パソコンは、ワープロソフトで回覧板のチラシを作ったり、表計算ソフトで同窓会の住所力を作ったり、はがき作成ソフトで年賀状を作ったり、HTMLの命令語を覚えてホームページを作ったりしている。
ところが、どれも中途半端でまだまだ分からないところがたくさんある。
そんな時ことを思っているとき、回覧板に「ほくえんパソコンクラブ」のチラシが入っていたのが目についた。
申し込みをして、会場である城西の公民館に行くと、ワードで作った文章を皆に配り、その文章を一人ひとり、持ってきたパソコンで作成していた。
老若男女が集まり。分からないところは、聞き合い。和気藹々とやっていた。
先月のある日、先生である○田さんから電話が来て「城西に来るには遠すぎるから、人数が集まれば佐久間に行くョ!」と言われ、佐久間の就業改善センターで行うようになり、そこで集まった私の地区(半場)の人たちで、半場の区民センターでもやろうという話が出た。
半場の区民センターで「パソコンクラブ」をやるようになり3回目。
集まってくる人は今のところ4人、私の親父くらいの年の人と一緒にパソコン相手に悪戦苦闘している。
「ほくえんパソコンクラブ半場分校」は今、スタートしたばかりだ。
NPOがんばらまいか佐久間でも何か浜松市制100周年記念事業をやってくれないか、一事業上限100万円の補助金が出るから。
そんな話から始まった「そばの百花(ひゃっか)と浦川歌舞伎を観るかい!」月に一回の検討委員会を行い、この事業も今月の末と迫ってきた。
ここまで来るには、ソバ畑の草取り、会場の設営、カカシを100体作るための各小学校や中学校にたのみに行ったり忙しい毎日だった。
私は、佐久間町の元気のいい高齢者夫婦の写真を写して会場に展示する係をやることになった。
先月には、委員長たちがソバ畑に、赤ソバで100と言う字を書いたそうだ。
このイベントの時には、白いソバ畑の真ん中に100と言う字が綺麗に赤く浮き出るそうだが・・・はたして。
今回、各地区のNPOの人に紹介された元気な高齢者の写真を撮影しに行ったのだが、どの夫婦もとても元気、この元気はどこから来るのか。
昔から佐久間で暮らし、今まで生きてきた。
住み慣れた所で住んでいく、そんな素晴らしさを再確認した、今回の佐久間の元気な高齢者夫婦の写真撮影だった。
目指せ100歳(^^V
昔、私の息子がまだ中学生の時の話である。
私が居間で横になって朝のテレビを見ている時に息子が起きてきて一言。
「なんで?カエル???」
夜勤の仕事から帰ってきて、居間でくつろいでテレビを見ていた私は。
「テレビは替えていないよ」
と言ったら、息子は。
「カエルが居るよ、カエルが」
よ~く、見たら、テレビの横にカエルがいたのだった。
とこから家に入ったのか?
居間にカエルがいたのだ。
あれから何年たったのか、息子は大学を卒業し、今では社会人になっている。
先日、我が家の庭の草刈りをやっていた時、石垣近くの草を退けたら、その時見たようなカエルが石垣の間にかくれていた。
そっと草をかぶせて、草刈りを続けた。
今日、仕事から帰ってきたら、そのカエルだろうか、玄関前に出ていた。
そのカエルは「ツチガエル」
こちらでは「イボガエル」と言われている。
動作がゆっくり、のんびり生きている。
私は今まで、セカセカ生きてきた、そんな私に、 「のんびり生きようぜ」っと言っているみたいだった。
母家の隣にある空き地に桜の木がある。
今は亡き父親が20年前に植えたソメイヨシノだ。
その桜、大きくなり母家の屋根に架かってきたので切ることにした。
直径25センチくらいの枝を二本、慣れないチェンーソウを使い作業に入ったのだ。
斜面に傾いている枝をまず初めに切った、倒れると思ったけど倒れない?????
その枝の上の方の枝がもう一つの枝に引っかかって倒れないのだ。
ロープを使ったり、いろいろ苦労しながら枝切を終えた。
大変なのは、その切った枝の片付け、その枝がまだ残っている。
家族が少なくなり、相談する人もいなくなり、こういう作業も大変だ。
我が家庭では、三人の子供は外に働きに出ている。
佐久間町の人口も少なくなっている。
少なくなった人数で、今までの地域・家庭を守っていかなければならない・・・・ノダ。
切ったソメイヨシノの枝の切り口に、保護剤を塗って作業を終えた。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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