沢木耕太郎の本は「深夜特急」から好きになり読んだ。今回、この本は森町三倉での勉強会のときに知り合いから頂いた。
ベトナムの一人旅、ホーチミンからハノイまでを国道一号線をバスで旅する物語、だ。
ベトナムといえばベトナム戦争があった、アメリカ軍がベトナム軍が潜む森林に『枯葉剤』をまいた話が昔あったと記憶する。
ベトナムは、もともとはフランスの植民地だった、それが第二次世界大戦がはじまり、戦争の時代のとき日本軍も進駐した、
1945年(昭和20年)に第二次世界大戦は終結し、日本は敗戦を迎え、日本軍が去った。ベトナムではホー・チ・ミンが独立宣言をおこない、「ベトナム民主共和国」が誕生、しかし、ベトナムはフランスの介入で争い事が収まりませんでした。そして1954年(昭和29年)北緯17度線を停戦ラインとしてベトナムを南北に分かれたそうです。
様々な争い、ベトナムにアメリカが介入、ベトナム戦争は壮絶さを増していった。
アメリカ軍が『枯葉剤』をまき、ベトナムではその後奇形の子供が生まれるようになる。
その戦争は、表面的には「北ベトナム」対「南ベトナム・アメリカ軍」の戦いでしたが、本質的には「共産主義」対「資本主義」の戦争だった。
5分でわかるベトナム戦争
https://honcierge.jp/articles/shelf_story/4522
参照
本では、旅の途中、日本人の墓と出会う。
昔読んだ本、櫻井よしこ「何があっても大丈夫」そこに、櫻井さんがベトナムで暮したことが書いてあった。
戦争で『枯葉剤』をまいた事実、その影響で、下半身がつながった結合双生児として生まれた「ベトちゃん・ドクちゃん」そんな報道の記憶がある。
今、武漢にある研究所から新型コロナウイルスが外部に漏れたのではないかと、トランプ大統領が中国を批判している。
いい加減、愚かな戦いは辞めてほしい。。。
この本は、森町三倉での「勉強会」で、ある知り合いから頂いた。
森信三先生の言葉に
『人間は一生のうちに逢うべき人には必ず逢える。しかも、一瞬早すぎず、一瞬遅すぎない時に。』
と、ある。
本との出会い、人との出会い。
天からの声が聞こえる。
「125号線を北上せヨ」
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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