野原氏は、少子化で今の時代は小児科は儲からないと知りながら増設した、そんな生き方が植福なのではないかと思う。
保守派の論客で英語学者の上智大名誉教授、渡部昇一さん
2017年(平成29年)4月17日ご逝去された。
歯に衣着せぬ発言の人だった。
そんな先生の本
人生、報われる生き方
自分の、これからの生き方を考えながら読み進めていこうと思う。
しんしん
こみ上げる噴怒の孤独
「長生きするのて、たいへんなのね・・・・・」
私の娘はこの頃、しみじみ、つくづくという感じでいう。私の日々のありよう、次々に起る故障を見ていうのである。
娘は昭和35年の三月生まれだが、今年何歳になるのか、五十歳を幾つか越えていることぐらいはわかっているが正確な年齢はわからない。数えるのも面倒だ。自分の年でさえ九十一なのか二なのかわからないのだから、人の年なんてわかりっこない。年なんてもはやたいした問題ではない、とおもうようになってきている。
原文まま
「90歳。何がめでたい」を読んだ。
著者は佐藤愛子さん、大正12年11月3日生まれ
御年93歳。
私の母親は大正15年生まれの91歳。
母親から自分に問われているような感じで読んだ。
そんな時、よっぴーさんから着信
「なんだっけかや~、今図書館に来てるが、90歳?」
自分
「佐藤愛子 90歳。何がめでたいダニ~」
この本は図書館でチョウ人気で100人待ちだそうだ。
水曜日の夕方、アマゾンで注文して、木曜日の夕方には佐久間の自宅に送られてきた。この本。
土曜日の朝には読み終わって、こうしてブログを書いている。
読み終わって、裏表紙に
共感の手紙、ハガキはなんと一万通超!
なぜこんなに売れてるか?ってーーー
買った人に訊いてくださいよ!
と、書いてある。
その横に佐藤愛子さんの笑顔の写真が載っている。
佐藤愛子さんが
「買って読んでくださいョ~」
と笑っていっているような気がした( ゚Д゚)
byしんしん
台風22号接近により外は雨模様。
図書館で借りてきた「ルーズヴェルト・ゲーム」池井戸潤著書を読むことにした。
ルーズヴェルト・ゲームとは?
「点を取られたら取り返し、8対7で決着する試合」を意味し、野球を愛した第32代アメリカ合衆国大統領のフランクリン・ルーズベルトが1937年1月に、ニューヨーク・タイムズの記者に宛てた野球記者協会から招待されたディナーを欠席することを詫びた手紙の末尾に記された「一番おもしろいゲームスコアは、8対7だ」という言葉に由来する。
ウィペディアから。
2014年TBSテレビ日曜劇場で放送され、あまりにも有名らしいが自分はテレビは観ていなかった。
青島製作所の社会人野球部の話と、その製作所のライバル会社からの吸収合併の話から始まる。
会社経営も野球の試合も、波乱万象の方が面白いのか?
また、人生も。
ルーズベルト・ゲームをネットで検索すると。
TBSテレビで放送された話が載っていた。
豊橋でロケをやり、市民もエキストラ募集で参加していたみたいだ。
野球場は豊橋の豊橋市民球場をつかっていたみたいだ。
丁度、今晩のTBSテレビ「東芝日曜劇場」
陸王
これも豊橋でロケをしたときく、知り合いもエキストラで参加した人がいる。
先週観なかったので、今日から観ようと思う。
陸王
も、池井戸潤の書いた小説だ。
楽しみだ。
ミリオンセラー「知的生活の方法」から40年
86歳にして到達した「人生の幸福」にとっての大切なこと
知的で幸福な生活へのレポート
渡辺昇一先生の本
実践「快老生活」を読んだ。
渡辺昇一
英語学者、保守派の評論家
上智大学名誉教授。専攻は英語文法史。学位は ミュンスター大学博士。
山形県鶴岡市出身。
1930年(昭和5年)10月15日 - 2017年(平成29年)4月 17日午後1時55分
心不全のため東京都杉並区の自宅で死去した。86歳だった。
渡辺昇一先生は人間学を学ぶ月刊誌「致知」を定期購買していた時に
その先生が連載していた『歴史の教訓』を読むようになって知っていた人だ、
また、『ビートたけしのTVタックル』でたまに出演して歯に衣着せない的を得た言葉で日本の将来の話をする先生に共感を受けたのだった。
先生の持論は、原子力発電は続けなけばいけない、今はまだ自然エネルギーだけでは大都会を抱える日本の電気の恩恵で生活している人々を維持することはできない。
国防軍を持て、日本が普通の国として、諸外国を相手に話を出来るようにしなければいけない。
など、過激な話が多い。
それは、致知の『歴史の教訓』では自分が調べた歴史の事実から、その事を教訓として書かれてあった。
そんな先生の本
実践・快老生活
知的で幸福な生活へのレポート
目次
第一章 「歳をとる」とはどういうことか
第二章 凡人にとって本当の幸福とは「家族」である
第三章 「お金」の賢い殖やし方、使い方
第四章 健康のために大切なこと
第五章 不滅の「修養」を身につけるために
第六章 次なる世界を覗くー宗教・オカルトについて
第七章 「幸せな日々」のためにやるべきこと
様々な賞、勲章の持ち主の先生が最終的にこの本で第七章の最後の伝えたいこと。
「人生の本当の幸せは平凡なところに宿る」P248
第一章の最後に、私はもう一度若くなりたいとは思わない、と書いた。そしてその理由は・・・・・・。
そして最後に
やはり人生の本当の幸せは、ごく平凡なところに宿るのでななかろうか。これが私の最終結論である。
と、結んである。
平凡
若い時に結婚して子供が生まれ、壮年とよばれる年齢になり仕事に追われ、気が付いたら目の前に還暦という、今まで考えもしなかった二回目の成人式が待っていることに気が付いた。
映画「最高の人生の見つけ方」
でも、私に同じ感慨をもらった。
ほくえんの風ブログ
最高の人生・・・か~。
また、読書のことも触れていた。
好きな本を読み、頭に浮かんだ考えを書いていく生活は、これまでも変わるまい。とりわけ読書は、自分よりずっと偉い人たちの考え方に触れることであり、その人たちと対話することでもあるから、ずっと続けて行きたいと思っている。
原文まま
この本を読んで、森信三先生の本「修身教授録」第10講 尚友(しょうゆう)の意味が少し分るような気がした。
ショウユウことか~。
おあとがよろしいようで(≧▽≦)
「いのちの器」日野原重明
を読んだ。
日野原重明
山口県出身の医師、1911年(明治44)10月4日に生まれ2017年(平成29)7月18日午前6時33分呼吸不全で死去。105歳だった。
いのちの器《新装版》
医と老いと死をめぐって
人間の身体は、病み、老い、やがては土に帰っていく「土の器」。
しかしその器に健やかな心を盛ることができるなら、それは朽ちることのない「宝」となるー医師と患者が、共に人間としての誇りを持って心を通わせあう医療を提唱・実践してきた著者、長年にわたる患者との対話、人間の生と死をみつめてきた時間を通しての深い思索を、わかりやすい言葉でやさしく語りかけた珠玉の随想集。
十数年前、私が大病をしてから退院した時に出会った本「生きかた上手」
日野原先生の生き方に触れ、病気を苦に悩んでいた時の私を導いてくれた大切な本だった。
今回、先生の死を知り、本屋でこの本が目に留まり買って見て読んでみた。
プロローグ-まえがきにかえて-
では、自分の重明という名前の由来から書いてある。
明は明治生まれの明、重は父親が二度目の留学を重ねたとして、日野原さんの重明の言う名前になったのだという。
目次は
いのちの四季
正月はよい習慣を身につける絶好の機会と、年の初めから新春から春になり夏が来て秋、冬と、その季節ごとの医師としての教訓、思いが書かれていた。
医と老いをめぐって
では、医師と病人との先生が肌で触れあった信頼関係などの話。
医は語り合いの中で癒される。
病人を孤独にさせてはいけない。
自分の物でない痛みや不安を汲み取る感性。
死んでいった友の遺した言葉の重さ。
生と死の狭間で精いっぱい生きる。
謎々。
先生の感性に触れる一冊だった。
エピローグ-あとがきにかえて-
のなかで、私たちの身体は、ステンレスでもプラスチックでもなく、朽ちる土の器である。その中に何を盛るかが、私たちの一生の課題である。
と書かれている。
いくら世の中が変わろうとも、化学が発達し医療が高度化しようとも、人は年をとり、やがて老いて死を迎える。
今生きている自分は何をしどう生きていけばいいのか、目標は定まっている。
そのためには何をどうすればいいのか。
良いご縁を大切にして夢の街道を実現することだ。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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