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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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ラン友の悦ちゃんのオススメの本、村上春樹『走ることについて語るとき僕の語ること』を読んだ。
村上春樹とはどんな人物だろう?
ネットで調べてみた、以下ウィキペディアから
 小説家、文学翻訳家 1949年京都生まれ。
また、こんなことも書いてあった。
メデア・広報活動の所
・日本のテレビ、ラジオに出演したことはない。近年はインタビューの依頼があっても、一部の新聞・雑誌を除いて積極的には応じない。インタビュー嫌いの理由として、本人は、ジャズ喫茶経営時代に「毎晩客の相手で一生分の会話をした。今後は、本当に話したい人にしか話さないと誓った」からだと述べている。
そんなことが書いてあった
また、悦ちゃんがメールで書いてあったように、趣味はマラソン・トライアスロン、この本には毎年6月の最終日曜日に行われるサロマ湖100㌔ウルトラマラソンのことが書いてあった。
 
第6章
1996年6月23日
もう誰もテーブルを叩かず
誰もコップを投げなかった
サロマ湖100㌔ウルトラマラソン 初めての100㎞マラソンを走った時のゴールまじか
僕の無口な心臓は一定の速度で膨張と縮小を繰り返している。僕の肺は働きもものふいごのように律儀に、新しい酸素を体内に送り込んでいく。
僕は彼らの働く姿を目にし、・・・・・・・・・。
原文まま
自分も2011年の春、チャレンジ富士五湖ウルトラマラソン100㎞の部を走った時を思い返して読み進めた。
まさに、自分もそんな感じがして、そうだそうだと頁をめくった。


であって、そしてではない。
そう
そんな感じだった。

初めて読んだ村上春樹
走る仲間に出会い、走る仲間のメールから知った村上春樹
今も毎年一回はフルマラソンを走っているという村上春樹
自分も走り続けていてよかったと思った一冊だった。

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佐久間町に暮らし、休みには浜北に買い物に出る。
プレ葉ウォークでブラブラして本屋によった。
そこで出会た本「安倍総理と日本を変える」手に取ってパラパラとめくって少し目を通しハ~っとため息がでた。
次の総裁選挙、また安倍さんがなるのだな~。たぶん、日本変わるかな~。同じ人で。
ため息をがでて、その本を買わずに他の店をまわった。

昼ごはんを食べ、買い物を済まし、それでも・・・と思い、本屋に行って「安倍総理と日本を変える」を買った。
安倍総理の考えを本から学ぶこともいいのではないか。テレビ・新聞・その他の情報だけでなく。

次の世代のために安倍晋三
「日本の未来は明るい」私はそう確信している。
シリコンバレーでは挑戦し、失敗した経験がむしろ評価される風潮がある。日本は一度失敗すると「あいつはダメだ」とレッテルを貼られる雰囲気がある。
しかし、失敗したからこそ挫折したからこそと自分の二度目の総理就任の思いを書いてある。若い人にも決してあきらめずにチャレンジしてほしいと。
その他
地方から世界を目指す。
地方創生の大きな起爆剤
日本の決意
戦う政治化たれ
など私の心を刺激した。

日本のリーダーの夢を語った本「安倍総理と日本を変える」を読んだ。
一方、浜松市のリーダーは如何だろうか?
また、合併前の佐久間町のリーダーは如何だったのだろうか?
佐久間町のリーダーは私の記憶では
「佐久間町という田舎でも都会並みに暮らそう」
「山間都市を目指す!!」
そんな話を聴いた記憶がある。

「安倍総理と日本を変える」を読んだ。
総理・総理・総理・安倍そう~り~。
今、私の暮らしているところは、そんな夢を語ったリーダーが仕事が終わり東京へ行っちゃたんですョ。

しかし、嘆いていても何も変わらない。
幸せの四つの法則
「やってみよう!」
「ありがとう!」
「なんとかなる!」
「ありのままに!」
を胸に頑張っていこう。
そのように思っている(^◇^)

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TJARの覇者、望月将悟の本「山岳王」を読んでいる途中
今 P133「トレイルランナー思うこと」で本を閉じた。

TJARとは
トランスジャパンアルプスレース(Trans Japan Alps Race)
日本海の富山湾から太平洋の駿河湾まで、約415kmを人間の足だけで駆け抜けるレース

北アルプス・中央アルプス・南アルプスの峰々を縦断して走る、普通の人には想像さえも出来得ることができない距離・高低、
山を登り下りする累積の高低差は2万7000mにおよび、海抜0mから富士山に7回登ることに相当する。
制限時間は8日間、

そんなTJARを2010年、12年、14年、16年と4連覇、の望月将悟さん、5回目となる2018年は
山小屋や途中の平地にあるコンビニなどには頼らず、ゴールまでのすべての食料を自身で持つ“無補給”で進み完走を目指した。
http://number.bunshun.jp/articles/-/831611

「山岳王」は望月将悟さんの生い立ち、井川地区で育った環境、父正人へのあこがれ、井川地区から静岡市の工業高校に通ったこと、TJARで出会った仲間のこと、リオネルとの出逢い、リオネルとの日本アルプス縦断、などを綴っていた。

「山岳王」望月将悟、良い本に出合った。
静岡市の山間部、浜松市の山間部、どちらも同じ思いを持つ地域、切磋琢磨して地域を盛りあげていきたいものだ。

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105歳
どうしても遺しかった言葉
を読み。
10年前に買った日野原先生の本
(続)生きかた上手
を読み返している途中です。

最初のページに末期のがん患者の人からの、お手紙が紹介されていた。
71歳の患者さんは、末期の癌であることは知らされてはいるが「死に対する恐れとか不安はあまりない」と書いてある。
それは
日野原先生の「生きかた上手」の本を何十回となく読ませていただいたからだと書いてある。
「まず人間の不完全さを謙虚に自覚する」
「患者のあなたへ、自分の身は自分で守る」
「患者さんを苦しめてはならない」
「音楽には病む人の心とからだを癒す力があります」
等々の言葉から勇気をもらっている、と。
モルヒネで痛みをうまくコントロールしていただいており、音楽療法として日本の名曲、唱歌を聴き、朝夕には瀬戸内寂聴さんの般若心経と法話を聴いて涙したり大笑いをしたりと、とってもいい時を楽しませていただいています。
と書いてあり、それもこれも「日野原先生のご本のおかげ」と。

生きていることの意味は、その長さよりも深さです。
日本は世界でも長寿国と言われている。
この日本で、いまの時代に生きている。
アタリマエのことではなく、アリガタイことだと思って生きていくこと。

日野原先生の本
(続)生きかた上手
読み返していこう。そう思っている。
出逢い
それは良き人との出逢いであったり、良き本との出会いであったり。

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生きていくあなたへ

105歳 どうしても 
       遺しかった言葉。

※書斎ファイルから※
何かの目的を心に抱き
はじめて希望が生じる。
やりたいことがない者には希望はない。

 「夢のある者には希望がある」
 「希望のある者には目標がある」
 「目標のある者には計画がある」
 「計画のある者には行動がある」
 「行動のある者には実績がある」
 「実績のある者には反省がある」
 「反省のある者には進歩がある」
 「進歩のある者には夢がある」
夢をもたなければ夢はかなわない、故吉田貞雄さんの「夢」という詩

昨日は浦川で飲み会だった。
小さな希望を見つけた。

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先日の土曜日、浜北のプレ葉ウォークの本屋で知り合った本
心理カウンセラー
池谷直士著
こう考えれば、もう少しがんばれる。
そんな本を読んだ。
 

いろいろ不住な事はあるが、良い仲間と出逢い自分の人生を楽しく彩っている。

第4章
自分の「闇」が武器になる
本当は世の中には「かわいそうな人」はひとりもいない。
「かわいそう」というのは、自分の人生を自分の責任で生きようとしない人です。
何でもかんでも
「人が悪い!社会が悪い!政治が悪い!」
と、自分以外のもののせいにする生き方でしかできない人を「かわいそう」というのです。
原文まま

著者は多くの信頼される仲間と楽しい人生を生きている。
私も良き仲間がいる。

自分の「闇」が武器になる
せっかく過疎の地域に暮らしているのだから、それを武器にしなければ。
多くの人に12市町村が合併して出来た政令指定都市浜松市の山間部の現状を知ってもらい、応援してくれる人を増やす努力をしなければ。

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人間学を学ぶ月刊誌「到知」7月号P32「社会に花を咲かせるSHIEN学という科学のすすめ」舘岡康雄
そんな記事が気になった。
しえん【支援】
他人を支えたすけること。援助。後援。 「友人の事業を-する」 「 -の手をさしのべる」 〔類義の語に「応援」があるが、「応援」は人やチームを元気づけて精神的に助ける意を表す。それに対して「支援」は労力や金銭などの面で、その活動や事業を助ける意を表す〕
コトバンクから引用

12市町村が合併して浜松市の山間部は若い人が都市部に流れ過疎化が激しい。
「過疎の地方を支援する」
支援とは援助。後援。

SHIEN学は
「してもらったり、してあげたり」しながら、思わぬ解決策を立ち上げていく方法。
過疎の地方だけど、そんな所に暮らしている人ができる事。
自分ができる事。
 

SHIEN学は
人と人が互いに良さを引き出し合う
新しい考え方。


SHIENアカデミー本部
SHIENは優しいコミュニケーション

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八ッ塚実先生の本、四冊目を読んだ。
人間学
いま巷で言われている。

 

人間学でググってみた。
人間に関する学という意味では,自然科学的,歴史学的,社会学的な側面からなされる人間研究を包括するが,一般には人間の本性や,人間と世界との関係などを哲学的に研究する一分野。「哲学的人間学」ともいう。また日本でいわれる「人類学」
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説から引用

 


八ツ塚実
広島県福山市出身(1935年生)
30年間、公立中学校教諭(理科)
子どもの世界に人間学の必要性を痛感し
「人間科」授業の創造にとりくむ。
第30回読売教育賞受賞(1981年)
母の介護のため中途退職。


しょうゆう【尚友】
書物を読んで昔の賢人を友とすること。
コトバンクから

自分はココに生まれ、いまここで暮らしている。
それは偶然ではなく、それは必然
佐久間に生まれて佐久間で育って、都会に暮らし帰って来て親と暮らし今がある。
その必然が、当たり前のことが崩れていこうとしている。
国道152号線の瀬尻地区の道路のように(涙)

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ヤッチァン先生の本三冊目。
人生一度の学び
思春期という節目
と読み進め、今回この本を読んだ。
大人になるということ
思春期の難しさ
八ツ塚実著
アマゾンで中古で買った本だ。
その本を開いてみると、なんと。八ツ塚先生のサインがあった。

写真は飯田線で出会った人

八ツ塚先生が教員生活30年で出会った生徒を回想しての本だった。
P201に
人間教育の中の性教育が、ある。
修身教授録の中にも性教育の話が合った。
同じ教育者として生徒に向かっての性教育。
ヤッチァン先生は1961年~89年まで公立中学校で教師をやっていた。
1989年
佐久間町に帰ってきた年だ。

人間として生まれて、佐久間町で育って、地元に帰って来るということはアタリマエのことだ。
国を愛する。地域を愛する。家族を愛する。自分を愛する。
こと。

ヤッチャン先生の人間学
教室では習わないけど本から学ばさてせもらった。

 

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八ッ塚実著、を読んだ。
子どもの心は人間らしく豊かに育っているか。
子ども(人間)にとって大切な何かが見失われようとしてはいないか。
特に大切な思春期の節目。
さまざまな子どもとの出会いを通じて考える。
中学生の心、教育の原点
八ッ塚実
原文まま

1935年広島県福山市で生まれ、1961年から1989年まで広島県福山市公立中学校で教員を務めた人の本である。
詠み書きマラソンという本をある人に進められ。
その本から
一生一度の学び
という本に興味を持って、佐久間図書館に借りに行き読んで、著者の八ッ塚実氏の生き方に感動し、ネットで検索してアマゾンで見つけた。

「みくびるな」「かいかぶるな」
子どもたちに接するときの八ッ塚先生の考え方だ。
子どもたが、生きる力を獲得するのは、設備でも条件でもない。まわりの大人のもつ、人権感覚である。子どもだといって、みくびらず、かいかぶらない、たしかな接し方だ。

人権?
人権を説明する前に
権力
自分たちの暮らす社会には、様々な権力関係がある、警察と一般市民。会社の経営者と、被雇用者。学校の先生と生徒の間に力関係がある。
どのような社会においても、権力は生まれてくる。秩序をつくるために権力は必要だが、その権力を乱用することがある。
「権力は腐敗する。絶対的な権力は絶対に腐敗する。」という格言もあります。
何も策を講じなければ、弱い側は虐げられる一方になりかねません。そこで、権力関係の中でも人間の尊厳が守られるように、弱い側が「人権」という概念を生み出したのです。
人権
人間が人間らしく生きるために必要な権利
 
文中で私は何度も、人間関係の大切さにふれた。このことは、ほかならぬ、「人権を尊重し合う人間関係」ということだ。
校内暴力から端を発して、家庭内暴力、いじめ、校則、体罰と、応対にいとまがないほどのキャンペーンの連続だ。しかし、どれ一つとっても、真の解決は、大人社会の人権意識にかかっているのだ。この中のどれに、小手先の方法で解決可能なことがあるだろう。すべて、私たち大人が、人権無視社会を作っているツケが、子どもの世界に影を落としていることばかりなのだ。
原文まま

八ッ塚先生の書いた本は、
人生一度の学び
と、今回の
思春期という節目
を読んだ。
今回、アマゾンでこの本を入れて三冊注文した。
じっくり読んでいきたい。

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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