小雪降る寒空の下、佐久間町民が佐久間歴史と民話会館小ホールに集まってきた。
皆、それぞれ忙しい中、第40回佐久間駅伝大会のために大事な時間を割いて集まってくれたのだ。
小ホールの中は所狭しと、駅伝用の荷物が並んでいる。
★本部関係
★輸送車関係(走者)
★輸送車関係(大会役員等)
★中継点関係(二区中継点)
★中継点関係(三区中継点)
★中継点関係(四区中継点)
★中継点関係(五区中継点)
★中継点関係(六区中継点)
★中継点関係(ゴール地点)
★事務局関係(事務所本部)
★事務局関係(記録集計)
★接待係
★中学生・高校生ボランティア
午後七時、打合せの始まりだ。
お仕事後でお疲れのところのご出席、誠にありがとうございます。
それでは定刻になりましたので、ただ今から第40回佐久間駅伝大会役員打合せ会を開催いたします。
お手元に配布してあります次第に沿って進めさせていただきます。
体育協会支部長の挨拶、佐久間協働センター副所長の挨拶があり、第40回佐久間駅伝大会運営打合せ事項について、事務局からの説明に入ってく。
第40回佐久間駅伝大会の概要説明・大会役員の出動依頼と役割分担の確認・各部署における注意事項等・質疑応答・・・・・。
その後、それぞれの部署ごとに集まり細部の検討及び打合せに入っていった。
今回の大会は、五区走路中の原田橋が大型バスの通行不可により小型バスでの選手輸送になったため、輸送関係の人が増え、初めての参加の人もいて大変そうだった。
話は少し逸れるが・・・・・。
今回の第40回佐久間駅伝大会、40年前から毎年参加している人がいるという。
今から40年前、昭和48年の冬、その人は第一回佐久間駅伝を走ったのだ。
佐久間町は昭和31年に当時の佐久間村・城西村・山香村と浦川町が合併して誕生した。
それぞれ我が村は我が町はと言う人が多いころだったと思う。
そんな街を、タスキでつなごうと駅伝を企画した人がいる。
その佐久間駅伝を第一回から明日開催される第40回大会を休まずに参加した人がいる。
第一回目から明日の第四十回大会、色々な思い出があるだろう。
明日の佐久間駅伝大会、私もいい思い出作りに頑張ろう。
慰労会は囲炉裏を囲んでイッパイだ(^^)
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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