昨日は、近所の家で葬式があった。
先日、たつやま瀬尻オフロードラン(仮)で山の中を走っているときに私の携帯に連絡だ届いた。
また、休みを取らなければいけない・・・・・そんな事が頭に浮かんだ。
お通夜に行き、近所の人が集まっていた。
そして、昨日は水窪のお寺での葬式だった。
喪主の人は、佐久間中学校の同級生だ、彼が佐久間に帰ってきたのは、両親の介護、もし両親が亡くなったら佐久間を出ていく、そんな話を聞いたことがあ。
彼の仕事は、パソコンで製図を書いてインターネットを使い業者とのやり取りをやっている。
山間の町佐久間でもできるのにな~。
佐久間に戻る前は、数人の人を使い その仕事をやっていたみたいだ。
佐久間で、その仕事をし、若い人を雇ってくれるようになったなら、佐久間も少しは活性化するのに。
昔、水窪駅伝に参加した時、同じ区間を走る水窪の人が言っていた
「田舎に残っている俺らが、貧乏くじ引いたじゃ~かなんでな~」
今ふと、そんな言葉が・・・頭に浮かんだ。
天龍村は長野県の南端に位置し、佐久間町と同じ過疎化、少子高齢化問題がある里だ。
違うのは、先の合併で佐久間町は浜松市になり、天竜村は合併はせず(できなかった・・・かな)単独での行政をしている。
長野県天竜村 人口1567人(2010年)、そんな小さな村が毎年二月に、140チームを集めて駅伝大会「梅花駅伝」をやっている。
去年、その梅花駅伝に参加しようと走る仲間に呼びかけをし、よ~やく申し込み締め切り二日前に集まったので・・・ネットで申し込みしようと思ってパソコンを起動したら・・・・締め切り前ですが参加チームが集まりましたので、締め切りました。
と出て、参加をあきらめた。
今年は、去年よりも早く、参加してくれそうな人に声をかけ、早めに申込みをした。
そんな天龍村「梅花駅伝」
今日、天竜村のホームページを見たら記載されていた・・・・ゼッケン38番(一般)さくまRC。
梅花駅伝 第45回参加者名簿
http://www.vill-tenryu.jp/45entry25.01.21.pdf
今回、この駅伝、佐久間の走らない人にも「天竜村の梅花駅伝、チーム数140チームを受け入れて行なっている、佐久間の人として視察に行きませんか?」と呼びかけをした。
何人参加してくれるか分からないが、駅伝が終わり帰りの飯田線の列車の中で酒を飲むのを今から楽しみにしている。
酒ばっか(+。+)アチャー。
佐久間駅伝が終わり、駅伝メンバーで慰労会、第40回大会佐久間駅伝大会記録表を見ながらお酒も進んだ。
この記録票、一枚めくると「~佐久間駅伝大会記録票~」がある。
第 1 回大会 昭和49年 総合優勝は「天龍村体協」参加チーム 29チーム
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去年の
第39回大会 平成34年 総合優勝は「Honda-RC」参加チーム 92チーム
今年、第40回大会の優勝は「浜松日体高校A」の優勝である。
佐久間駅伝大会の面白味はこの記録表にもある。
閉会式終了後、この記録表を参加チームに一部配るのだ。
慰労会で、この記録表を見ながら・・・・・。あ~だ、こ~だ、と言いながら酒を飲むのだ。
今回この40回大会、第一回大会から昨日の第40回大会まで一回も休まずに参加した人がいると表彰があった。
駅伝は一人での参加のマラソン大会とは違い、チームでの戦いだ、今回の大会でもインフルエンザなとで参加を断念したチームが数チームいる。
色々なことがあったろうに、40回連続とはすご~い。
2月17日(日)、この”時の人”とチームを組み、佐久間駅伝第一回優勝チーム「天龍村体協」が来た天龍村での駅伝大会「梅花駅伝」に参加する予定だ。
天龍村の「梅花駅伝」いい出会いがある事を祈っている。
佐久間町 最大のスポーツイベント、佐久間駅伝、今年は第40回大会だ。
私は、佐久間に帰ってきて第17回大会から参加している。
何時の日にか、体協の役員になり今年は司会進行までやるようになった。
役員&選手。
司会進行が終ったら、三区中継点までの輸送大型バスに乗り三区中継所(福沢)まで車に揺られる。
佐久間町を北の方に行くと雪もたくさん残っている、三区中継所付近は道路も凍ってツルツルしている。
トイレの水も凍り流す水が出ないそうだ。
11時45分、コール、ゼッケンを見せ、そろそろ準備を始める。
12時24分トップの選手が来る。
佐久間在住在勤のチームは三区中継所で
12時33分11秒 JPハイテック佐久間
12時33分20秒 山香Aヤング
12時33分47秒 山香Bシニア
12時34分46秒 川上鶴ケ会
12時25分22秒 佐久間高校教員
わがチームは地域在住在勤の部6位でやってきた。
12時36分53秒 ハッチ&花の舞 !!!
タスキを受け取り走り始める、三区だけあって前後にまだまだ選手がいて追い抜いたり追い抜かされたり、前に目標になる人がいると頑張っていつもより一生懸命になってしまう。
残り1キロ、トンネルを抜け歩行者専用の橋を渡って、西渡(にしど)の最後の激坂に・・・・・いっきょにスピードダウン、スネエモンの選手に抜かれても抜き返そうとの気力もない。
フラフラになって、四区走者にタスキを渡した。
走り終われば、同じ三区を走った仲間で談笑。
着替えを済ませ、走った仲間やスタッフ・地域の人たちで最終ランナーを拍手で迎え、タスキリレー。
大型バスで佐久間協働センターに帰り、無料のトン汁を御馳走になり、ハッチ&花の舞のメンバーと出会った。
最後、閉会式・・・それでは閉会式を行います。
それぞれの入賞のチームの表彰。
それぞれの区間賞の表彰。
最後、佐久間体育協会支部長の挨拶。
この・・・支部長の挨拶に・・・・・・胸が熱くなったんだな~。
こんなに過疎が進んだけど・・・ここに住んでいて良かったのかも(^^)
小雪降る寒空の下、佐久間町民が佐久間歴史と民話会館小ホールに集まってきた。
皆、それぞれ忙しい中、第40回佐久間駅伝大会のために大事な時間を割いて集まってくれたのだ。
小ホールの中は所狭しと、駅伝用の荷物が並んでいる。
★本部関係
★輸送車関係(走者)
★輸送車関係(大会役員等)
★中継点関係(二区中継点)
★中継点関係(三区中継点)
★中継点関係(四区中継点)
★中継点関係(五区中継点)
★中継点関係(六区中継点)
★中継点関係(ゴール地点)
★事務局関係(事務所本部)
★事務局関係(記録集計)
★接待係
★中学生・高校生ボランティア
午後七時、打合せの始まりだ。
お仕事後でお疲れのところのご出席、誠にありがとうございます。
それでは定刻になりましたので、ただ今から第40回佐久間駅伝大会役員打合せ会を開催いたします。
お手元に配布してあります次第に沿って進めさせていただきます。
体育協会支部長の挨拶、佐久間協働センター副所長の挨拶があり、第40回佐久間駅伝大会運営打合せ事項について、事務局からの説明に入ってく。
第40回佐久間駅伝大会の概要説明・大会役員の出動依頼と役割分担の確認・各部署における注意事項等・質疑応答・・・・・。
その後、それぞれの部署ごとに集まり細部の検討及び打合せに入っていった。
今回の大会は、五区走路中の原田橋が大型バスの通行不可により小型バスでの選手輸送になったため、輸送関係の人が増え、初めての参加の人もいて大変そうだった。
話は少し逸れるが・・・・・。
今回の第40回佐久間駅伝大会、40年前から毎年参加している人がいるという。
今から40年前、昭和48年の冬、その人は第一回佐久間駅伝を走ったのだ。
佐久間町は昭和31年に当時の佐久間村・城西村・山香村と浦川町が合併して誕生した。
それぞれ我が村は我が町はと言う人が多いころだったと思う。
そんな街を、タスキでつなごうと駅伝を企画した人がいる。
その佐久間駅伝を第一回から明日開催される第40回大会を休まずに参加した人がいる。
第一回目から明日の第四十回大会、色々な思い出があるだろう。
明日の佐久間駅伝大会、私もいい思い出作りに頑張ろう。
慰労会は囲炉裏を囲んでイッパイだ(^^)
先日、佐久間新そば祭りの時、私に「ほくえんの風の人ですか?」と声をかけてくれた人が、だいすき!北遠のホームページを作っているNPO「天竜川・杣人の会」の人だった。
ホームページは↓
http://yama-machi.beblog.jp/
実に多くの北遠(佐久間・水窪・龍山・春野)の情報が満載のホームページで、すごく感心する。
その中の「北遠のサクラ」のページの所では、毎年とっちーさんの企画「お花見マラニック」で行く熊平(くまだいら)のサクラも紹介されていた。
今回、このNPO「天竜川・杣人の会」の人に出合った。
山(過疎の町)での生活が、いやだな~っと思っている私、この出会いが私にどんな影響を与えてくれるだろうか(^^)
今日は、佐久間新そば祭りの日だ。
自宅から、その新そば祭り行ってきた。
なつかしい人、初めて出会合う人、色々な人に出会った。
そんな中で、親戚の人との話が合った。
人との出会いで、その人の運命が少しづつ変わっていくのだと、その一番近く人が、奥さんであり夫であると。
感謝しなければしけないよ~っと。
そのソバを食べ終わり。
私は国道を走り、西渡に行き、八丁坂を登った。
夢街道の時に、出会ったオジサンと話をしていたら「ビールを飲んでけ!」と言われ、庭先でビールを飲んだ。
城西を走っていると、小学校の同級生に出会う。
上村の坂を登っていると、昔水窪の工場で働いていた人と出会う。
今日も色々な出会いがあり、楽しい日だった。
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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