この本は、本を読んでくれた人に最後、訪ねている。
君たちは、どう生きるのか。
と。
そして自分は、どう生きるのかと考えた。
その前に、自分はどう生きたのかと振り返ったのが「ほくえんの風」なのだ。
『君たちはどう生きるか』吉野源三郎の小説。
この本は軍国主義による閉塞感が高まる1930年代の日本において書かれた本である。
1930年(昭和5年)
この本は昭和恐慌のときに書かれた本だ。
好景気から急速に不景気になってきたとき、この本は書かれた。
1930年代には昭和恐慌、不景気、「 モノが売れなくなる 」 ことで、失業者が増えた、 倒産する企業も多くなる。
その不景気の中で、日本国内では軍部がさかんに 『 大陸進出( 侵略 )を行えば、不景気から脱出できる 』 と説い た。
それは
・大陸進出には軍事力が必要になるので、軍事産業が活発になり、失業者を救うことになる。
・大陸進出によって植民地を獲得できる。
・植民地で日本で売れないものを売りつける( = 新たな市場となる )ことができたり、植民地から 原料や食料を安く手に入れることができたり、植民地の人々を安い賃金で働かせたり ―― などメリットは大きい。 と。
そんな時代を経て、1941年(昭和16年)12月8日、日本はハワイの真珠湾を攻撃して太平洋戦争が始まった。
そして、1945年(昭和20年)8月15日 日本国民へ玉音放送(終戦の詔)が流れ戦争は終わった。
終戦後、日本人は日本を復興させた。
君たちは、どう生きるか。
そんな本が出てから、日本はどうなったのか、歴史は物語っている。
今こそ、コペル君が書いたノートを思い出す時だ。
僕は、すべての人がおたがいによい友だちであるような、そういう世の中が来なけらばいけないと思います。人類は今まで進歩してきたのですから、きっと今にそういう世の中に行きつくだろうと思います。
そして僕は、それに役立つような人間になりたいと思います。
原文まま
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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