A4の封筒を開けると、最終確認要項書が最初に目にはいた。
必ずよく見てください・守ってください
≪大会主旨≫
参加者は、食料、水、防寒着、ライト、(雨具)他、走るために必要と思われるものをディパック等に入れ・・・・・・・・・・・・・・・・・安全には十分注意の上
「富士山頂往復マラニック」を楽しみます。
A4の用紙3枚に富士山往復頂マラニックの注意事項やその他、呼びかけ人である萩田さんの思いが書かれていた。
その他、参加者名簿、今年は109人と大所帯のため3枚。
地図はA3 4枚、 A3 2枚
チェックポイント表
富士宮口 富士登山のパンフレット。
それとゼッケン
よ~し、今年こそ「富士山頂往復マラニック」を楽むぞ~(^^)
平成18年(2006年)の夏、私は浜松駅から佐久間の自宅まで60kmを一人で走った。
長距離はフルマラソン(42.195km)しか走ったことがないのに。
6年前の自分は、何を考え、何を思い、浜松駅の南口を走り出したのだろう。
その時の自分の日記
http://www.nexyzbb.ne.jp/~tsutomu46/mountain03.htm
平成17年(2005年)私の住む佐久間町が浜松市に合併し、これから佐久間町はどうなっているのだろう???
今でも過疎で人々が町へと流れていくのに、合併しなのならもっと過疎が進むだろうな~。
浜松市は次の年、政令指定都市になった。
私の住む佐久間町も政令指定都市、住所も浜松市天竜区になったのだ。
その浜松市天竜区の国道152号線をリックを背負ったランナーが走っていくのを見たのだった。
次の日の月曜日 静岡新聞で新浜松市誕生記念 水窪~浜松 160km ウルトラマラニック を知ったのだった。
マラニック(マラソン&ピクニック)
その年の夏、自分の足で この大きくなった浜松市を走ってみようと決意し走り始めた。
マラニックで、急がずゆっくり景色を見ながら。
次の年、マラニックを企画している人にいろいろ聞いて、名前も「浜松縦断マラニック」として平成18年(2007年)参加者8人で走ったのだった。
今年のほくえん旅ランの参加者は↓
http://run2.ina-ka.com/meibo.htm
浜松縦断マラニックまだ8名なので、もう少し走る人が来ないかな~っと思っている。
今年で7回目になる「佐久間・水窪スーパーマラニック」
7年前、私は何を思って竜頭山に登ったのだろう、竜頭山の山頂(展望台)で何を思い浜松の市街地を望んでいたのだろう。
当時(合併前)は佐久間町の一番高い山 竜頭山、そこから見える浜松市街、とてつもなく大きい街に吸収合併される佐久間町、これから佐久間はどうなっていくのだろう・・・過疎が益々進むだろう・・・。
そんなことを考えていたのかな。
「佐久間・水窪スーパーマラニック」は竜頭山の尾根沿いの林道「スーパー林道」をマラニックするので、私が7年前に「佐久間・水窪スーパーマラニック」と名付けた。
当時一人で、竜頭山には何度か上ったことがあるけど、そこから先のスーパー林道は行ったことがない、個人的にも竜頭山から山住の方には走ってみたかった。
そこで、友達を誘って、このスーパー林道を走ったのだ。
7年前の私は、竜頭山の山頂に登って展望台からの景色を見て、色々な事を思ったのだろう。
そして、スーパー林道に走って行った。
今、ここに住む私が楽しければ良いのではと思って始めた「佐久間・水窪スーパーマラニック」
走る人も、走らない人も 楽しく。
今年初めての竜頭山。
今月の27日に行う「佐久間・水窪スーパーマラニック」の試走も兼ねて、加藤くん(30歳)と二人朝の6時11分に平和登山口から登り始めた。
今回は、中間地点の「青なぎ」から少し上ったところの分岐点をコースである右側(少し急坂 中級コース)の方向に行き、二年前ある人が道に迷ったであろうと思われるところを検証しながら登ることにした。
このコースは沢を3ッつ越えなければならない、今回も私が先導で登っていくと知らず知らずのうちに沢沿いに登って行こうとする場面に遭遇した。
そこで、その沢にある岩に矢印を書き、沢を越えるのが分かるようにした。
そんなことをやっていたので、山頂の見晴らし台に着いたのは8時近くになってしまった。
8時に「ほうずき平」からはスーパー林道をゆっくりジョギングしながら行く、山住神社に着いたのは10時、峠の茶屋でうどんを食べる。
ここからは山住から向市場まで10キロの下りだ。
向市場に12時、水窪中学校 前のお店でアイスを買い食べながら歩く。
国道152号に入り、またユックリ走り出す。
相月バイパスのところで、旧152号線に ここからはほとんど歩きになる。
「島」「横吹」「立原」「間庄」「瀬戸」と、左手に見える朝登った竜頭山を見ながら歩く。
西渡まで八丁坂を下り、西渡のバス停から車を止めてある登山口まで500m位を走ってゴールした。
時計は3時21分。
なんと9時間10分。
本番は中部天竜の駅からになる。
今日よりも14㎞も長くなる。
大丈夫だろうか(^^;
新城のランニングクラブ(強右衛門倶楽部)が毎年、行っている戦国街道ランに行ってきました。
戦国街道ランとは、戦国時代に長篠城を脱出して岡崎城まで援軍を要請に行った鳥居強右衛門(とりいすねえもん)が、戻って来た道のりを再現したコースを走るランです。
本長篠の駐車場に4時に集合、倶楽部のマイクロに便乗し岡崎公園に向かった。
朝5時半から、50名余りのランナーは10人ずつのグループに分かれ5分おきに岡崎公園を本長篠に向けて走り出した。
5㎞ごとのエイドには強右衛門倶楽部の用意してくれた食べ物がたくさんだ。
くらがり渓谷の上り坂に入ると、直射日光を遮る木陰で気持ち良く走ることができる。
作手村の道の駅(鬼久保ふれあい広場)ではトマトアイスがあった。
本宮山から新城への下り坂は九十九折の坂道、部屋ピンカーブではオートバイの危ないこと。
竹生神社のエイドに来た、あと少しだ!!
午後2時、ランナーたちは本長篠の長篠合戦のぼりまつり会場に入っていく。
今年も無事に65㎞走れた。よかった 良かった。
何年前だろうか?萩田さんに「佐久間しし鍋マラニックを走った次の日 東栄温泉近くでいい走るところはない?」と言われ、東栄温泉に車を置いて気ままに走ったところが尾籠(おろう)だった。
その時は尾籠(おろう)の村に走って上って行ったらイノシシがいたのを覚えている。
集落の行き止まりにある生活改善センター行くと。
「尾籠岩山のお祭り案内」のチラシがあった。
毎年、4月15日が、岩山のお祭りです。高齢化などにより岩山に登れる住民が少なくなっていますので、地区以外の方達も参加してくださり、賑やかなお祭りになることを、地区住民は望んでいます。
山頂には、山岳修験の祖である行者様や、仏教を広めた弘法様が祀られています。また東栄町で一番高い明神山(標高1016m)が、間近で眺められます。さらに、南アルプスなどの素晴らしい山並み眺められますし、高山植物アカヤシオやホソバシャクナゲなどの群生も見られます。
との説明があった。
2012年の4月15日 は日曜日だ、これは行くしかないと去年から考えていた。
東栄町の役場に電話して聞くと、村人が八時に生活改善センターに集合し、お祭りに使う道具を持ってみんなで山を登ると言っていた。
佐久間から尾籠(おろう)まで、25㎞くらいかな~?私の足で2時間半あれば何とかいけるだろう。
そう思い、家を出たのが5時15分。
腰の調子が悪いので、ゆっくりゆっくり走って行った。
浦川の金橋を渡り、右折しばらく行くと愛知県に入る、6時45分腰も痛いし、股関節も・・・ペースも上がらなく予定の時間よりだいぶ遅れている・・・8時まで???間に合うだろうか?
本郷の町が見えてきた。東栄温泉に着いたのが7時30分・・・ここから30分では無理だ。
国道151号の本郷のバイパスから尾籠(おろう)に左折するところで、上着を脱ごうとしていると車が一台止まって「尾籠に行くなら乗っていくか?」と言われた。
せっかくここまで走ってきたので「遅れるけど走っていきますので・・・」と言って断った。
尾籠(おろう)の生活改善センターに着いたのが8時20分。
山を登ろうという人が沢山集まってった、60人くらいあつまっていただろうか。尾籠(おろう)には家が9軒、どこの家の高齢者夫婦ばかりだそうだ。今日は久しぶりに賑やかいと言っていた。
参加者に説明をし、それぞれ岩山に向かい登って行った。
岩山の山頂に着くと、地元の人が神事の用意をしてお祭りは始まっていった。
第一回「ほうじ峠ウォーキング」
地図「ルートラボ」
http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=d571ece27170fd94c753b18b63a70205
今日は、このコースをゆっくり写真を撮りながら走って行こうと思う。
天竜川橋りょうを渡り、踏切を渡って旧佐久間中学校の前を行く。
国道に出て、殿島橋を渡るとすぐに左折して、ほうじ峠へと上っていく。
下平(しもったいら)の村に来たときには雨も止んできたのでカッパを脱ぐことにする。
山々が雨で洗われ その山から霧がわき とてもきれいな風景が見えた。
やっと着いた、「羽ケ庄 字 横尾 のパノラマ展望台」は、霧で何にも見えなかった(+o+)
ほうじ峠で少し休憩し、景色を楽しむ。今日はお客さんは居ないみたいで野田のおばさんたちが伝承館の座敷で大きな声で話しているのが聞こえる。
ここからは、野田の村を下っていくだけ、南野田・中野田・沢井をゆっくり走っていく。沢井から今田の村が見える。
城西に着くと国道152号線、ここを右折して今日のゴール地点「茶の子」に向かう。
「茶の子」で待ち合わせていた○橋君にゴール写真を撮ってもらい、そこのトイレで着替えをして「茶の子」でビールに味噌ラーメン。
走った後の昼間からのビールは本当に うんまい!!
最初のコースは、山住神社から水窪には下らずに、そのまままっすぐに「野鳥の森」に向かって走って行ったのだ。
遠くの山にそのスーパー林道は続き、大変過酷な道のりだったのを思い出す。
次の年、萩田さんに相談したら、そのコースは少し無理があるといわれコース変更をした、「野鳥の森」の方には行くのは止め、山住神社から向市場に下ってくることにしたのだった。
参加してくれた人が「星の郷 八ヶ岳野辺山高原100kmウルトラマラソン」のコースに似ていると言っていた人がいた。
「佐久間・水窪スーパーマラニック」2008
「佐久間・水窪スーパーマラニック」2009
「佐久間・水窪スーパーマラニック」2010
「佐久間・水窪スーパーマラニック」2011
自分なりに よく続いたな~と思う。
企画してきてよかった。走ってきてよかった。
今年は、どんな人と巡り合えるだろう。
下は、今年の参加者と私のマラニック「ほくえん旅ラン」の仲間たちのホームページです。
http://run2.ina-ka.com/meibo.htm
そこは政令指定都市になった。
その都市の北の隅っこ山間部に佐久間町に暮らしています。
当時、合併の説明に、佐久間町の役場の職員が私の地域に説明に来た。
静岡市に合併した井川地区を例にとり
「佐久間町もイズレ井川地区のようになるでしょう」
と、他人事のように言っていた。
これから私の暮らす佐久間町はどの様になっていくのだろう。
そんな寂しい気持ちでいたころ、ウルトラマラソンを走る人に出会い、
「遠い未来を憂い悲しむより、今を楽しもう」
そんな気持ちになり、自分で北遠でマラニックを企画するようになった。
合併して10年がたった。
当時立ち上げたNPO「がんばらまいか佐久間」元佐久間町の議員が頑張っている姿を見て感動した。
9年間その活動に協力したが、理事たちの夢や希望のない言葉に失望して今は水窪のNPO「山に生きる会」に参加させてもらっている。
袖振り合うも他生の縁
こらからも、偶然でほんのささやかな出会いを大切に、人との絆を大切に、残された人生を歩んでいきたいと思う。
「お金ではなく人の出会いででっかく生きろ」
中村文昭さんYouToube
https://www.youtube.com/watch?v=3myR2kVJ3ns
”しんしん”55歳
2015/11/25現在。。。
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