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平成の合併が過ぎ、今私はここで暮らしている。 ほくえんの風を 身体中に感じながら。
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昨日、荘川桜を初会する電源開発株式会社のホームページを見た。

私が住んでいる地域には佐久間ダム・水窪ダムがある。
このダムを作るためにも、沢山の村人たちが先祖代々の土地に住めなくなり、悲しい別れが何年か前にあった事だろう。
「お前の家もダムのために水没するのか」「かわいそうに」「おらの家は、水没せずに済んだ」・・・とか。

ところが、今 時代は、不便な中山間地に住んでいるより、便利な町へと人は流れていく。

幾年か前に、悲しく別れた人たちはこの時代になって、ダムのために移転にならなかった人の方が可哀そうってなったような気がする。

ところが、荘川村の人は、荘川桜の咲くころに水没した村の人たちや今住んでいる人たちが集まり酒を飲みかわすそうだ。

私が住んでいる地域の人も、昔住んでいた人も、一緒になって何か荘川桜に代わる何か・・・・・・・・・・・・・・・・・を元に集まれるような地域になってほしいと思う。

荘川桜に変わる何か (; -_-)


 

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喉がイガイガする・・・・風邪・・かな?

今日は、これまで。

早く寝ます。

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今日の佐久間は、午後から冷たい雨が降り出しました。

その雨が、夕方には雪に変わり、私 仕事の帰りは雪の中。

家に帰って、日本酒(まる)を熱燗にして三合・・・・女房と二人 チビチビと飲み。

酔ってコタツでウトウト・・・・・。

外を見たら、その雪も止んでいた。

ブルブル・・・・。

寒い。


 

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今日は、遠山郷に行って、観光協会(アンバマイカ)の前の駐車場に来るかを止め、走りに出かけた。

2時間ぐらい走り、かぐらの湯でゆっくりお湯につかり、「味・ゆ~楽」でお食事。

水窪に行き、「秋葉海道 キャラバン隊」の
●映画「秋葉海道ルーツの旅」
●「アンバマイカ バンド」
● 交流会
      を見に行った。

どんなことを、やるのだろ~。

映画は、遠山の知っている人が たどたどしいセリフで、出演していた。

この映画でも、行っているように、遠山郷の人たちは優しい人が多い、私も遠山郷の優しさに感動し、遠山によく遊びに行くようになった。

毎年行われる「チャレンジマラニックin遠山郷」で、下栗に登っていく途中、熊谷さん家での接待を受け感動している。

「アンバマイカバンド」には驚いた、一番前に座っていたから、突然の踊りにはビックしてよく見れなかった。
動画を撮ったので、いま一度ユックリ見て見たいと思っている。


 

  1.  

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その老人との出会いは、5年前の春。私が班長で区費や班費を年度初めに集めに回った時から始まった。

私の班 10班は25件あり、仕事から帰ってから班の家を一軒一軒回り集めに回った。

ところが、その老人のところだけ、なかなか区費・班費をくれなかった。

「今はない!」「次の日の来い!!」などなど。

もう、その時は、その老人 脚が弱くなっていて。特別養護老人ホーム(さくまの里)のデイサービスを利用していた。

そんな老人だが、頭はしっかりしていた。

「次の日の、5時に来い!!」っというので、次の日その時間に行ったら、よ~やく 班費・区費をくれたのだった。

その年 私 は 班長ということで、近くに一人老人が居るのが心配で その老人のところを何回か尋ねて行った。

そして色々なことを話すようになった、生年月日が大正2年2月20日だということも知った。
私は昭和35年2月20日生まれ。

次の年 平成19年2月20日の夕暮れ、缶ビールを持って、その老人の家を尋ねた。
そして、老人94才 しんしん47才の誕生日を祝ったのだった。

その時「94才まで生きたんだから、次は100才まで頑張れ!!」っと言ったのだが・・・。
 

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近所に住んでいる、一人住まいのオバサン(70才くらい)の女の人が、「もう私は登らないから」っと私に山用のリックを貰ってくれないかと言ってきた。

70才 まだま若い健康に気を付けながら登ればいいのではないかと言ったのだが、子供に「もう山には登るな!!」と言われているそうだ。

そのリックは、「いらないなら捨てる」と言っていた。

捨てるくらいなら・・・・っと今日 そのリックを頂きに行った。

ありがたいことです。
ZERO-POINTの本格的なリックです。
 

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私の住む家の近所に、一人住まいの老人がいた。

縁あって、話すようになり、大正2年2月20日生まれだと知った。

私は、昭和35年2月20日生まれ。

その老人は3年前だったか、住んでいる家で小火をだし、地域の民生委員たちが特別養護老人ホーム(佐久間の里)の入所を進めた。

長年住んでいる家を離れるのは嫌で断り続けたが、観念し佐久間の里に入所した。

その老人は、今年亡くなった。

今日、その老人の49日の法要があると知り、お寺に行った。

生前 老人は天涯孤独と言っていたのだが、今日行ったお寺にも 民生委員の人と私二人だった。

その老人は、佐久間の里に住所するときに、永代供養と言って、お寺にお金を収めていたそうだ。

その老人は98歳、いろいろあったけど大往生だと思う。

 

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雪の中、歩いて出勤。
まずは雪かき、その後エンカリをまいて、エッサ ホイサ・・・・忙しく一日が始まった。

DSC_0159.jpg
寒かったが、充実した一日だった・・・かな。

その寒さからか、少し鼻の調子が悪い。
ブログも今日はこの辺で終わり寝ることにするかZZZzzz。
 

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朝起きたら、な・なななんとあたりいちめん銀世界。

本当なら、雪の中をダ・ダ・ダっと走っていくのだけど、今の私はこたつの中で一日をを過ごしてしまった。

ま~こんな日もいいか。

 

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お正月、横吹(よこぶき)に住んでいるときは、家の玄関に”おとこぎ”を立てた。

峰トンネルを抜け、ここ佐久間町半場に越してそんな風景は見かけなくなった。

家の前には、門松を飾るのが普通のような地域だった。

そんな佐久間に、一軒だけ”おとこぎ”を立てている家がある。

今日の半場の新年会で、その”おとこぎ”を立てている家の主人にお会いした。

「昔はそんな家が多かったが、今は我が家だけだ。ワシも歳だで”おとこぎ”を立てるのも今年かぎりかな~」

新年会が終わり、”おとこぎ”の立っている家を見に行った。

佐久間の残したい風景
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おとこぎのある、正月の風景”
 

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プロフィール
HN:
しんしん
年齢:
64
性別:
男性
誕生日:
1960/02/20
趣味:
走ること・空手・詩吟
自己紹介:
12市町村が合併して出来た新浜松市
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。

合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。


袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns

”しんしん”55歳  
2015/11/25現在。。。
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